第三十四話② 最低で最悪な再会(後編)
クスリと、青野が笑った。
「あんた、村木でしょ? ずいぶん若いんだね。まあ、こっちの世界に来たばっかりみたいだから、当然か」
相変わらずの可愛らしい顔で、青野は、禍々しく微笑んでいた。笑顔で小動物を惨殺するような、嗜虐的な表情。
「……久し振りだな。まさか、サウスウェストの召喚者が、お前だなんてな」
できるだけ平静を装って、イチヤは吐き捨てた。可能な限りの侮蔑を声に込めた。青野に伝わっているかは分からないが。
「なんか、凄い不機嫌そうだね。三十年ぶりくらいの再会なのに」
「俺がお前に会って、ご機嫌になれると思うか?」
「えー?」
青野は声を出して笑った。
「もしかして、まだ根に持ってるの?」
青野も、自分がイチヤにしたことを、はっきりと覚えているようだ。五味と示し合わせて、イチヤと付き合う振りをした。自分の家にイチヤを連れ込み、セックスに誘った。イチヤが全裸になったところで、隠れていた五味が現われ、イチヤの姿を写真に撮った。その写真を、周囲に公開した。
「あんなの、ただの遊びじゃん」
確かに、青野にとってはただの遊びだろう。
だが、イチヤにとっては違う。周囲に白い目で見られた高校時代。地元を離れて大学に進学し、本当の意味での恋人もできた。しかし、セックスをしようとしても、あのときの屈辱が脳裏に蘇り、勃起できなかった。
永遠に、恋人と交わる喜びを失った。自分の子を授かる可能性が消え去った。
今も心に残り続ける、恥辱と屈辱。奪われ、粉々に砕かれた尊厳。
イチヤの全身が、青野に関わることを拒否していた。過去の傷が、恐怖にも似た嫌悪感になっていた。斬り捨てることすらしたくない。恨みや怒りよりも、恐怖や気持ち悪さが勝る感覚。
イチヤの心情に気付かないのか、青野は表情を変えずに続けた。
「それにしても、凄い偶然だよね」
「何がだよ?」
「だって、今のノースの召喚者があんたで、前のノースの召喚者が五味だったんだから」
「!?」
イチヤは目を見開いた。無意識のうちに言葉が漏れた。
「五味が……?」
「あら?」
ようやく、青野が表情を変えた。意外そうに、キョトンと目を開けた。
「知らなかったの? あんたの国ではシュウって呼ばれてたみたいだけど。この世界での一年くらい前に、サウスウェストに攻め込んできたの」
「……」
シュウ――五味秀一。
イチヤの頭の中で、ようやく全てが繋がった。
以前、レトから聞いたことがあった。シュウがサウスウェストに攻め込み、敵の召喚者と対峙したときの話。シュウは敵の召喚者に無防備に近付き、ある程度近付いたところで、いきなり火だるまにされた。藻掻き苦しみながら、黒焦げになって死んだ。
五味は、間違いなく、昔と同じ感覚で青野に近付いたのだろう。かつて付き合っていた女。一緒にイチヤを貶め、笑い合っていた女。
五味は学生時代を思い出し、この世界でも、青野と楽しく交流できると思ったのだ。
しかし、青野は違った。
――だけど……。
どんな思惑があるにしても、かつての恋人を簡単に殺せるのか?
そんな疑問がイチヤの頭に浮かび、一秒と経たずに消えた。青野は、そういう女だ。サウスウェストの英雄として五味を殺す方が、彼と交流するより得だと判断した。だから殺した。損得と悦楽が、情よりも優先される女。
五味のミスは、青野が自分と同じ性質の人間だと気付かなかったことだ。自分は平気で他人を貶めるくせに、自分が貶められるとは想像もしない。
――クズとクズの潰し合いだな。
今度は声に出さず、イチヤは吐き捨てた。
同時に、ひとつの事実が脳裏に浮かんだ。
イチヤの前の召喚者は、五味だった。
つまり、レトは五味の付き人をしていた。
付き人――案内人兼、情婦。
この戦いが始まるまで、イチヤは、レトに対する信用をほとんど失っていた。村人に対する蛮行を平気で見過ごす彼女を、軽蔑さえしていた。
けれど、戦いが始まる直前の彼女の言葉で。
レトの歩んできた人生が、思い起こされて。
『私も、平穏に生きられる世界を見たくなったの。あんたと同じ』
レトも、本当は、誰かが誰かを足蹴にする世界など望んでいないのではないか。平穏な世界で、母親と静かに暮したいのではないか。
それなのに、母親が不治の病に罹った。母親を助けるために戦争に参加し、召喚者の付き人をすることになった。
自分の境遇に、悲観しか感じられない状況。
悲観しかなくても、必死だった。必死に、運命に抵抗した。
そんなレトが。
五味に、自分の体を好きにされていた。
五味の情婦を務めながら、彼が行う虐殺と蹂躙を目の当たりにしていた。
イチヤの隣りには、レトがいる。少しだけ視線を動かせば、彼女の顔が見える。
イチヤはレトを見なかった。見られなかった。
イチヤ自身がもっとも嫌う男に、好き放題されていたレト。悲運としか言いようのない境遇で、母親のために身も心も削っていたレト。
レトは、五味に体を捧げたとき、何を思っていたのか。平穏とはほど遠い状況に身を置きながら、どんな心持ちで生きていたのか。
想像するのは難しくない。
レトは、イチヤの前でも全裸になったことがある。そのときの彼女は、ほとんど表情を変えなかった。心など捨てた目をしていた。
実際に、レトは、心を捨てていたのだ。感情を放棄していたのだ。母親を助けるために。
レトを見ることができない。青野から目を離せない。イチヤは、楽しそうに話す青野の声に耳を傾けていた。
「ねえ、村木」
今の青野は、イチヤが知っているよりも大人になっている。高校生の時点でも色気のあった彼女が、ますます艶っぽくなっている。
男を惑わす顔で、青野はイチヤに提案してきた。
「ねえ、村木。今度は本当に、私と寝てみたくない?」
誘うように、こちらに手を伸ばしてくる。
「五味は、私の誘いを断った。だから戦うしかなかった。あんたはどう? 昔、私と寝たかったんでしょ? すっごい勃ってたもんね」
カッと、イチヤの顔が熱くなった。勃起した姿を五味に撮られ、その写真を公開された羞恥心が蘇ってきた。
「今はもう、あのときとは違うよ? 今度は本当に、私と付き合ってみない?」
「……」
ほんの少し前まで、イチヤの体は、青野に近付くことを拒んでいた。過去のトラウマのせいで、この場から逃げ出したいとさえ思っていた。
だが。
過去の傷を掘り起こされて。ノースの前召喚者が、五味だと知って。レトの不遇に、彼女の顔を見られないほど複雑な感情を抱いて。
イチヤの恐怖や嫌悪感は、別の感情に塗り潰された。
青野への、怒りと殺意。
気持ち悪いからこそ、この世から消し去ってやりたい。
「相変わらずだな」
はっきりとした敵意を、イチヤは口にした。
「そうやって騙して、五味も殺したんだろ?」
「……は?」
「おおかた、五味には、『昔みたいに楽しく付き合おう』なんて言って、油断させたんじゃないのか? 油断させて殺したんだろ? 五味が、お前の誘いを断ったんじゃなく」
「あら?」
こちらに差し出していた手を、青野は引っ込めた。
「知ってたの?」
「お前のやりそうなことだ。男を騙して、油断させて、突き落とす。二度も三度も引っ掛かるかよ」
「あーあ」
残念そうに、青野は声を漏らした。楽しそうな様子は変わらないが。そのまま、手を振り上げる。先ほどは後ろに向けていた手の平を、今度は前に向けて。
イチヤは瞬時に悟った。
――くる!
「レト! 行くぞ!」
レトの顔を見ないまま指示し、イチヤは駆け出した。
同時に、青野の手が振り下ろされた。攻撃の合図だろう。
イチヤの推測の正しさを証明するように、敵の魔術師達が魔術を練り出した。
合図と同時に、青野自身も魔術を繰り出してきた。風の魔術。かまいたちだ。空気が歪んで見える。恐ろしく早い真空がこちらに向って放たれた。
青野の魔術の発動は、尋常ではないほど早かった。ハイディアと同等レベルだ。
イチヤは剣を振り、真空を弾いた。青野の魔術を受けた剣から、重い手応え。ギィンッという、金属が弾ける音。イチヤの――召喚者の腕力でなければ、剣を弾き飛ばされていただろう。そんな強力な魔術が、次から次へと飛んでくる。
イチヤは顔を歪めた。
――これほどかよ!?
イチヤの前進は、完全に止められた。青野の魔術を防ぐのに精一杯で、彼女に近付くことができない。
青野までの距離は、約三メートル。イチヤの大剣でも、まだ彼女には届かない。
イチヤの視線は、全て青野に注がれている。彼女に集中し、その一挙一動に気を払わなければ、魔術を防ぎ切れない。前進し、彼女を斬るどころではない。
気配で、周囲に魔術が飛び交っているのが分かる。敵軍後衛の魔術だろう。しかし、イチヤには届かない。レトが、イチヤのフォローをしてくれているのだ。
レトは、魔術師として圧倒的な能力を持っている。召喚者以外では、間違いなく最強クラスだ。とはいえ、敵の魔術師部隊とは数が違う。彼女一人で片付けられる人数ではない。当然、イチヤのフォローなど、できるはずがない。むしろ、時間が経てば経つほど劣勢となり、敵軍の魔術に飲み込まれるだろう。
自分一人で、青野に勝たなければならない。勝って、レトの助けに回らないといけない。でなければ、彼女が殺されてしまう。
焦りが、イチヤを強引にさせた。無理に前進しようとし、青野の魔術で腕や胴体が切り裂かれた。致命傷になるような傷ではない。反面、浅い傷でもない。数針縫うほどの傷を、十カ所以上。
傷ついたのはイチヤだけではない。イチヤが乗っている馬にも傷が増えてゆく。痛みに耐えかねた馬が、悲鳴を上げて逃腰になった。
明らかな劣勢。徐々に押されてゆく。馬も前進を拒み、逃げたがっている。
後ろから、味方の援護はなかった。イチヤとレトを助ける者は、誰もいない。
劣勢になったときに味方が頼りにならないことなど、予想していた。敵軍の兵士とはモチベーションが違う。こちらの軍が圧倒的に劣る。
――逃げやがったか。
確信に近い思いで、イチヤは吐き捨てた。
頼りになるのは、もうハイディアだけだ。彼女はどこに行ったのか。先ほど、彼女は援護をしてくれた。そこからどこに行ったのか。彼女の魔術が放たれた方向から考えて、敵の魔術師部隊を攻め込みに行ったと思うが。
青野の魔術を防ぐだけで、手一杯になりながら。
イチヤは、ハイディアの援護を待った。
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