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第三十一話① レト(前編)


 夕方近くになって、イチヤは、約六〇〇の兵を率いてオプヘティーボ村を出発した。目的地はサクリフィシオ村。あの村を占拠したら、三つの村を拠点としてノース兵を滞在させ、フロンテーラ攻略の準備をする。


 イチヤが出発する直前。


 彼は、レトを疑いの目で見ていた。久し振りにしっかり睡眠を取り、頭がすっきりすると、やはり猜疑心が湧き上がってきたのだろう。本当にレトを信用していいのか、と。本当に、村人をノース兵から守ってくれるのか、と。


 イチヤの心情を、レトははっきりと見抜いていた。彼は、感情が表に出やすいと思う。だから、三日前の晩に伝えたことを再び伝えた。


「あなたは召喚者。私は、召喚者の付き人。付き人は、召喚者の命令に従う。それがたとえ、どんなことであっても。あなたが村人を殺せと言えば殺す。あなたが村人を守れと言えば守る」


 イチヤは短く『わかった』とだけ応えていた。レトを信用しているわけではないだろう。彼には、選択肢がないだけだ。もしイチヤがこの村に残れば、サクリフィシオ村を攻めた兵士は、そこで村人を蹂躙する。だから、イチヤが指揮をしなければならない。


 イチヤを見送ると、レトは宿舎に戻った。長く目を離したら、見張りの兵士達が村人に危害を加えるかも知れない。しばらくは、ほとんど寝ずの番をすることになる。


 宿舎の中は静まり返っていた。もう夕方なので、窓から入る光は薄くなってきている。そろそろランプが必要になる時間帯だ。


 レトは宿舎内を回り、壁に掛けてあるランプに火を灯した。


 宿舎の中央部に村人が集められ、その周囲で兵士達が見張っている。


 兵士達の顔には、明らかな欲求不満が見て取れた。生肉を前にした獣のようだ。今すぐ食いつきたい。でも、食いつくことができない。


 シュウは、下劣な欲求を満たすことを推奨していた。彼自身も村の女性に跨がり、夢中で腰を振っていた。


 正直なところ、レトは、シュウや兵士達に嫌悪感を抱いていた。弱い者を蹂躙し、辱め、弄ぶ。戦争なのだからと、自分達の獣欲を肯定する。彼等の姿を、醜いと感じていた。


 でも、「それが戦争の常識だ」とシュウは唱えていた。敵国の人間には、何をしても許される。自分達も、敵国の兵に殺されるかも知れないのだから。


 シュウの主張が、いつの間にか、レトにも染みついていた。嫌悪感はあるものの、当たり前の光景として受け入れるようになった。


 レトは、召喚者の指示に従わなければならない。召喚者の指示に従い、同時に、召喚者を導く必要がある。召喚者をコントロールして、敵国を攻め、陥落させる仕事。


『サウスウェストかサウスイースト。どちらか一国でも陥落させられたら、お前の母親を助けてやる』


 それが、皇帝ロキがレトに提示してきた交換条件。


 母親を助けられるなら、レトは何でもするつもりだった。物心ついたときから、二人きりの家族だった。たった一人で、レトを育ててくれた。


 世界でたった一人の、大好きなお母さん。


 お母さんを助けるためなら、どんなことでもできる。自分の体を差し出すことも。戦場に繰り出すことも。


「お母さん」


 音にならない声で呟く。室内のランプ全てに火を灯し、レトは壁に寄り掛かった。本当は、ずっと故郷の村にいたい。でも、レトがいたところで、母親を助けることはできない。それなら、母親を助けるために必要な行動をする。


 宿舎内の兵士達に目を光らせながら、レトは、自分の故郷を思い起こした。ヒロイーナ村。森に囲まれた、人口三〇〇人ほどの何の変哲もない村。


 レトは父親の顔を知らない。


 母親がレトをお腹に宿している頃、父親は、狩りで猛獣に殺されたという。魔術師である父は、気付かないうちに猛獣に接近された。鋭利な爪で引っ掻かれ、鋭い牙で噛みつかれ、命を落とした。


 レトを産んだ母は、産後間もなく働き始めた。農作業をし、時には採鉱の手伝いもしてレトを育てた。


 母は綺麗な人だ。未亡人となった彼女に求婚する男は、後を絶たなかった。彼女を口説きながらレトと遊んでくれたおじさんも、数多くいた。


 けれど母は、誰にもなびかなかった。


「すみません。今の私には、レトが全てなんです。夫の忘れ形見が、私の前で笑ってくれてる。それだけで、家族三人で生きていると思えるんです」


 母は、本当に本当に、父を愛していたのだ。そんな父を失ったとき、どれだけ悲しかっただろう。どれだけ苦しかっただろう。どれだけ絶望しただろう。けれど、決して心を折ることはなかった。レトを産み、育ててくれた。


 そんな母に、村の男達は好感を持った。求婚を断られてもなお、彼女を支え続けた。フラれたことに悪感情を抱く男は、誰一人としていなかった。


 懸命に働く母と、支えてくれる村の人達。


 レトは物心がつくと、自分も母親を支えたいと思った。けれど、魔術師型の素養を持って生まれたレトは、仕事を手伝う腕力などない。だから、母や周囲の魔術師の大人に、魔術を習った。


「私、お母さんのお手伝いがしたいの! だから、魔術を教えてください!」


 レトが生まれ育ったのは、所詮は平均的な村だ。大都市のように大勢の人がいるわけでもなく、当然、洗練された魔術師もいない。それでも周囲の大人達は、レトに丁寧に魔術を教えてくれた。


 レトの才能は、瞬く間に開花していった。七歳になる頃には、村で一番の魔術師となった。九歳になる頃には、村では誰も使えない回復魔術を会得した。


「この子は大した子だ。きっと、亡くなった旦那さんが、この子に力を貸してくれてるんだ」


 村のおじさん達が、母にそう伝えたとき。

 母は泣きながら、レトを抱き締めた。


 村一番の魔術師になっても、レトは真面目に修練を重ねた。私が頑張れば、みんなが、お父さんを誉めてくれる。お父さんが誉められると、お母さんが喜んでくれる。それがレトにとってのモチベーションであり、生きる目的とさえ思えた。


 もっと上手に魔術を使えるようになって、お母さんを支えよう。お母さんに喜んでもらおう。そうすれば、きっと、ずっと幸せに生きていける。ずっとお母さんの笑顔を見ていられる。


 幼いレトの、純粋な願い。ずっと続くと信じていた、幸せな日々。



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