第三十話② 秘密ですよ(後編)
腹を蹴られて呼吸が乱れている男。彼に近付き、ハイドは、その首に振れた。軽く握り、そのまま彼を持ち上げる。
魔術師であるハイドが――非力なはずの美女が、屈強な戦士の首を締め上げ、持ち上げている。その光景に、周囲の誰もが驚いていた。兵士達だけではなく、村人達も。
ハイドに締め上げられた男が、足をバタバタとさせた。彼の足が、何度かハイドに当たった。それほど強く締めていないので、呼吸困難にはなっていないはずなのに。
「少し大人しくしてくれます?」
優しく声をかけて、ハイドは、少しだけ締める力を強くした。
「じゃないと、首の骨を折りますよ?」
ヒッ、という声が、男の口から漏れた。彼の首の筋肉が、キュッと締まった。脅しが効いたのか、男は暴れるのをやめた。
ハイドは、首を絞める手を少し緩めた。
「そうそう。そんなに強く締めてないから、苦しくはないですよね?」
「……」
「返事は?」
「……ひゃい……」
「うん。じゃあ、これから私が言うことを、よく聞いてくださいね」
「わひゃりまひた」
滑舌が悪くなっているのは仕方がない。首を絞めているのだから。さすがにそこは責めたりしない。
「じゃあ、まず一つ目。村人を丁重に扱うこと。これは、イチヤ様から命令されてましたよね? 今後はちゃんと守ってください」
「ひゃひ」
男の返答を聞くと、ハイドは周囲を見回した。
「あなた達もですよ? もちろん、この場にいない人達へ、念押しもしてください」
「……」
周囲の兵士達は返答をしない。
ハイドは男の脛を蹴った。
「はぎゃっ」
首を絞めることで声帯が細くなっているのだろうか。男の悲鳴はやけに甲高かった。
「返事はちゃんとしてください」
「お……おれ、じゃない……」
男は涙目になって、蹴られたことを批難してきた。
ハイドは優しく、周囲に微笑みかけた。
「連帯責任です。あなた達がちゃんとしないと、この人に痛い思いをしてもらいます」
周囲の兵士達は、ガタガタと震え始めた。圧倒的な力に蹂躙される恐怖。少しは村人の気持ちを理解しただろうか。
「お……まえら……おね、がい……」
男の目から、とうとう涙が出てきた。痛みの涙か。恐怖の涙か。それとも、ハイドに一方的にやられた悔し涙か。たぶん、全てだろう。これ以上痛い思いをしたくなくて、周囲の兵士達に訴えかけている。
「こいつ、に、逆らわないで……」
「こいつ?」
こんな下劣な男に「こいつ」呼ばわりされ、ハイドは少し苛ついた。男の首を絞めていない方の手で、魔術を発動させる。火の魔術。指先に、小さな火の玉。
「私、あなたの女でもなければ、部下でもないんですよ? 『こいつ』呼ばわりは失礼じゃありません?」
言いつつ、火の玉を、男の股間に近付ける。
「おちんちんって、焼いたらどうなるんでしょうか? 肉の腸詰めみたいに、パリッと焼き上がるんでしょうか? それとも、水分が抜けて縮むんでしょうか?」
「――っ!」
ビクンッと、男の体が震え上がった。
「せっかくだから、確かめてみます? さっきまで丸出しにしようとしてたんだし、丁度いいですよね?」
「やめへ! やめへやめへやめへ! ごめんなひゃい! ごめんなひゃいハイデアひゃま! ゆるひてくだひゃい! ゆるひてくだひゃい!」
先ほどは、足をバタつかせたら首を絞められた。男はしっかり学習したようで、泣き叫びながらも暴れたりしなかった。首を締め上げられながら、必死に許しを乞うている。
ハイドは苦笑してしまった。
「さすがに『様』までは付けなくていいですよ。『さん』付けくらいで」
ハイドは、指先の魔術を解いた。
「じゃあ、おちんちんの丸焼はやめますね」
「ありがひょうごじゃいましゅ、ハイデアしゃん」
『さん』の発音が『しゃん』になっていて、何だか可愛い。ついクスッと笑いつつ、ハイドは再び、周囲の兵士達を見回した。
「あなた達も、分かっていただけました? あ。先に言っておきますけど、返事はちゃんとしてくださいね」
「……わかりました」
一人が返事をすると、他の兵士達も続いた。
全ての兵士の返答を聞いて、ハイドは男を解放した。床に放り投げる。
男が落下して、ドスンと重い音が鳴った。そのまま、周囲が一気に沈黙に包まれる。誰も、一言も言葉を発しない。
兵士達も、村人達も、無言のまま一点を見つめていた。この場にある全ての視線が、ハイドに集中していた。
ハイドは周囲を見回すと、胸の高さくらいに両手を掲げた。手の平は上を向ける。再度、魔術を発動。複数の魔術を展開する。火の魔術。風の魔術。土の魔術。高温の火を作り出し、必要以上に大きく揺らめかないように風の魔術で動きを制御する。これは、ただの火だ。一瞬で鉄を溶かすほどの熱はない。火の魔術の中に、土の魔術を作り出す。鉱物に近い土は火の魔術で燃え、溶け、火だけでは生み出せない熱を発した。
生み出した魔術で自分まで焼かれないように、風の魔術と水の魔術を混合させて防御膜を作る。
これほどの魔術を発動できる者は、大陸中を探しても四名しかいないはずだ。一人は、ハイド自身。他の三人は、三国の皇帝。
ハイドは、先ほどの男に目を向けた。
「そこの、おちんちんを焼かれそうになった方。ちょっといいですか?」
おちんちんを焼かれそうになった方、という呼び名が恥ずかしかったのか。男は少し頬を紅潮させた。もっとも、特に反抗することはない。恐怖が心身に染みついているのだ。
「あ……。はい。何ですか?」
「ちょっと、剣を貸してもらえます?」
「?」
意味が分からないという顔をしながらも、男は、背中の鞘から剣を抜いた。
怯えた様子でハイドに近付き、差し出してくる。
剣を受け取り、柄を握る。そのままハイドは、刀身を魔術に近付けた。
魔術に触れた刀身の中央部が、飴のようにドロリと溶けた。残った剣の先端が床に落ちて、カランと金属音を立てた。
ハイドに集まる、全員の視線。誰もが、驚愕と恐怖に目を見開いている。
ハイドは魔術を解き、刀身の半分以上が失われた剣を、男に向って放り投げた。
男が、慌てて剣を受け取る。しっかりと柄を掴んで受け取った。戦士型の兵だけあって、やはり身体能力と運動能力が高い。ハイドの比ではないが。
皆の視線を受けながら、ハイドは忠告した。
「今日見たことは、誰にも言わないでください。もちろん、イチヤ様も含めて」
返事はない。誰も彼も、驚きと恐怖で口をきけなくなっている。
ハイドは男に近付き、彼の顔に前蹴りを突き刺した。
「ぶげっ!」
男の口から、情けない悲鳴が出た。
もちろん手加減はしている。手加減しなければ、殺してしまう。
鼻っ柱を蹴られた男は、大量に鼻血を流した。顔を押さえながら、涙目でハイドを見ている。
「すみません。返事がないと、ちゃんと聞き入れてるか分からないので。頷くだけでもいいので、了承いただける方は返事をしてくれますか?」
鼻を蹴られた男が「なんで俺ばっかり」と恨み言を漏らしたが、それはどうでもいい。
兵士達は口々に返事をし、村人達も頷き、あるいは「わかりました」と怯えた声で応えた。
「ありがとうございます。村の方々にはご不便をおかけしますが、よろしくお願いします」
言うと、ハイドは壁際に戻った。その場に座り、寄り掛かる。これだけ脅しておけば、大丈夫だ。兵士達は、もう村人を襲わないだろう。この場にいない兵士達も、ここにいる兵士達に忠告されるはずだ。
ハイドは目を閉じた。兵士達も大人しくさせたし、少し寝ても大丈夫だろう。
襲ってくる眠気の中で、少しだけ考える。
今はまだ、自分の正体をイチヤに知られたくない。彼が使える者だと判断したら、ある程度は教えてあげよう。
もちろん、イチヤが自分の目的に従うのであれば、だが。
※次回更新は6/15を予定しています




