第二十三話 有能な美女に囲まれた偵察
国境の待機所を出発して五時間ほど。
イチヤとカボが率いる千の部隊は、目的地であるブランコ村から一キロメートルほどの地点に到着した。
森の中。
ここまでゆっくりと進軍したが、思いのほか早く着いてしまった。太陽はまだ沈んでおらず、村人達も農作業などの仕事をしている時間だ。
村への侵攻は、夜に行う。
都市とは違い、村人の仕事は農作業や鉄鋼業だ。村で作った作物や成形した金属を都市で売り、生計を立てる。自分達が口にするのは、村で採れた農作物が中心。そんな生活をしているから、村の人々は、例外なく早寝早起きの習慣が身についている。日本でいうところの午後十時には就寝し、午前五時には起床する。
村人の生活習慣から、夜襲は、日本時間で言う午後十一時頃に決行予定となった。それまでは、森の中で各自休息を取る。
夜襲を待つ間、イチヤは横になり、目を閉じていた。昨夜はまったく寝ていなかった。少しでも疲れを取りたい。
しかし、眠れない。昨夜とは違い、気分の高揚から眠れないのではない。小声ではあるものの、周囲の兵士達が興奮気味に会話をしている。小声だから、どのような会話をしているのかは聞えない。ただ、「疲れを取るために眠らないといけない」と思えば思うほど、周囲の小声が眠りを妨げた。
正直なところ、静かにして欲しかった。だが、下手に注意をして、兵士達の目的意識を削ぎたくもない。興奮気味に話しているということは、それだけ、この戦いに対するモチベーションが高いのだ。彼等のモチベーションを下げ、戦いに対する意欲を失わせたくない。
イチヤは目を開けた。右を見て、次に左を見る。両隣には、レトとハイディアがいる。眠っているのかは分からないが、彼女達も目を閉じていた。
今の状況に、イチヤは苦笑しそうになった。
――両隣に美女なんてな。転生モノの主人公かよ。
どこか嘲りが混じった気持ちで呟く。声には出さないが。
転生ジャンルの小説も、イチヤは何度か読んだことがある。転生先で大きな力を得て、英雄となり、様々な美女に好かれる主人公の物語。確かに面白くはあった。反面、一切共感できなかった。イチヤは、裸の女性を前にすると勃起できない。複数の女どころか、ただ一人の女すら抱けなかった。前世で四十五歳だったが、童貞だった。レトのような美少女が情婦の役割も務めているのに、一回も寝たことがない。
――まあ、それでもいいか。
複数の美女に好かれ、複数の美女と同時に恋人同士となり、幸せな結末を迎える。そんな物語のような結末は、自分にはないだろう。けれど自分には、別の目標がある。
他国の住民を平気で蹂躙する奴等を、根絶やしにするんだ。サウスウェストをノースに統合して、この二国間の戦争を終わらせる。その後はサウスイーストだ。最終的には三国を統一して、大陸を平穏に導く。
目標が達成できれば、きっと、何かを得られるはずだ。日本にいたときには得られなかった何かを。
周囲の兵士達の小声を耳にしながら、イチヤは再び目を閉じた。少しまどろみ、目が覚め、再びまどろむ。そんなことを何度か繰り返しているうちに、太陽が傾いてきた。閉じた目。瞼から透けてくる光が、弱くなってゆく。
やがて周囲は、完全に暗くなった。
トレフォイル大陸は、一年を通して気温の変化がほとんどない。日本のような四季がないのだ。とはいえ、昼と夜では、当然のように夜の方が寒くなる。
気温の変化で、現在の時刻が概ね分かる。
太陽が沈み切ってしばらくすると、イチヤは、横になっていた体を起こした。両隣では、レトとハイディアが横になっている。周囲の兵士達も、横になりながら小声で雑談を繰り返している。まだ、夜襲開始の時間ではない。
レトとハイディアを起こさないように、イチヤはそっと立ち上がった。戦略はすでに決まっているが、決行の前に、遠目からでも村を見ておきたい。足音を立てないように、そっと歩き出す。
「どこ行くの、イチヤ」
声を掛けられて、イチヤは振り向いた。
レトとハイディアが体を起こしていた。彼女達も、眠っていなかったのだろう。
「決行前に、遠目からでも村を見ておきたくてな。ちょっと行ってくる」
「じゃあ、私も行くよ」
レトが立ち上がった。
「村の情報はある程度聞いてるけど、どんなところか見たことないしね。遠目から見るだけでも違ってくるだろうから」
「それじゃあ、私も同行していいですか?」
ハイディアに訊かれて、イチヤは頷いた。
村側に悟られないように動くのだから、馬には乗らない。
イチヤ達三人は、村に向かって森の中を移動した。約一キロメートルほどの道のり。平坦な道ではなく、それほど急いでもいなかったので、到着まで三十分ほどかかった。
森を抜けてすぐのところにある、ブランコ村。森の端から村までは、百メートル以上ある。
森の木々の影に隠れて、イチヤはブランコ村を眺めた。遠すぎて、本当にかすかにしか見えない。イチヤの位置からはっきり見えるのは、村で焚かれているかがり火。火の周囲で村を警護する兵士達。
「レト」
小声で、イチヤはレトに訊いた。
「さっき、ブランコ村の情報をある程度聞いてる、って言ってたよな?」
「ええ」
「どの程度聞いてるんだ? 教えてくれ」
「まず、人口はだいたい七〇〇人くらい。村の主な事業は農業。野菜や麦が主要作物みたい。村に常駐している兵の数は、概ね一〇〇人くらいかな。村の中央辺りに大きな建物があるらしいから、たぶんそれが、常駐してる兵の宿舎ね」
「……ひとつ、聞いてもいいか?」
「何?」
「どこからそんな情報が入ってくるんだ? スパイでも潜り込ませてるのか?」
「まさか。昼間に、何人かの兵に、情報収集に行かせたの。で、村の規模とか働いてる人数、建物の性質なんかを望遠鏡で観察させて、伝えさせた情報」
「望遠鏡か。持ってくればよかったな」
「即席でいいなら、作れますよ」
イチヤの呟きに答えたのは、ハイディアだった。
驚いて、イチヤは大きな声を出しそうになった。慌てて口をつぐみ、小声でハイディアに聞いた。
「本当か?」
「はい。でも、光が反射して見張りの兵に気付かれる可能性があるので、反射式の望遠鏡は作れません。屈折式の望遠鏡になりますが」
「十分だ。作ってくれるか?」
「はい。あと、倍率は高いけど逆さまに見えるタイプと、倍率は低いけど正常に見えるタイプ、どちらがいいですか?」
以前読んだ本から、イチヤは、望遠鏡の理論を少しだが知っている。倍率は高いが逆さまに見えるケプラー式。倍率は低いが正常に見えるガリレオ式。
イチヤは、あらためて、ハイディアの能力に驚いた。科学が日本ほど発展していないこの世界で、望遠鏡の理論を正確に理解している。
「じゃあ、逆さまの方で頼む」
「はい」
ハイディアは土の魔術を使い、望遠鏡の外枠を作成した。先端が大きめの円。接眼部が、先端よりも小さな筒。その中に、氷で作ったレンズをはめ込む。ケプラー式の望遠鏡は、映像の拡大のために凸レンズを二枚はめ込む。氷にレンズの役割をさせるのだから、その氷には、一切の濁りが許されない。さらに、表面が磨かれている必要がある。
ほんの二十秒ほどで、ハイディアは望遠鏡を作り上げた。
「どうぞ、イチヤ様」
「ありがとう」
「レンズは氷ですから、使用時間は数分程度と考えてください。溶け始めて表面に水滴がつくと、はっきりと見えなくなりますから」
「数分もあれば十分だよ」
イチヤは望遠鏡を覗き見た。景色は逆さまだが、かなり倍率が高い。村の様子がはっきりと見える。
畑が多くあり、たくさんの農作物が作られている。酪農は行っていないようだ。牛や馬のような動物が、一切見当たらない。牛小屋や馬小屋もだ。大きな建物が少ないから、見晴らしがかなりいい。中央に大きな建物があるが、それがなければ、村の端から端まで見渡せそうだ。
中央にある建物が、常駐している兵の宿舎だろう。二階建ての、大きな建物。プライバシーが保護されるように、部屋分けされているのだろうか。それとも、国境の待機所のように、一つの階に一室という構造なのだろうか。おそらく後者だろう。その方が、緊急時に伝令が行き渡りやすい。
――だとしたら……。
イチヤの頭の中で、今回のブランコ村侵攻について、より細かい調整が行われた。
当然だが、村に侵攻することは、可能な限りサウスウェスト側に勘付かれたくない。しかし、村人の逃走を許したら、そこから情報が漏れる。どうにか村人を逃走させず、一カ所に集めて監視したかった。
常駐兵の宿舎に村人を幽閉すれば、それが可能だ。村人には、一定期間、避難所のような生活をしてもらうことになるが。
侵攻について頭の中で調整を行うと、自然と、兵士達の役割も決まってきた。常駐兵を攻撃する人員と、村人を捕える人員。
戻ったら、この作戦をカボに伝えよう。
イチヤは目から望遠鏡を離すと、ハイディアに渡した。
「ありがとう。かなり参考になった」
「光栄です」
言いながら、ハイディアは、作った魔術に別の魔術をかけた。望遠鏡は、元の土と水に戻り、地面に消えた。
つくづく、凄い魔術師だと思う。寒気を感じるほど有能な魔術師。
ハイディアを見るレトの視線が、少し鋭くなっていた。警戒の色が表れている。
イチヤは、レトの肩をポンッと叩いた。
「レト」
レトと目が合った。どうやら彼女は、イチヤの意図を察したようだ。
『ハイディアを、変に警戒し過ぎるな』
『必要以上の猜疑心は、無駄な疑心暗鬼を生む』
イチヤの無言のメッセージに、レトは頷いた。釈然としない様子ではあるが。
「じゃあ、一旦戻るか」
「はい」
「うん」
イチヤが促すと、二人は同時に返事をした。
※次回更新は5/25を予定してします




