第三十話① 秘密ですよ(前編)
「やだ! やめて! 嫌です! やめてください! お願いします!」
女性の悲鳴が聞こえて、ハイドは目を覚ました。あまり眠っていなかったせいだろう、座って壁に寄り掛かったら、少しウトウトしてしまった。
ブランコ村の、常駐兵の宿舎。村人を軟禁している場所。
眠りに落ちかけていたハイドは、悲鳴によって一気に覚醒した。声が聞えた方を見る。宿舎内の中央付近。
ノース兵が、村の女性を襲っていた。イチヤが不在となった隙を狙って、また女性を暴行しようとしているのだ。
「っ」
ハイドは舌打ちをし、座ったまま魔術を発動させた。風の魔術。空気に圧力を掛けて、かまいたちのように鋭くする。
女性を襲っている兵士は七人。彼等に向って、ハイドは魔術を放った。
ヒュッという、空気を裂く音。
七人の兵士の肩や腕、背中が、パックリと裂けた。とはいえ、殺しはしない。一応は、大事な戦力だ。
魔術で斬られた兵士の体から、血が飛散った。「うげっ」だの「いでぇ!」だのという汚い悲鳴を上げて、斬られた兵士達はその場に蹲った。
ハイドは立ち上がり、女性を襲った者達に近付いた。
宿舎一階を見張っている兵士の数は、二十人。そのうち七人が、イチヤの指示を破って村の女性を襲っていた。他の兵士達は、一応は自制していたようだ。
兵士達に近付きながら、ハイドは、現在の設定を思い起こした。
今の自分は、ハイディア。女性の魔術師。
声帯を絞り、細くした。女の声で、兵士達に訊いた。
「何をしてるんですか?」
斬られ、蹲っている兵士達。彼等を見下ろす。
宿舎の窓には、安物のガラスがはめ込まれている。歪み、透明度が低いガラス。光は入ってきていない。まだ外は暗いのだろう。
夜。宿舎の中の光源は、淡いランプの明りのみ。それでも、兵士達の表情はよく見える。憎々しげで、苛立ちを隠さない顔。せっかく楽しもうと思っていたのに、という恨み言が聞えてきそうだ。
「イチヤ様に言われましたよね? 村の人達を丁重に扱え、って」
一番軽傷の男が、肩を押さえて立ち上がった。傷から血が流れ出ている。筋骨隆々の体。戦士型の兵士。彼は、ハイドに手が届く位置まで近付いてきた。その顔には、怒りがはっきりと表われている。
「お前、調子に乗るなよ?」
男は、ハイドに顔を近付けてきた。身勝手な怒りに震える、醜い顔。
「何がイチヤ様、だ。俺達はな、命懸けで戦ってるんだ。それ相応の報酬くらい、あるべきだろうが」
「それが、ここにいる女性達ですか?」
「そうだ。これは戦争だからな。負けたら、何をされても文句なんて言えないんだよ」
「村の人達は、戦うことすらできないのに?」
男は、怒りの表情から一転して、薄ら笑いを浮かべた。挑発的に。
「戦えないなんて、こいつらの都合だ。戦地では、そんなの関係ねぇ」
「弱いから悪い、強ければ何をしてもいい――と?」
「ああ、そうだよ」
男の物言いに、ハイドは多少の苛立ちを覚えた。それでも、努めて冷静に言い返す。
「その理屈で言うなら、あなたは、イチヤ様には逆らえないはずですよね? それとも、あなたがイチヤ様より強いとでも?」
また、男の表情が変わった。苛立ちを主張するように、大きな舌打ちをした。
「イチヤ様イチヤ様って、何なんだ? お前、イチヤに囲われてるのか?」
下劣な発想。強い嫌悪感が湧き出てくる。ハイドは、今すぐこの男を殺してやりたくなった。
男は、ハイドの胸ぐらを掴んできた。
「あんまり生意気なこと言ってると、お前から犯すぞ?」
男が、さらに顔を近付けてきた。目を見開き、ハイドを睨んでくる。脅しているのだ。『痛い目に合いたくなければ、邪魔をするな』『自分達のしたことを、イチヤに告げ口するな』と。
ここでこの男を殺すのは簡単だ。それでもハイドは、最後通告のつもりで伝えた。
「私にそんなことをしたら、イチヤ様が黙ってないと思いますよ? それこそ、殺されても文句は言えないと思いますが」
「問題ねぇよ。告げ口なんてできないくらいに嬲ってやるから」
ハイドは男から目を逸らし、周りを見た。
いつの間にか、見張りの兵士二十人が周囲に集まっていた。ハイドの魔術を食らい、怪我をした者も。皆、欲望に満ちた目をしている。どいつもこいつも、ハイドを――ハイディアを犯してやりたいと、表情で語っている。
――ゲス共が。
嫌な記憶が、ハイドの脳裏で蘇った。怒りに任せて、二十人全員を殺してやりたくなった。でも、まだ駄目だ。今はおとなしくしている必要がある。イチヤを見極めるために。
ハイドは冷静に、兵士達の考えを推察した。
ここにいる兵士達は、全員、戦士型だ。魔術師型より身体能力に優れ、剣が届く範囲の近接戦闘なら滅法強い。魔術師型は遠距離での攻撃が可能だが、魔術を発動させる速度は、剣を振るより遅い。
つまり。兵士達は、この距離であればハイドに勝てると思っているのだ。まして彼等は、圧倒的に数で上回っているのだから。一対二十。
ハイドは小さく息を吐いた。溜め息。この馬鹿共は、少し痛い目を見せないと分からないみたいだ。
ハイドの胸ぐらを掴む、男の手。
傷口を押さえていた手で掴まれ、ハイドのローブは血まみれになっている。
ハイドは右手で、彼の腕を掴んだ。血は彼の腕にも付いていて、少しヌルリとした。
「何だ、その手は。抵抗のつもりか?」
男が鼻で笑った。
「お前の力で引き離せるとでも思ってるのか?」
「……できますよ」
声色は変えない。女の声のまま、ハイドは短く答えた。直後、右手に力を込めた。男の腕を、骨ごと潰すつもりで。
メキメキッという音が、骨の振動となってハイドに伝わってきた。
「あ……え……え?」
男の口から、間の抜けた声が漏れた。
ハイドはさらに力を込めた。
男の腕が、ミシッと悲鳴を上げた。骨が軋む音。おそらく、ヒビくらいは入ったはずだ。
「いっ……いでっ……いででででででででででででで!?」
男の口から、悲痛な悲鳴が吐き出された。
「いでぇ! 腕っ! 腕っ!」
「腕がどうかしましたか?」
ハイドは優しく、男に微笑みかけた。その間にも、男の腕はミシミシと軋み続けている。もう少し力を込めれば、骨が折れるだろう。
「離せ! いでぇ! 離せ! 離せ!」
「……もしかして、自分の立場が分かってないんですか?」
さらに少しだけ、右手に力を込める。男の骨が折れる寸前まで。
男の悲鳴が止まり、声を詰まらせた。あまりの痛みに、声も出せないのだろう。
「人に頼むときは、どんなふうに言うべきです? そんな命令口調じゃ、私、苛立っちゃいますよ?」
男の目が涙目になった。
「悪かった! 悪かったから! 許してくれ! 離してくれ!」
「うーん。あと一押し足りないですね。お詫びと懇願の気持ちが、あまり感じられなくて」
男は痛みで顔を歪ませ、悔しそうに目を閉じ、すぐにハイドを見つめてきた。縋るような目になっていた。
「許してください! 俺が悪かったです! すみませんでした! 離して下さい! お願いします!」
「うん。そうですね。素直なのが一番ですよ」
言いつつハイドは、周囲の村人達に目配せした。
「すみません、ちょっとその辺、どけてもらえます?」
ロープで繋がれた村人達は、ハイドに言われた通り、少し動いた。周囲のスペースが少し空いた。
ハイドは男の腕を放すと、彼の腹に蹴りを入れた。前蹴り。
うごっ、という声を漏らし、男は、空いたスペースに倒れ込んだ。直後、体を丸めて腹を抑え、苦しそうに悶絶した。肩からは、相変わらず出血が続いている。
周囲にいる兵士達が、目を見開いてハイドを見ていた。驚愕の表情。言葉がなくても、彼等の考えが手に取るようにわかる。
『どうして魔術師が、身体能力で戦士を上回るのか』
説明する気などないが。




