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第二十九話 私を信じられなくても


 夜。

 ノース軍が制圧した、オプヘティーボ村。

 村の中央あたりにある、常駐兵の宿舎。


 囚われ、軟禁された村人は、誰も彼もが怯えた顔をしていた。村人は知っているのだ。かつてシュウがサウスウェストに攻め込んだときに、何をしたのか。シュウに先導されたノースの兵が、どんな行為をしたのか。村の男達は、せめて家族だけは守ろうと、強張った表情を見せている。


 だからだろう。宿舎でイチヤが宣言したことに、村人は表情を一変させた。


「村人の逃亡を防止する以外の、一切の蛮行をするな! これを破った奴は、俺が殺す!」


 実際にイチヤは、ブランコ村で、ノース兵を一人殺している。彼の制止を無視して、村の女性を犯し続けようとした兵士を。カボも、殺されはしなかったものの、イチヤに殴られて失神している。


 イチヤが本気だと分かっている兵士達は、皆、憎々しげな顔をしていた。憎々しげで、それでいて恐怖も混じった顔。


「今日から三日、この村で休息を取る。各自、交代で宿舎の見張りをしながら、体を休めろ! 三日後に、ここに一〇〇人の見張りを残して、次の村に向う!」


 イチヤの宣言に対し、返事をする兵士は一人もいなかった。とはいえそれは、イチヤの指示に従わないという意思表示ではない。兵士達は、イチヤの目が届く限りで、彼の指示通りに動くはずだ。返事をしないのは、イチヤに対するせめてもの抵抗か。


 イチヤも、兵士達の心情を理解しているのだろう。返事を強要することはない。


「では、一階に十人、二階に十人の見張りを残して、あとは各自、村の家で休息を取れ!」


 イチヤの指示が終わると、一部を残して、大部分の兵士が宿舎から出た。各々、泊まり込む家に向うのだ。


 イチヤの顔には、少なくない疲労の色が見えた。光源がランプのみの宿舎の中でも、彼の顔色が良くないことが、よく分かる。


 イチヤの隣りに立ち、レトは、彼の顔をじっと見つめた。シュウとはまるで異なる行動を取るイチヤ。


「イチヤ」


 呼ぶと、彼は不機嫌を隠さずレトを見た。


「何だ?」

「あんたも少し休みなさい。あんたが倒れたら、元も子もない」

「わかってる」


 イチヤの目には、レトに対する信頼など微塵もなかった。その理由を、レトはよく理解していた。


 ブランコ村で、イチヤは、村人を蹂躙する兵士達に激高していた。彼に対し、レトは、素直に疑問をぶつけてしまった。


『何をそんなに怒ってるの?』


 シュウは、サウスウェストの村人を当たり前のように蹂躙していた。戦争なのだから、敵国の民を虐げるのは当たり前だと言って。それが戦争の常識。それどころか、こんなことすら言っていた。


『敵国の住民を好きにさせることで、兵の士気が上がるんだ。だったら、むしろ推奨すべきだな』


 トレフォイル大陸の三国は、もう二百年も戦争を続けている。とはいえ、ここ五十年ほどは、国境付近での小競合い程度しかなかった。本格的な戦争とはどのようなものか、現役の兵士は、ほぼ全員が知らなかった。


 シュウの教えによって、兵の士気は確かに高まった。勝てば好き勝手にできる。攻め落とした村の者をどのようにしても、誰にも咎められない。国内で行ったら罪に問われることも、敵国民に対してなら罪に問われない。


 欲望と残酷性が、兵士達の推進力となっていた。


 戦争の勝利という目的に近付き、かつ、傷付くのは赤の他人。だからレトも、シュウの言う常識が正しいと思っていた。


「ほら、イチヤ。来なさい」


 レトは、宿舎の壁際までイチヤを連れていった。その場に座らせ、壁に寄り掛からせた。気を張り続けている彼を、少しでも休ませるように。


「あんたが眠っても、私が兵を見張ってる。もし村の人達に変なことをしようとしたら、私が狙い撃つ。それならいいでしょ?」


 イチヤが休もうとしない理由に、レトは気付いていた。彼は、もう誰も信用していないのだ。いつ、誰が、村人に危害を加えるか分からない。だから、おちおち眠ることもできない。


 予想していた通り、イチヤは、レトに対して疑いの目を向けてきた。言葉はない。けれど、彼の視線だけで、意図を知るには十分だった。


 レトも、イチヤの隣りに腰を下ろした。彼と肩が触れ合うくらい近く。眠気はない。仮に彼が眠ってしまったとしても、代わりに兵を見張ることはできる。


「ねえ、イチヤ」


 レトとイチヤは、ほとんど身長差がない。座った状態でも、同じ高さに視線がある。近くで見ると、彼の目には濃い隈ができていた。


 呼び掛けても、イチヤは、レトと目を合せようとしなかった。じっと、宿舎の中――軟禁された村人達を見ている。その周囲にいる兵士達も含めて。


 構わず、レトは続けた。


「あんたの暮してた世界って、どんなところなの? あんたは、『戦争だからって敵国の人に危害を加えていいはずがない』なんて言ってた。それが、あんたの世界の常識なの? シュウは――前の召喚者は、真逆のことを言ってたけど」


 ようやく、イチヤはレトの方を向いた。


「シュウっていう前の召喚者は、クソ野郎だったんだな」


 憎々しげな口調。声。吐き出した一言を皮切りに、イチヤは話し出した。


「戦争といっても、敵国の非戦闘民には危害を加えない。俺の世界では、これが、国際的な取り決めになってた。ジュネーブ条約とか、ハーグ陸戦条約とか――まあ、名前はどうでもいいけど。とにかく、これを破ったら、国際刑事裁判所で――国際的な犯罪を裁く場で、判決が下される」


 ここまで言って、イチヤは苦笑した。


「俺は、戦争のない国で育った。だから、どこまでが本当で、どこまでが嘘かは分からない。けど、それでも、攻め込んだ敵国で好き勝手する奴は多かったらしい。それだけじゃない。戦争に限らず、災害があったときも。狙われて、傷付けられるのは、いつでも弱い人達だ」


 イチヤの顔が、苦渋に満ちた。


 そういえば、イチヤが以前言っていた。彼が、元の世界で生きていたときのこと。二人の男女に貶められ、悪評を流された。周囲の誰もが、彼を白い目で見た。


 単刀直入に、レトは訊いてみた。


「イチヤは、村の人達に自分を重ねてるの?」


 かつての、弱かった自分を。貶められ、誰からも白い目で見られ、惨めで苦渋に満ちた自分を。


 イチヤの表情に変化はない。けれど、彼の声には実感が込もっていた。


「そうだな。俺が受けた痛みなんて、ノースの村の人達とか、サウスウェストの村の人達が受けた痛みに比べたら、かすり傷みたいなもんだと思う。それでも俺は苦しんだ。五味とか青野を――俺を貶めた奴等を、恨み続けた。でも、恨みよりも、怖かった。俺を蔑む目が、常に向けられてる気がして。時間が過ぎて、地元を離れても、痛みも恐怖も消えなかった」


 五味。青野。その二人の名前を口にしたとき、イチヤの声は一層憎々しげになった。レトの脳裏に、二人の名前が焼き付くほどに。


 一呼吸おくように、イチヤは小さく息を吐いた。


「俺は何年も苦しんだ。生きることに希望が見出せなくなるくらいに。じゃあ、俺よりもはるかに大きな傷を抱えた村人はどうなる? これから先、どうやって生きる? 生きるどころか、理不尽に殺された人だっている」


 イチヤの語気が、少しずつ強くなってゆく。


「だから俺は、欲求だけで誰かを傷付ける奴が許せない。戦争がある限りこんなことが続くなら、戦争を終わらせる必要がある。戦争をすれば、当然死ぬ人はいる。でも、死ぬ人も傷付く人も、最小限にしたい。理不尽に誰かが傷付いていい理由なんて、どこにもないはずだ」


 イチヤが、じっとレトを見つめてきた。隈のできた、疲労が滲む目。それでも、彼の目線は強かった。


「どうしてそこまで、誰かの痛みに対して鈍感になれるんだ? どうして、誰かの痛みに対して無関心になれるんだ? 誰にだって、大事な人はいるはずなのに。『もし自分の家族が同じ目に遭ったら』って、考えられないのか?」


 イチヤは明らかに、レトを責めていた。彼は、言外に聞いているのだ。


『お前は、母親が大事なんだろう? 自分の母親が理不尽に蹂躙されたら、傷付かないのか?』と。


 レトは、イチヤの質問に答えなかった。回答は出ている。でも、言葉にできなかった。言葉にするには、あまりに多くのことを話さなければならなかった。


 ただ、心の中で実感したことがあった。


 イチヤは、シュウとは違う。イチヤの側にいて、彼に力を貸していれば、最小限の犠牲で自分の母親を救うことができるかも知れない。ロキの命令に従い、彼の出した条件を満たしたうえで。レト自身の心を、これ以上傷付けることもなく。


「イチヤ」

「何だ?」

「イチヤがサクリフィシオ村に向うなら、私は一旦あんたから離れる。この村を見張る。村の人達が襲われないように」

「……」


 イチヤは明らかに、レトの言うことを信じていなかった。


 彼の気持ちは分かる。レトは、シュウの付き人でもあった。つまり、シュウの行動に従い、彼の行為を止めなかった。


「私のことを信じられないのは分かる」


 イチヤの表情が、少しだけ動いた。心情を見透かされたことに驚いたのだろうか。こんなにも分かり易い顔を見せておいて。


「ただ一つ言うなら、私は、ノースの召喚者の付き人。指示されれば、自分の体も差し出す。それで、今の召喚者はあんた。だから、あんたの命令なら、絶対に従う。あんたが召喚者である限りは」

「……」

「私自身のことは信じられなくても、召喚者の付き人としての私なら信じられるんじゃない?」


 しばし、イチヤは無言だった。一旦、レトから目を逸らした。少し目を閉じ、小さく息を吐いた。


「レト」


 小さく漏れたイチヤの声は、少しだけ、棘が取れた気がした。


「何?」

「少し寝る。ブランコ村を襲撃したときから、ほとんど寝てないからな」

「ええ。少し休みなさい」

「それで、三日後に、この村を発つ」

「知ってる」

「……そのときは、頼む」


 イチヤは目を閉じた。彼の声は素っ気なかった。でも、声色から、彼の気持ちは伝わってきた。


「わかった」


 イチヤの指示に返答し。返答した口を閉じて。


『そのときは、頼む』


 イチヤの言葉を、頭の中で反芻して。どんなかたちであれ、彼の信用をわずかに取り戻せた気がして。


 レトの口は、無意識のうちに、かすかな笑みを型取っていた。


※次回更新は6/12を予定しています

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