第三十四話① 最低で最悪な再会(前編)
敵軍の前衛――戦士型の部隊に接近し、交戦が始まった。
数多くの敵兵が迫ってくる。剣を振るう者。槍を突いてくる者。戦斧を振りかざす者。
イチヤは剣を振り、襲ってくる敵兵を次々と斬り捨てた。大量の血が噴き出し、雨のように降る。首から上を失った兵を乗せて、馬が走り続ける。日本では決して見ることのない凄惨な光景。
それでも、敵兵の突撃は止まらない。怯むことなく襲いかかってくる。彼等の目には、狂気染みた欲望があった。ギラついた目。どこかで見たことのある目だった。すぐに思い出した。ブランコ村で、村人を蹂躙していたノース兵と同じ目だ。
欲望を動機として、敵を殲滅しようとする者達。
――ゲス共が!
口の中で吐き捨て、イチヤは剣を横薙ぎに振るった。剣が届く範囲には、三人の敵兵。イチヤから見て右の兵の胴体に、剣が斬り込まれた。その胴体を下半身から斬り落としても、イチヤの剣は勢いを失わない。召喚者だからこそ出せる、膂力と瞬発力。他の兵の胴体も、勢いのまま真っ二つにした。
三つの胴体が、立て続けに地面に落ちた。
イチヤは止まることなく剣を振るった。自分の剣で敵の武器を弾き、そのまま斬る。手応えと共に血が舞い、内臓が切り出され、脳漿が飛散った。
命を奪った敵兵の数など、すぐに数え切れなくなっていた。
イチヤの隣りでは、レトがフォローをしてくれている。彼女は、通常レベルの魔術師では考えられないほどのテンポで魔術を繰り出していた。風の魔術によるかまいたち。水の魔術による氷柱。
イチヤとレトの周囲で、敵兵が命を失い続けた。
イチヤは剣を振りながら、隙を見て周りを観察した。
ノース軍前衛の陣形が崩れてきている。敵兵を仕留めて前進できているのは、自分と、自分の周囲の者達だけだ。イチヤから離れれば離れるほど、敵軍に押されて後退してきている。視界の端には、逃走するノースの兵も見えた。
交戦開始直後は、両軍の交わる部分は直線上になっていた。しかし、時間が経てば経つほど、両軍の交わる部分が形状を変えてゆく。
優位に戦い、前進するイチヤの周辺。イチヤから離れれば離れるほど敵軍に押され、後退してゆくノース軍前衛。交戦部分の形は、「く」の字型に変化していった。
イチヤの周辺が攻め込めているので、全体の戦いは拮抗している。だが、イチヤを除いた戦いという視点で見れば、明らかに、ノース軍が押されていた。
両軍の間にある、圧倒的なモチベーションの差。
欲望に忠実なサウスウェスト軍。イチヤによって欲望を封じられたノース軍。
欲望の差が、そのまま力の差になっていた。
弱い者を守りたい。力で他人を蹂躙することなど、許せない。だからイチヤは、兵士達に暴挙を許さなかった。理想を掲げた結果、今の状況に陥った。
現実を突き付けられ、イチヤは歯を食い縛った。悔しさと苛立ちが、体の力を漲らせた。
――だったら、俺一人でもこいつらを全滅させてやる!
心の叫びが、イチヤの剣を鋭くした。敵を次々と地面に転がしてゆく。地面に落ちた敵兵の死体を、馬が踏みつけて前進する。
「前衛後退! 身を丸めて守れ!」
唐突に、女の声が響いた。人間に出せる声量ではない。
イチヤの脳裏に、いつかの光景が蘇った。フロンティアで、ハイドが公演をしていたときのこと。あのとき、ハイドは、風の魔術で歌声を遠くまで運んでいた。あの魔術と同じだ。もっとも、ハイドの声の方が、より綺麗に響いていたが。
イチヤはこれまで、何度か戦いを体験した。ノース国内で、占領された村を解放したとき。フロンティアの防衛戦。国境付近の待機所を攻め込んだとき。サウスウェストの村に侵攻したとき。
これまでの戦いの経験が、イチヤの直感力を上げていた。
――何かくる!
今の声の主は、間違いなくサウスウェストの召喚者だ。
サウスウェストの召喚者は、魔術師型。
それなら、魔術による攻撃がくるはずだ。
咄嗟に、イチヤは上空を見上げた。敵兵が退いたのであれば、広範囲の魔術が襲ってくるだろうと判断した。
イチヤの判断は正しかった。上空に、無数の、鋭く尖った氷柱が出現していた。一気に落下してくる。
自分に向ってくる氷柱ならば、全て叩き落とせる。レトも、自分の身くらいは自分で守れるだろう。しかし、他の兵は不可能だ。この魔術で多くの兵が命を落とし、形勢は一気に傾いてしまう。
一瞬先の未来に、イチヤは少なからず不安を抱いた。「俺一人でもこいつらを全滅させてやる」と息巻いたが、現実的に考えれば、いくら何でも多勢に無勢だ。敵軍にも召喚者がいるのだから、なおさら。
そんなイチヤの不安は、一瞬にして霧散した。
見上げた上空に広範囲の炎が走り、その直後に湯気が広がった。誰かが火の魔術を放ち、上空の氷柱を溶かしたのだ。もっとも、完全に溶かすことはできなかったようで、丸くなった氷の塊が無数に落下してきた。
周囲の兵士達に、氷の塊が当たった。バチバチと痛そうな音を立てている。兵士達は怯み、馬は嘶きを上げて立ち止まった。とはいえ、戦闘不能になった者はいない。
あの火の魔術は、誰が放ったのか。そんなことなど考えるまでもない。こんなことができる魔術師など、一人しかいない。
――ハイディアに助けられたな。
ホッと息をつき、イチヤは、傍にいるレトに声をかけた。
「レト! このまま前進する! 援護を頼む!」
「分かってる!」
怯む馬の手綱を握り、イチヤは、後退した敵軍に突っ込もうとした。
だが、前進を阻むように、前方から突風が吹いてきた。
「!?」
風に押された土煙が、イチヤとレトを包んだ。周りの兵士達の馬が、さらに怯えたように嘶いた。
今の突風は、敵軍から吹いてきたものではない。
イチヤはすぐに、突風の正体に気付いた。
前方の敵が、広範囲で血の海に沈んでいた。丁度、イチヤの前方に道を作るように。切り裂かれて命を失い、地面に落ちた敵兵とその馬。
すぐにイチヤは理解した。上空から風の魔術が落とされ、敵を切り裂いたのだ。そして、地面にぶつかったかまいたちが四散し、周囲に突風が吹いた。
ノース兵の馬だけではなく、生き残った敵軍の馬も、怯えて嘶いている。
この攻撃も、ハイディアの魔術だ。彼女以外に、こんな常人離れした魔術を使える者はいない。
つい、イチヤは苦笑してしまった。
――本当に何者なんだ、あいつ。
誰もが振り返るほどの美貌に、召喚者レベルの魔術。
もしハイディアが敵だったらと思うと、恐怖を感じてしまう。反面、彼女が味方である幸運に、心から安堵した。自軍にはほとんどいない、価値観を共有できる味方。
イチヤは再度、レトを促した。
「敵兵がいなくなった道を進む! レト、援護を!」
「ええ」
敵の死体が転がる道を、イチヤは突き進んだ。死体で足場が悪くなっている。前進の速度が遅い。障害物がある道を難なく進めるほど、イチヤの馬術はレベルが高くない。
突風が治まり、周囲に残った敵兵が襲いかかってきた。
周囲に転がる兵や馬の死体は、敵兵の前進も鈍らせていた。レトの魔術とイチヤの剣ならば、返り討ちにすることは難しくなかった。
戦士型の部隊を突っ切った。左右から襲いかかってくる敵兵はいるものの、前方に、敵軍後衛――魔術師の部隊が見えた。
部隊の先頭にいる、サウスウェストの召喚者の姿も。
敵軍の召喚者。魔術師。イチヤと同じ世界から転移させられた者。転移と同時に、圧倒的な力を得て国の英雄となった女。
サウスウェストの召喚者は、明らかに日本人の外見をしていた。美人と言っていい。肩口くらいに切り揃えられた、セミロングの髪の毛。服装は、この世界に馴染んでいる。魔術師に広く愛用されているローブ。身長は、イチヤよりやや低いくらいか。
「!?」
サウスウェストの召喚者の姿を見て。
イチヤは、目を見開いた。
知っている顔だったのだ。もっとも、彼女の姿は、イチヤの記憶にあるよりも少しだけ大人になっていた。記憶にあるのは、高校生の彼女。今は、酒を呑めるくらいの年齢に見えた。
敵軍前衛を突っ切り、敵軍後衛の部隊と向かい合う位置まで来て。敵の召喚者の姿が、はっきりと見えて。
イチヤは馬を止めてしまった。敵の魔術師部隊まで、五メートルほどの場所。
意図的に止まったのではない。イチヤの体が、彼女に接近することを拒んでいた。
彼女――サウスウェストの召喚者も、イチヤの正体に気付いたようだ。目を見開き、驚いた顔をしている。ただし、彼女の表情には、驚きの中にも余裕がある。イチヤとは正反対に。
かつて貶めた者と、貶められた者の差。その差が、イチヤとサウスウェストの召喚者の間に、明確に表われていた。
「どうしたの!? イチヤ」
イチヤの隣りで馬を止め、レトが訊いてきた。この位置は、敵の魔術師部隊にとって格好の的となる距離だ。戦士型であるイチヤが、優位に立てる距離ではない。
レトに訊かれても、イチヤは何も答えられなかった。ただ、敵の召喚者を凝視していた。
サウスウェストの召喚者が、手の平を後ろに向けて右手を上げた。
敵の魔術師の部隊は、攻撃を仕掛けてこない。召喚者の手が、攻撃の制止を指示するものだと推測できた。
サウスウェストの召喚者。イチヤの口から、彼女の名前が漏れた。
「青野……」
青野千里。かつて、イチヤの恋人の振りをしていた女。
五味と共に、イチヤにトラウマを植え付けた女。
その女が、目の前にいた。




