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第三十五話 たとえ情が湧いても、見切りをつける


 遠目から見ると、戦いの様子がよく分かる。

 サウスウェスト軍が前進し、ノース軍は敗走を始めている。


 サウスウェスト軍の、後衛の最前列付近。凄まじいほどの魔術が放たれている。通常の魔術師では不可能な発動速度と手数。魔術を放っているのは、間違いなくサウスウェストの召喚者だ。確か、チサトという名だと聞いていた。


 敵の後衛を端の方から攻撃しつつ、ハイドは、戦況を冷静に観察していた。


 ――敗色濃厚だね。イチヤは、チサトに勝てそうもないし。


 イチヤはチサトに近付くことさえできない。彼女の魔術を防ぐのが精一杯の様子だった。


 イチヤから十メートルほど離れた位置で、レトが、必死に魔術を放っている。敵の魔術師部隊から放たれる魔術を、自分の魔術で防いでいるのだ。イチヤが、チサトとの戦いに集中できるように。


 敵の魔術師を攻撃しながら、ハイドは、自分が率いている部隊に視線を送った。どいつもこいつも、戦うことより逃げることを考えているようだった。実際に、率いてきた兵士の数が、明らかに減っていた。戦いに勝てないと判断して、早々に逃走したのだろう。


 ――まあ、そうなるだろうね。


 イチヤは、サウスウェストの村人に手を出した兵士を、一刀のもとに斬り捨てた。その行動は、思想としては誉められるべきだ。だが、味方の士気を高めるという視点で見るなら、最低の悪手だったと言える。敵国の民を蹂躙できないのなら、それに代わる報酬を提示すべきだった。


 軍の士気は低い。戦いに勝つには、イチヤ自身の能力が高くないといけない。それこそ、一騎当千どころか、一人で万の人間と戦えるほどに。


 けれどイチヤには、その能力もない。


 ハイドは少しだけ期待していた。サウスウェストの召喚者と戦い、危機に陥ることで、イチヤの能力が向上することを。


 一度の実戦で能力が飛躍的に向上することは、決して珍しくない。それこそ、千日の訓練よりも大きな向上が。


 ――でも……。


 イチヤは、そういうタイプではないようだ。そもそも、素質に恵まれていない。ハイドが見てきた召喚者の中で、彼は最弱の部類だ。


 イチヤは、ハイドの目的のために役立つ人物ではない。チサト程度に勝てない奴が、皇帝を討つ際の力になれるとは思えない。


 役に立たないなら、イチヤはもう不要だ。彼がこの場で死ねば、ノースには新しい召喚者が召喚される。


 次の召喚者に期待しよう。能力面も、人格面も。


 思考の片手間で敵軍と戦いながら、ハイドは、逃走経路を確認した。もっとも、ハイドの能力であれば、ここから逃げることなど容易い。


 ハイドが一人で逃げるならば。


 ハイドは、イチヤ達が交戦している付近に目を向けた。レトが馬を止め、必死に魔術を放っている。


 レトは、ノースの召喚者の付き人だ。可愛らしい顔をした、優秀な魔術師。おそらく、能力を買われて国王から付き人を命じられたのだろう。付き人の選出の仕組みなどハイドは知らないが、そんなところだと推測していた。


 ハイドの目から見ても、レトは優秀な魔術師だと思う。ただの人間であれほどの能力がある魔術師を、ハイドは他に知らない。


 召喚者の付き人としては必須の人物だ。召喚者を指導し、導く意味でも。その美貌で、召喚者のモチベーションを上げる意味でも。


 それならば、レトは死なせるわけにはいかない。イチヤを見捨てても、彼女だけは助けないと。


 ハイドは馬を方向転換させ、レトに向って駆け出した。敵軍の魔術師を、適度に――人外の力があると見抜かれない程度に――殺しながら。


 ハイドが率いてきた部隊は、誰一人として付いてこなかった。散り散りになり、そのまま逃走を始めた。


 レトに向って走りながら、ハイドは、これまで彼女とどんなふうに接していたかを考えた。そういえば、と思い出す。彼女と二人きりで話したことは、ほとんどなかった。少なくとも、ハイディアとしては。


 ――やっぱり、敬語で話した方がいいかな。


 レトは召喚者の付き人で、ハイドは――ハイディアはただの一般兵なのだから。


 レトの間近まで接近し、ハイドは、彼女を援護するように魔術を放った。


「レトさん!」


 必死さを演じて、彼女に声をかける。


「逃げましょう! もう無理です! ここに留まっても、無駄死にするだけです!」


 レトは、一瞬だけハイドを見た。すぐに敵軍へ視線を戻し、魔術を放ち続けた。全身に汗をかいている。体力が尽きかけているのだろう、呼吸がひどく荒い。敵軍の魔術をたった一人で無力化していたのだから、当然だ。むしろ、今まで耐え続けていたのが不思議なくらいだ。


「レトさん!」

「黙って! 余裕があるなら、援護して!」


 絞り出すように、レトは声を張り上げた。


「イチヤが戦ってる! 相手は、サウスウェストの召喚者なの! イチヤを助けないと!」

「……」


 レトの疲労は、すでに限界を超えているはずだ。それでも彼女は、魔術を放ち続けている。ある意味で、精神力が体力を凌駕しているのだ。


 なぜ、レトにそんなことができるのか。どうして、ここまでして戦い続けることができるのか。


 ハイドはすぐに、レトの気持ちを理解した。ハイド自身にも経験があることだから、理解できた。大切なものがある。大切な人がいる。自分の命を賭しても、やるべきことがある。


 全てを捨ててでも、守りたいものがある。

 だから、限界を超えても戦い続けられる。


 レトに共感して。レトの姿が、大切な人を思い起こさせて。ハイドは、彼女を助けたい気分になった。この場で本気を出してでも。


 だが、ハイドはすぐに思い直した。目的を忘れてはいけない。一時(いっとき)の感情に流されてはいけない。


 この百年以上もの間、自分は、皇帝を殺すためだけに生きてきたのだから。


「レトさん!」


 レトを援護しながら、ハイドは彼女に訴えた。


「今ここで戦い続けても、二人とも無駄死にするだけです! レトさんがなまじ援護するから、イチヤ様も戦い続けてしまうんです! ここは逃げるべきです!」

「……」


 レトの表情が歪んだ。ハイドは今まで、彼女のこんな顔を見たことがなかった。いつも、感情を捨てているかのように澄ました顔をしていたのに。


 ――そんなに守りたいんだ。


 胸中で呟く。ハイドの胸に、表現しようのない痛みが走った。自分にはもう、守るべき者がいない。守りたくても、失ってしまった。


 失ってしまったから、今、こうして戦っている。皇帝を殺す機会を伺うために。皇帝を殺すための仲間を得るために。


 胸の痛みが、ハイドの集中力を欠けさせた。飛来する魔術を、少しだけ食らってしまった。ローブの腕の部分が裂け、浅い傷を負った。


 ハイドは小さく舌打ちした。腕の傷はそれほど深くない。かすり傷と言ってもいい。とはいえ、かすり傷で済んだのは運が良かっただけだ。戦場で集中力を欠くなど、愚かしいことこの上ない。


 ――俺は……。


 ハイドには、回復魔術が効かない。もし深手を負ったら、死に繋がる。


 ――俺は、死ぬわけにはいかない。


 三人の皇帝を殺すまでは。


「逃げますよ! レトさん! 私が援護します! レトさんが逃げれば、イチヤ様も逃げてくれるかも知れない! だから早く!」


 ハイドの声が耳に届いたのだろう、レトはさらに顔を歪めた。それでも、ハイドの言葉に納得したのか、馬の向きを変えた。敗走するノース軍の方向へ。後方に魔術を放ち、敵軍の魔術を打ち消しながら。


 ハイドはレトの後方を走り、彼女の援護をしつつ逃走した。


 チサトと戦うイチヤの姿が、遠ざかってゆく。


 レトにした説得とは裏腹に、ハイドはほぼ確信していた。イチヤはここで死ぬだろう、と。戦士型のイチヤが、魔術師のチサトに近付くこともできない。これは、両者の力の差を表している。しかも、レトが逃走したことで、敵軍の魔術もイチヤに襲いかかる。チサト一人に押されているイチヤが、この状況で生き残るのは難しい。


 ノース軍は、ほぼ全員が敗走を開始していた。サウスウェスト軍とは反対方向に駆けている。


 ハイドとレトも、敗走する軍に交じった。


 サウスウェスト軍から離れると、ノース軍は、各々散り散りになって走り出した。国境とは異なる方向に走る兵が、ほとんどだった。


 彼等が何を考えて走っているのか、ハイドには概ね想像がついていた。


 いつの間にか、国境に向って走っているのは、ハイドとレトだけになっていた。


 走り続け、疲弊した馬が向っているのは、国境のデルパイース川。


 敵軍が見えなくなるほど離れたあたりで、ハイドは、レトの後ろではなく彼女の横を走った。二人の馬が並走する。


 横に並んで走りながら、ハイドは、レトの顔を覗き見た。


 彼女の顔は、未だに歪んでいる。

 その目には、薄く涙が浮かんでいた。


※次回更新は6/30を予定しています

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