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第二十話 侵攻開始


 空は、予想通り曇っていた。とはいえ雨が降るほどでもなく、川の水かさが増えることはない。


 イチヤとレトは、計画していた通りに集合場所に向かった。デルパイース川から概ね五〇〇メートルの地点。


 イチヤ達が到着する頃には、すでに部隊が揃っていた。少数精鋭の、約二〇〇の兵達。この部隊を率いるのは、千人長であるカボだ。夜の闇に隠れるように、全員、黒い服を着ている。川を渡るため、防具は着けていない。


 イチヤとレトも、全身を黒で固めている。レトはさらに、黒いフードを目深に被っていた。彼女の金色の髪が光を反射しないように。


「お待ちしておりました」


 イチヤが到着すると、カボが頭を下げてきた。初めて会った日から、カボは、イチヤに対して必要以上に敬意を払っている。少々息苦しささえ感じるほどに。


「お疲れ様です」


 日本風の挨拶をカボに返し、イチヤは、集まった兵達を見回した。黒ずくめの集団の中に、ハイディアを見つけた。


「ハイディア」

「はい」


 呼ぶと、ハイディアが近付いてきた。


「こんばんは、イチヤ様」

「ああ、はい。こんばんは」


 挨拶をされて、イチヤは、つい間の抜けた声で挨拶を返してしまった。暗がりで見るハイディアは、やはり、魂が抜き取られそうなほど美しかった。将軍達や千人長達が骨抜きにされるのも、よく分かる。夜襲用の黒いローブとフードが、彼女が着ることによりドレスにすら見えてしまう。


「それで、ハイディア」

「何でしょう?」

「調子はどうだ? 今回の襲撃は、君とレトが要になるんだけど」

「私は問題ないですよ」


 だろうな。声に出さず、イチヤは呟いた。先日ハイディアの力量を見たときは、正直なところ驚いた。恐怖すら感じた。もしかしたら、今回の襲撃は、彼女一人いれば十分かも知れない。イチヤの鞘を撃ち抜いた風の魔術を使えば、敵の見張りなど簡単に全滅させられそうだ。それほどまでに、彼女の力量は凄まじい。


「イチヤ様はどうですか?」

「俺も問題ない。この三日間、十分休ませてもらった」


 ハイディアは、イチヤの隣りに目を向けた。彼女の視線の先には、いつもイチヤの傍にいるレト。


「レト様はいかがですか?」

「私も問題ない。それに、川を渡るまでの要は、私よりもハイディアだしね」


 レトの口調はいつもと変わらなかった。淡々としていて、ハイディアに対する警戒心が微塵も感じられない。


「恐縮です」


 ハイディアが一礼した。礼儀を弁え、イチヤやレトに対して一歩引いて対応し、それでいて驚異的な能力がある。自分の部下として扱うなら、これほど完璧な人物はいないだろう。


 同時に、完璧過ぎるからこそ恐ろしかった。不信感を抱くレトの気持ちが、イチヤにはよく分かっていた。


「では、カボさん。そろそろ行きましょうか」


 カボを促すと、彼に苦笑された。


「承知しましたが……イチヤ様」

「何ですか?」

「私を『さん』付けで呼ぶのと、敬語で話すのはやめていただけませんか? 恐れ多いので」


 初めてイチヤと会ったとき、カボは「あなたと戦える日が来ることを、楽しみにしています」と言っていた。その瞬間だけ、彼の柔和さが消えたように見えた。上手く説明できないが、ひどく嫌な感じがしたのだ。


 だがそれも、今では気のせいだったと思える。自分に敬意を払ってくれるカボを、イチヤはすっかり信用していた。


 イチヤはカボに苦笑を返した。


「召喚者とはいえ、俺は、戦いの経験が浅い新参者ですから。先輩には敬意を払わせてください」

「まあ……イチヤ様がそう仰るなら」


 少し困ったような顔を見せ、直後、カボは真顔になった。自身が率いる兵達に、進軍の指示を出した。ただし、大声での指示ではない。腕を振り上げ、デルパイース川を指した。


 集まった兵達も、当然大声など出さない。各自それぞれ頷いていた。


 イチヤとレト、ハイディアを先頭にして、部隊は進行を始めた。デルパイース川から三〇〇メートル弱のところで一旦止まると、全員がその場に伏せた。腹を地面につけ、肘と膝を使いながら進行する。ほふく前進。


 概ね十分ほどで、デルパイース川に着いた。周囲が暗いため、二~三〇メートル離れた場所の状況もはっきりとは見えない。敵の見張りの姿も、ボンヤリとシルエットが見える程度だ。向こう側からは、こちらの姿がまるで見えていないだろう。


「ハイディア。レト」


 自分の傍にいる二人に、イチヤは目配せした。彼女達は小さく頷いた。


 ハイディアとレトは、自分の両手で魔術を展開した。風の魔術。彼女達の両手から放たれた魔術は、川辺に集まった部隊全員を包み込んだ。空気の膜。全員をまとめて包んだ膜は、少しすると分裂し、兵一人一人を個別に包む形状に変わった。水の中に潜っても体を包み続ける、空気の膜。


 この魔術は、術者の意図ひとつで簡単に解除できるらしい。川を渡ったらすぐに解除し、敵の待機所に攻め込む。


 国境を見張る待機所は、どの国も一定の間隔で設置している。しかし、浅瀬が続くこの場所には、概ね五~十メートルの間隔で、二十もの待機所が設置されている。


 ノース王国側の浅瀬付近に、待機所はない。すぐ近くにフロンティアがあるからだ。敵の侵入を察知したらすぐ対応できる場所に、軍事都市がある。


 薄らと見える川の向こう。各待機所の近くで、それぞれ一~二人の兵が見張りをしている。外に出ている見張りの数は、全部で三十人ほど。


 川を渡ったら、こちらの兵は分散させる。見張りを殺し、各待機所になだれ込む。待機所の大きさは、日本で言うところの一般的な一軒家ほど。建物の中――狭い場所で戦うなら、魔術師よりも戦士の方が優位に立てる。こちらの兵は、レトとハイディアを除いて全員戦士型だ。誰がどの待機所に侵入するかも、カボがすでに決め、指示しているという。


 こちらの兵士達が、一人ずつ、できるだけ水音を立てないように川に潜り込んでいった。この辺りの水深は一メートルほど。全員が、水面に顔が出ないよう、中腰の体勢を維持している。


 イチヤとレト、ハイディアも川の中に潜った。他の兵と同様に、水面に顔が出ないよう、中腰の姿勢を保つ。彼女達の魔術に体が包まれているので、水中でも問題なく呼吸ができた。


 イチヤの前方で、兵士達が横に散ってゆく。上陸してすぐに、各自が担当している待機所に攻め込むためだ。皆がゆっくりと前進し、先頭の者から岸に上がってゆく。もちろん、水音を立てないように。


 イチヤ達を除く全ての兵が、岸に上がった。全員、その場に伏せて身を隠しているはずだ。黒ずくめで伏せていれば、夜の闇の中では見つからずに済む。


 最後に、イチヤ達も上陸した。


 敵の見張りは、未だ、こちらに気付く様子はない。


 イチヤ達が上陸した地点には、カボが伏せながら待っていた。


 ほふく前進で彼に近付くと、イチヤは、すぐ前方にある待機所を指差した。自分はあの待機所に攻め込む、という意思表示。


 カボが頷いた。


 イチヤは次に、自分を指差した。自分が先頭に立って攻め込む、と。今の場所から二十メートルほど離れた場所に、待機所の見張りがいる。あの見張りに接近するまで、イチヤなら三秒もかからない。見張りが魔術を発動する前に殺せる。


 先頭に立って攻め込むということは、それだけリスクも大きい。真っ先に狙われる対象になるのだから。カボは少し躊躇ったが、渋々といった様子で頷いた。先日の戦いで、イチヤは、敵軍に対して自分だけで攻め込んだ。その実績があるが故に、納得してくれたのだろう。


 カボの了承を得ると、イチヤはすぐに行動した。立ち上がる。一気に駆け出す。背中の剣を抜く。


 イチヤに遅れること一秒程度。川辺で伏せていた兵達も立ち上がり、敵の待機所に向かって走り出した。


 川辺は一気に騒然となった。


 イチヤが向かう待機所。見張りが慌てて両手を突き出し、魔術を発動しようとした。だが、遅い。見張りが魔術が生成するよりも数段速く、イチヤは剣を振った。


 振り抜いた剣に、わずかに引っ掛かるような手応え。見張りの首が胴体から離れ、ドサリという音を立てて地面に落ちた。暗闇の中で、黒く見える血が周囲に飛散った。


 斬った見張りの血を若干浴びつつ、イチヤは待機所に接近した。木造の建物。ドアが見える。


 後ろから、この待機所に攻め込む兵が走ってきている。少し離れた場所でも、フロンティアの兵が、待機所の見張りを次々と斬り捨てている。火の魔術の光が少しだけ見えたが、被害は出ていないだろうか。


 味方の身を案じながらも、イチヤは、待機所のドアを蹴破った。入口からすぐ左側に、二階に繋がる階段がある。一階と二階のどちらに、敵兵は待機しているのか。一つの待機所に概ね十人の兵が常駐し、交代で見張りをしているという。それなら、一階と二階のどちらにも敵兵はいるはずだ。


 自分の疑問に一瞬で回答を出すと、イチヤは二階に向かった。後から来る味方には、一階を攻めてもらう。二階に向かうと、上から攻撃される可能性がある。正面から攻撃されるよりも、上から攻撃される方がリスクが大きい。


 イチヤはあえて、リスクが大きい役割を担った。


 二階で待機していた敵兵が出てきて、階段前に立ちはだかった。五人。騒ぎに気付いたのだろう。奇襲だったにも関わらず、対応が早い。国境を見張る兵だけあって、優秀なようだ。


 敵兵はすでに、魔術を放てる準備を整えていた。


 イチヤが階段を昇りきるまで、あと六段。


 敵兵五人が、一斉に魔術を放ってきた。木造の建物の中なので、火の魔術ではない。二人が氷の魔術を、三人が土の魔術を放ってきた。先端の尖った氷と石が、イチヤに向かってくる。


 瞬きする程度の間に、イチヤは七回、剣を振った。イチヤに向かってきた氷や石は、一瞬で粉々になった。砕け散った破片が、コンコンッと音を立てて周囲にぶつかっている。


 敵の魔術を砕くのとほぼ同時に、イチヤは階段を昇りきった。目の前には、五人の敵兵。暗くても、彼等の目が見開かれているのが分かる。


 イチヤは、敵の人数分だけ剣を振った。五回。肉や骨を切り裂く感触が、手に伝わってくる。


 五人の敵兵は、目を見開いたまま命を失った。ある者は首が落とされ、ある者は上半身と下半身を分断され、ある者は一刀両断にされ。


 イチヤに殺された敵兵は、二人がその場で倒れ、三人が階段を転げ落ちた。胴体から切り離された頭が二つ、ゴトンゴトンと音を立てて階段を転がっていった。周囲を、鉄くさい臭いが包んだ。


 二階の部屋に入り込んだ。一室のみの、広い間取り。イチヤは、他に待機している兵がいないか確認した。


 一階からは、交戦中の音が聞える。重い物が壁にぶつかる音。ドタドタという足音。


 二階に、残った敵兵はいなかった。


 確認を終えると、イチヤは一階に駈け降りた。すでに争う音は聞えない。もう決着がついたのだろう。


 一階の部屋に入った。二階と同じく、一室のみの広い間取り。四人の人間が倒れ、七人の人間が立っている。立っている七人は、いずれも黒ずくめの格好をし、剣を手に持っている。全員、フロンティアの兵だ。


「イチヤ様。こちらは全員片付けました」


 兵の一人が報告してきた。暗くて顔は見えないが、声で男だと分かる。もっとも、フロンティアの戦士型の兵は、七割が男なのだが。


「そうか。二階も全員、片付けた」

「お疲れ様です」

「じゃあ、必要に応じて他の待機所に応援に向かう。少しでも早く片付けて、かつ、味方の被害を最小限にするんだ」

「はい」


 七人の兵がそれぞれ頷き、全員、待機所から駆け出た。


 周囲の待機所からは、まだ争っている音が聞える。


 イチヤは、一番離れた場所にある待機所に向かって駆け出した。


※次回更新は5/16を予定しています。

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