第三十三話① 優しいだけでは殺せない(前編)
イチヤの号令の直後、ノース軍は侵攻を開始した。ドドドドドドドドッ、という馬の蹄の音。一万もの軍の進攻音は、まるで地鳴りのようだった。
前衛は戦士型の部隊。やや速度を抑えて、魔術師の部隊が後ろに続く。
ハイディア――ハイドは、魔術師の部隊の先頭に立っていた。冷静かつ客観的に、自軍の様子を観察する。
――どいつもこいつも、やる気がなさそうだね。
ノース軍の兵士達にあるのは、仕事としての義務感。イチヤに対する恐怖。それだけで戦っている。少しでも形勢が不利になれば、簡単に逃亡するだろう。勝利に対する執念や執着など、ほとんどゼロなのだから。
人が何かを成し遂げようとするとき、必ず動機が存在する。動機が大きければ大きいほど、目的に対する執着や執念も増す。執着や執念が大きいほど、限界に近い力を発揮できる。
では、今戦っているノース軍の兵士達に、大きな動機があるか。強い目的意識はあるか。
――ないね。
自問に対し、ハイドは簡単に答えを出した。
戦争に勝ってサウスウェストを陥落し、ノースに吸収したとする。では、それで何かを得るのは誰か。王族や、爵位を持つ貴族だ。国防と軍事を司る侯爵、侯爵の傘下についている男爵は、特に得るものが大きい。もちろん、千人長クラスになれば、武勲を理由に爵位を得られるかも知れない。けれど、もともと爵位を得ていた者と、結果として爵位を得た者では、成功に対する報酬も大きく異なる。
命懸けで戦っているのに、得られる報酬は多くない。当然、兵士達の目的意識が高まるはずもない。
それでも、シュウがサウスウェストに攻め込んだときは、溢れるほどの士気が兵士達にあった。理由は簡単だ。もっとも原始的な欲求を満たせるという、目的意識があったから。
他人を好きに蹂躙できるという、征服欲。咎められることなく性欲を満たせるという欲望。
しかし、イチヤの指示により、兵士達の欲求は封印させられた。今の兵士達は、ただ仕方なく、仕事だから、恐怖に後押しされて戦っているに過ぎない。
――この状況で危機に陥ったとき、イチヤはどうするのかな。
ハイドの見立てでは、イチヤの能力は、サウスウェストの召喚者よりも劣る。
ノース軍が進攻し、交戦が開始される距離になった。
「全員、魔術を用意!」
腕を上げて、ハイドが指示を出した。もちろん女性の――ハイディアとしての声色で。
周囲の土は乾いている。馬が進むたびに、土煙が舞っている。この状況で火の魔術を使用すると、土煙に引火して粉塵爆発が起こる可能性がある。それなら、敵軍が火の魔術を使ってくる可能性はそれほど高くない。土か、水か、風のいずれかだ。
ハイドは咄嗟に予測した。まずは右手を横に広げ、指揮をする。
「右翼! 土の魔術で土煙を収束しろ! 石つぶてを飛ばす!」
続いて、左手を横に広げる。
「左翼! 風の魔術を斜め上前方へ! 右翼を援護!」
モチベーションが低くとも、後陣部隊はハイドの指示に従った。
後陣部隊の約半数は、ブランコ村に残った兵士達だ。つまり、ハイドの本当の力を知っている者達。ハイドへの恐怖に包まれている者達。
周囲の土煙が舞い上がり、上空で、魔術によって収束してゆく。凶悪な形をした石になってゆく。
周囲で、風の向きが変わってゆく。こちらから吹き上げ、山なりになって敵軍へと落ちてゆく風。
「撃て!」
ハイドの指示によって、一気に魔術が放たれた。
ほとんど同時に、敵軍からも魔術が放たれた。あちらも、ほとんど同様の攻撃だった。
両軍から放たれた風が正面からぶつかり合い、効力を相殺してゆく。飛ばされた石も相手に向うことなく、真っ直ぐ落下してゆく。
――少し力を込めるか。
胸中で呟いて、ハイドは風の魔術を放った。ノース軍の魔術を後押しするように。魔術師型の召喚者と同等程度の力で。
真っ直ぐ落下する無数の石つぶては、強風に押されて向きを変えた。敵軍に向って飛んでゆく。
遠くから、悲鳴と落馬する音が聞えた。それほど数は多くない。敵軍の戦士型が石つぶてを食らい、怪我をし、馬から落ちたのだ。とはいえ、ほんの数十人程度だろうが。
犠牲を出しながらも、敵軍は構わず向ってくる。
敵軍の兵を、少数とはいえ仕留めることができた。しかし、ノース軍には、勢いに乗る様子がない。淡々とした進軍。
――やっぱり、モチベーションの差は明らかみたいだね。
サウスウェスト軍とノース軍の、戦いに対するモチベーションの差。つまりは、勝って得られるものの差。
――イチヤは、この差をどう埋めるつもりなんだろうね?
イチヤの人間性は、ハイドが召喚者に求めているものだ。私利私欲に囚われず、下劣でもない。自分の力に溺れることのない、希有な人間性。
だからこそ、皇帝を討つ力になるかも知れない。
――でも、ね。
人間性だけでは、皇帝は討てない。力が必要なのだ。
イチヤは、皇帝を討つのに役立つ者か。それとも、人間性に優れただけの無能か。
この戦いで、ハイドは見極めるつもりだった。
両軍の戦士型の部隊が、交戦する距離まで接近した。
ハイドは右手を振り、後陣に指示を出した。
「右翼前方! 右方向から回り込んで、戦士型の援護を! 右翼後方! 敵軍の魔術の相殺に回れ!」
続けてハイドは、左腕を振った。
「左翼! 私と共に左に回れ! 敵軍の魔術師殲滅に向う!」
両国の前衛――戦士型の部隊が交戦を開始した。
その周囲で、ノース軍の後陣が左右に分かれた。




