第二十五話② 何かが引っ掛かる(後編)
「イチヤ」
注意深く周囲を見回し、人影を見逃さないようにしていると、レトに声を掛けられた。
「なんだ?」
聞き返したが、イチヤは、レトの方を見なかった。
レトは構わず続けた。
「ハイディアのこと、どう思った?」
レトの声は、いつも通りに淡々としていた。反面、警戒心も滲み出ていた。
イチヤは、できる限り当たり障りのない回答を口にした。
「ただただ凄い魔術師だ。ありとあらゆる魔術が使えて、応用力も尋常じゃない。俺はこの世界に来てまだ日が浅いけど、とにかく凄いことだけは分かる」
イチヤがこの世界に来て初めて出会った魔術師は、レトだ。彼女が、魔術師としての基準となっていた。いつの頃からか、彼女が、基準どころか他に類を見ないレベルの魔術師だと理解するようになった。
けれどハイディアは、そんなレトよりはるかに上をいっている。
「以前に言ったよね? ハイディアの魔術は、サウスウェストの召喚者より上かも知れない、って」
「ああ」
「そんな魔術師が、どうして今まで、誰の目にも止まらなかったと思う? あのレベルの魔術師なら、どんな片田舎にいたって、絶対に有名になってたと思う」
この世界には、元の世界のような情報通信技術はない。しかし、各村に常駐している兵がいる以上、片田舎にいても、有能な者の存在は必ず目につく。もし大都市にいたなら、村よりはるかに名が知れるだろう。分野は違うが、国中を旅しながら歌うハイドのように。
「私は――」
警戒心を孕んだ、レトの声。彼女は話を続けた。
「――十二になるかならないかのときに、お母さんが病気になって。だから、お母さんの治療のために、必死に魔術の腕を磨いてきた。それこそ、死に物狂いだった。ロキに――皇帝に才能を見出されて、彼に直接指導を受けて。それから、シュウの付き人になるまでの、約四年間。皇帝に才能があるなんて言われた私が、その皇帝の指導を受けて、人の何倍もの訓練をして……」
ロキは、イチヤをこの世界に召喚するほどの力を持つ。彼の指導は、いわば魔術の英才教育と言える。ロキに才能を見出され、英才教育を受けた。だからレトは、この国でも屈指の魔術師となれた。
「――でも私は、ハイディアには遠く及ばない」
「……」
「ハイディアがサウスウェストのスパイとは思わない。サウスウェストのスパイなら、もうとっくに、私達を裏切ってるだろうから」
そりゃそうだろう。すでにノース軍は、サウスウェスト国境の待機所を制圧し、村も一つ占拠した。サウスウェストのスパイなら、こんなことになる前に、イチヤ達の寝首を掻くはずだ。
「じゃあ、今の時点でハイディアを警戒する必要はないんじゃないか?」
「そうとは限らない」
「どうしてだ?」
「サウスイーストのスパイかも知れないから」
この大陸に存在する、残り一国。争いを続ける三国の一つ。
「ハイディアが使った、水中に長時間潜っていられる魔術。あの発想は、私にもなかった。もしハイディアが、サウスイーストの国王に命じられて、ノースに来たのだとしたら?」
「……」
周囲の捜索を続けながら、イチヤは考え込んだ。もし、ハイディアがサウスイーストのスパイだとしたら。
間違いなく、いつかイチヤ達に――ノースに危害を加えてくる。では、それはどのタイミングか。
頭の半分を捜索に使い、もう半分を、レトの質問に対して使う。回答は、簡単に出た。
「少なくとも、現時点で危険はないだろ」
ハイディアが、サウスイーストのスパイならば。
彼女がノースに――イチヤ達に敵対してくるのは、サウスウェストを陥落させてからだ。サウスウェストとの戦いで疲弊したノースを、攻め落とすために。
「確かにそうだけど……」
イチヤは一旦、レトに視線を向けた。捜索を、ほんの少しだけ中断する。
レトは、どこか浮かない顔をしていた。いつも冷淡な彼女にしては珍しい。
「とにかく現時点では、ハイディアは敵じゃない。サウスウェストの攻略も、まだ始まったばかりだ。フロンテーラを陥落させて、占拠できたとしても、戦いのための大きな拠点が手に入るだけだ。ハイディアがサウスイーストのスパイだとしても、ノースに対して仕掛けてくるのは、まだまだ先だ」
「そうね」
レトの表情が、いつも通りに戻った。落ち着いた様子の、無表情。
レトに出会った当初、イチヤは、彼女のことを無感情な人間だと思っていた。いつも表情を変えない。淡々と自分の仕事をこなす。必要に応じて、召喚者に自分の体も差し出す。
でも、レトがほんの何回か見せた、人間らしい感情の動きで。彼女が、母親のために今の仕事をしていると知って。母親がいる国を脅かすかも知れない者に――ハイディアに、警戒を抱く姿を見て。
レトに対するイチヤの印象は、完全に変わった。サウスウェストのような蛮行を働く者達に、脅かさせてはいけない存在。
だからこそ、この戦争に勝たなければならない。
そこまで考えて。
ふと、イチヤは疑問に思った。
「なあ、レト」
捜索を続けながら、彼女に訊く。
「サウスイーストはどんな国なんだ?」
レトは肩をすくめた。
「さあ? 私もよく知らない」
「情報とか、入ってこないのか?」
「まあね。以前にも説明したと思うけど、三国間の戦争は、私が産まれる前から膠着状態だったみたいだから。今回みたいに深く敵国に攻め込んだり、攻め込まれたりするのも、もう何十年振りみたいだし。もちろん交流なんてものもないし」
「なるほどな」
レトの話に頷きながら。
イチヤの頭の中で、何かが引っ掛かった。今の状況に感じる矛盾。でも、何が矛盾なのか、はっきりとは分からない。
今回の戦争を、時系列で頭に浮かべる。
この五十年ほどは、国境での小競合い程度しかなかった。前回、シュウが召喚された。レトが彼の付き人となった。シュウが率いる軍が、サウスウェストに攻め込んだ。フロンテーラを制圧しようとし、敗北した。シュウは、サウスウェストの召喚者に殺された。ノースの召喚者を殺したサウスウェストは勢い付き、ノースに攻め込んできた。国境での、二国間の戦い。サウスウェストはフロンティア周辺の村を占拠し、フロンティア攻略の拠点としようとした。制圧した村々で、暴行や虐殺の蛮行を働いた。危機に向う状況で、シュウの次に召喚されたイチヤが、占拠された村々を解放した。攻め込んでくるサウスウェスト軍を打ち祓った。今は再度、サウスウェストに攻め込んでいる。
何が引っ掛かっているのか。何に矛盾を感じているのか。イチヤは考えを巡らせたが、答えは出なかった。
そのまま、おおよそ三、四時間ほど村周辺の森を捜索し。
逃走した村人はいないと思えたので、イチヤは、村に戻ることにした。
※次回更新は5/31を予定しています




