第二十七話 あちらを立てればこちらが立たず
「少しここを離れていいですか? 顔を洗いたいし、食料も調達したいので」
イチヤが兵士達の蛮行を止め、宿舎から出た後。彼に対してそう告げると、快く了承してくれた。
ハイディア――ハイドは一旦、宿舎を離れた。顔を洗いたいのは事実だ。化粧が落ちて、変装が解ける可能性があった。空腹なので、食料を調達したいのも事実だ。
けれど、それ以上に、今後のことをじっくりと考えたかった。
ハイドは、村の出口付近まで足を運んだ。周囲には、低い木製の柵が地面に刺さっている。柵に寄り掛かり、土の上に腰を下ろした。
辺りには誰もいない。ノース兵は、皆、村人の家に行ったのだろう。そういえば、イチヤに殴られて失神したカボは、どうしたのだろうか。誰かが宿舎から運び出したのだろうか。
――まあ、どうでもいいか。
ハイドは水の魔術を使い、顔を洗った。氷を作って鏡のように使い、化粧を直す。喉が渇いたので、再び水の魔術を使い、喉を潤す。
「ふう」
地声を漏らし、ハイドは空を見上げた。女性の細い声を維持するのは、なかなか疲れる。こうして地声を出すと、奇妙な開放感があった。
ハイドはここ数年、トレフォイル大陸の三国を渡り歩いていた。ハイドにとって、国境を流れる川など何の障害でもなかった。夜に潜って渡れば、誰にも発見されずに国を行き来できる。
三国を見て回り、各国の召喚者を影から観察してきた。
召喚者は、どいつもこいつもゲスだった。自分の力に溺れ、自惚れ、我欲を満たすことしか考えない。三国間の争いが小競合い程度であっても、国にとって英雄であることには変わりない。英雄の立場を利用して、欲望のままに生きる者ばかりだった。ノースの前召喚者も、サウスウェストの現召喚者も、サウスイーストの現召喚者も。
もっと前まで遡れば、多少なりとも人格が良い者もいた。けれど、不思議なもので、人格に優れた者は武力に優れなかった。
ハイドの見た限り、イチヤは、人格面では優れている。敵国の人間とはいえ、村人を蹂躙しなかった。それどころか、欲望のままに村人を傷付ける兵士達を止めていた。
人格面で優れ、さらに、戦いには先頭に立って参加する。そんな召喚者は、ハイドの知る限りイチヤだけだった。
――でも……。
ハイドは小さく息をついた。
イチヤは確かに、召喚者としては人格に優れている。しかし、過去の例に漏れず、召喚者としては弱い。それも、圧倒的に。
もちろん、これから強くなる可能性はある。イチヤは真面目そうだし、強くなる必要があるなら、必死に自分を磨くだろう。
とはいえ、ハイドが求める仲間になるには、まだまだ遠い。
なかなか上手くいかないものだと、ハイドは肩を落とした。
バサバサッと、鳥の羽音が聞えた。周囲を見回すと、少し離れた位置にある柵に、鳥が止まっていた。ブゥオだ。恐らく、獲物を探しているのだろう。
イチヤには、食料を調達すると告げてきた。それなら、ブゥオを仕留めていこう。
ハイドはブゥオに向って、人差し指を突き出した。まず、指先に火の魔術を出現させる。けれど、火の魔術だけでは速度が出ない。人間相手ならともかく、野生の鳥では逃げられてしまう。だから、火の魔術に風の魔術を纏わせた。ハイドの指先に出現した炎は、風の魔術に制されて揺らめくこともない。まるで光の球のように、赤く指先を照らした。
ハイドは、指先の魔術を撃ち出した。
魔術は閃光のように空気を貫き、一直線にブゥオに向った。そのまま、ブゥオの心臓を貫く。
バサリと音を立てて、ブゥオが地面に落ちた。即死だったはずだ。恐らく、自分が死んだことも理解できなかっただろう。
ハイドは立ち上がり、仕留めたブゥオに近付いた。狙い通り、一発で仕留めていた。再び地面に座り、ブゥオを手に取って羽をむしり取った。土の魔術で即席のナイフを作り、ブゥオの腹を割き、内蔵を抜いた。頭を落とし、鋭い爪がある足を股から引き抜いた。
「痛っ」
ブゥオの鋭い爪が、ハイドの指に刺さった。それほど深い傷ではない。プックリと、玉状の血が指先から浮き出てきた。
怪我をしたが、ハイドは回復魔術を使わなかった。
もちろん、使えないのではない。ハイドは、全ての魔術を圧倒的に高いレベルで身につけている。魔術師型の召喚者すら凌ぐほどに。切断された四肢すらも、本人に体力が残っていれば、治癒することができる。
ただし、自分自身には使えない。
いや。使えないのではなく、回復魔術が効かない体質と言った方が正しい。まったく効かないのではなく、普通の人族に比べて、遙かに効果が低い。普通の人族であれば切断された四肢が回復するレベルの魔術をかけても、ハイド自身には、かすり傷が治る程度にしか効かない。
これは、ハイドの一族の特徴らしい。大昔に亡くなった母から聞いた話だ。だから、決して大怪我をしないようにと注意されていた。
内臓を抜いたブゥオを、火の魔術で焼く。まずは、強い火力で表面がカリカリになるほどに。それから、火力を弱めてじっくり炙る。香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐった。
食欲をそそる匂いを感じながら、ハイドは、今後について考えた。
まずはこのブランコ村を占拠した。予定では、あと二つほど村を占拠するらしい。三つの村を拠点として、フロンテーラに進出する準備を整える。
ノースの前召喚者は、フロンテーラで殺された。迎え撃ってきた、サウスウェストの召喚者に。ハイドは当時、ノース側の部隊に紛れ込み、前召喚者であるシュウが殺される場面をはっきりと見ていた。
シュウとサウスウェストの召喚者は互いに名を呼び合い、どこか懐かしそうな顔を見せて、笑い合っていた。おそらく、この世界に召喚される前――元の世界で知り合いだったのだろう。それも、かなり親しい間柄。
シュウが、サウスウェストの召喚者の名を口にしていた。かすかにだが、彼の声がハイドの耳にも届いていた。
『チサト』
馬に乗った二人は、戦場にいるとは思えないほど柔らかな雰囲気で近寄った。互いに、どこか照れ臭そうに微笑んでいた。
二人の馬が、ある程度の距離まで近付き。
次の瞬間、チサトの魔術が、シュウの全身を包んだ。人など簡単に焼き尽くす、大きな炎。
馬ごと炎に包まれたシュウは、悶え苦しみながら激しく動き、少しずつ動きが小さくなり、やがて完全に動かなくなった。
ハイドの目から見て、サウスウェストの召喚者はなかなか強い。ハイドなら問題なく殺せるが、イチヤでは無理だろう。現時点で戦えば、間違いなく彼は殺される。シュウのような不意打ちでなくとも。
イチヤの力はチサトに劣る。では、ノース軍がフロンテーラを陥落させるには、どうしたらいいか。
答えは単純だ。召喚者個人の能力ではなく、軍の総合力で上回るしかない。
では、それは可能か。
ブゥオが、いい具合に焼き上がった。
ハイドは一旦火の魔術を消し、肉を一切れ、千切ってみた。繊維状の鶏肉が、綺麗に剥がれた。カリカリの表面に隠れた、柔らかく焼き上がった肉。肉汁が滴ってきた。
千切った肉を頬張る。噛むと、口の中に、甘みのある油の味が広がった。繊維質な肉が口の中で解けて、心地好い歯ごたえを生み出している。
つい全部食べてしまいそうになったが、ハイドは自制した。イチヤには、食料の調達に行くと伝えている。自分一人で食べるわけにはいかない。
焼き上がった肉を持って、ハイドは、宿舎に向って足を動かした。
歩きながらも、思考は続ける。
ノース軍がフロンテーラを陥落させるためには、軍の総合力で上回ることが絶対条件となる。兵力、各兵の能力、戦略。召喚者が劣る分を、率いる兵が補うのだ。
けれど、それは不可能だろう。
村人を蹂躙する兵を、イチヤは止めた。
兵士達のモチベーションは、間違いなく地に落ちた。
それだけではなく、イチヤはカボを殴り飛ばし、従わない兵の首を刎ねた。イチヤは、兵士達から大きな反感を買っているはずだ。今は恐怖で従わせているが、イチヤ以上の力を持つ者が現れたらどうなるか。答は、火を見るより明らかだ。
戦いに意味を見出せない兵士達は、イチヤを見捨てて逃亡する。
「少しもったいないかな」
イチヤなら、ハイドの目的に沿った行動を取ってくれるだろう。
三人の皇帝を殺すのが、ハイドの目的。
皇帝が死ねば、二度とこの世界に召喚者は現われなくなる。戦争も終結する。
とはいえ、皇帝は、強力な魔力と武力を備えている。魔術の面でも武力の面でも、平均的な召喚者を大きく上回る。当然と言えば当然だ。自分を脅かす可能性がある者を、わざわざ召喚するはずがない。
ハイドの想定では。
皇帝一人一人の戦力は、おそらく、今のハイドと同等程度。一対一で戦って勝てない相手ではない。
逆説的に言えば、一人で戦えば殺される可能性もあるということだ。
さらにハイドには、回復魔術の効果がほとんどない。自分と同等程度の相手と戦って、深手を負うことも許されない。三皇帝全員を殺す必要があるのに、一人一人に大きなリスクを負えない。
だから、仲間が欲しかった。強力な仲間。召喚者の中でも、より強い力を持つ者。力に溺れず、我欲に走ることのない仲間が。
人格面では、イチヤは申し分ない。しかし、フロンテーラ進攻の際に、殺される可能性が高い。
ハイドならイチヤを助けられる。兵士達が逃走したとしても。
けれど、ハイドの助けがなければフロンテーラの陥落すらできない者など、必要ではない。
「どうするかな……」
三人の皇帝は、絶対に殺したい。殺さなければならない。
この一二〇年ほど、ハイドは、皇帝を殺すためだけに生きてきた。普通の人族の寿命よりも長い時間を。
考えながら、ハイドは、夜の道を宿舎に向って歩いた。
途中にある家々から、イチヤに対する不平不満の声が漏れていた。
※次回更新は6/6を予定しています




