第十九話 侵攻準備
帰郷してから七十九日後に、レトはフロンティアに戻ってきた。
サウスウェスト側に動きはない。デルパイース川付近に見張りの兵を立てているが、攻め込んでくる様子はないという。
敵国は、先日の惨敗で慎重になっているのだろう。
イチヤは、レトを二日ほど休養させた。パスティオン侯爵に話を通し、彼の家で寝泊まりさせた。
レトが休養を済ませると、今後のことを彼女に伝えた。今度は、こちらからサウスウェストに仕掛ける。二〇〇名ほどの少数精鋭でデルパイース川を渡り、待機所にいるサウスウェストの兵を壊滅させる。待機所を一旦拠点とし、追加で一万ほどの兵をサウスウェスト国内に侵入させる。そこから先は、以前のサウスウェスト軍と同じような行動を取る。いくつかの村を占拠し、拠点とする。
その後、最初に狙うのは、サウスウェストの都市フロンテーラ。ノースでいうところのフロンティアのような役割を担い、国境付近の防衛を司っている都市だ。
トレフォイル大陸にある三国は、すべて共通の言語を話し、共通の貨幣を使用しているという。戦争が始まる前までは、三国共に友好的な関係を築いていたのだろう。
それなのに、どうして、二〇〇年にも渡る戦争をすることになったのか。興味本位で、イチヤは、周囲の人々に尋ねてみた。しかし、答えを知っている者は誰もいなかった。
今後の戦略をレトに伝えたうえで、イチヤは彼女に訊いてみた。
「レトは、水中でも呼吸できるように、人の体の周囲に空気を纏わせることができるか?」
レトの回答は、「たぶんできる」だった。念のために、侯爵家の風呂場で試させた。実験台は、当然イチヤだ。
何度か試行し、レトにも可能だということが分かった。しかし、ハイディアほど大勢の人数に施すことは難しいようだ。この魔術を一度にかけられる人数は、ハイディアが一五〇人ほど。対して、レトがかけられる人数は五〇~六〇人が限度だという。
レトにハイディアを紹介した。作戦の要になる魔術師の対面。二回ほど実戦訓練もしてもらった。
戦いの準備を済ませた。今回先行して進軍するのは、カボの部隊だ。彼等と話し合い、サウスウェスト侵攻を三日後の夜とした。天気の変動具合から、恐らく曇り空になると予測される日。
最初に侵攻する二〇〇人は、疲労を取るため、各々が自宅に戻った。三日後の夜に、デルパイース川から五〇〇メートルほど離れた場所で集合する。そこから作戦を開始する。
イチヤとレトの自宅は、フロンティアにはない。三日後に備えて、パスティオン邸に泊まることになった。
パスティオン邸に着くと、豪華な食事を振る舞ってもらえた。食後、使用人に案内されたのは、以前と同じ部屋だった。大きなベッドに柔らかいソファー。ソファーの前にあるテーブルには、水差しとコップが用意されている。
イチヤとレトが部屋に入ると、使用人は一礼し、去って行った。
部屋に入るなり、レトはベッドに身を投げ出した。豪華な食事に、風呂場まである部屋。フロンティアのどの兵よりも、至れり尽くせりな境遇。
それなのにレトは、どこか疲れた様子を見せていた。
「どうした? レト」
聞きながら、イチヤはソファーに腰を降ろした。
「長旅だったり三日後の準備だったりで、疲れたのか?」
レトは何も答えない。ただ、ベッドの上で天井を見つめている。そのまましばしの沈黙の後、彼女は上半身を起こした。
「ねえ、イチヤ」
「何だ?」
イチヤは、水差しからコップに水を注いだ。水差しをテーブルに戻し、コップを口に運ぶ。
「ハイディアって、何者なの?」
ベッドの上からイチヤを見るレト。彼女の視線は、いつになく鋭い。
「なんか、少し前に兵役を希望してきた魔術師らしいな。で、圧倒的に能力が高かったから、今回の作戦に狩り出されたんだ」
ハイディアが何者なのか、イチヤもよく分からない。
ただ一つ、分かるのは。
彼女の圧倒的な能力の前に、恐怖に近い感情を覚えた。
「あの子、たぶん……ううん。間違いなく私より強い」
「……」
レトの言葉に、イチヤは何も応えなかった。正直なところ、イチヤもそれは思っていた。
レトは優秀な魔術師だ。フロンティア軍にいる誰よりも、魔術の腕は優れているだろう。けれどハイディアは、そんなレトより上にいる。しかも、数段上に。
「私、あの子と実戦訓練をしたでしょ?」
「ああ」
「あの子、凄かった。傍目には互角くらいに見えたかも知れないけど、完全に私が押されてた。一つ一つの技術で、私の上をいってた」
「なんとなく気付いてた。ハイディアがレトに合わせて戦ってる、みたいな感じだった」
「気付いていたなら、はっきり言うけど――」
言葉の合間に、レトは一呼吸置いた。小さく息をつく。イチヤを見る視線は、鋭いまま。
「――ハイディアの魔術は、召喚者レベルだと思う。サウスウェストの召喚者は女の魔術師だったけど、あの女よりも強いかも知れない」
レトは、以前のサウスウェストでの戦いに参加している。前召喚者が、サウスウェストの召喚者に殺された戦い。当然、サウスウェストの召喚者がどれくらい強いかも知っている。
レトの言うことが大袈裟ではないなら、現在のノースは、召喚者クラスの人間を二人抱えていることになる。イチヤとハイディア。その事実は、ノースにとっては明るい材料のはずだ。これからサウスウェストと戦う、イチヤやレトにとっても。
それなのに、重苦しい気持ちが心に纏わり付く。不安にも似た気持ち。きっと、レトもイチヤと同じ気持ちなのだ。だから、あんなに鋭い目線でこちらを見ている。
『現状を楽観視するな』
『あまりハイディアを信用するな』
無言で、レトはそう語っている。
ハイディアは美人だ。それこそ、フロンティア軍を束ねる将軍や千人長を骨抜きにしてしまうほどに。さらに、彼女の魔術は強力だ。レトに「召喚者クラス」と言わしめるほどに。彼女と戦ったら勝てる気がしないと、イチヤに思わせるほどに。
とはいえ、ハイディアを警戒する理由が思い浮ばない。彼女が、イチヤ達に危害を加える理由。そんなことをして、彼女に何の得があるのか。そもそも、イチヤに危害を加えるつもりなら、とっくに何か仕掛けているはずだ。それこそ、不意打ちでイチヤを殺すこともできただろう。イチヤを殺すことで他の兵に追われたとしても、彼女ほどの力があれば、逃亡することは十分可能だ。
自分達が感じているこの不安は、何なのか。ハイディアのあまりの美貌と能力に、本能的な恐怖を感じているだけなのか。それとも、無意識のうちに、彼女の危険性を察知しているのか。
コップに注いだ水を、イチヤは一気に飲み干した。コンッと音を立てて、コップをテーブルの上に置いた。フーッと大きく息を吐く。
――考えても意味ないよな。
根拠や理由のない不安は、大半が、ただの杞憂だ。イチヤはレトに苦笑を向けた。
「まあ、とりあえず、ハイディアがサウスウェストのスパイなんてことはないだろ」
「根拠は?」
「スパイなら、俺もレトもとっくに殺されてるはずだ。他の将軍とか千人長も。それだけじゃなく、もっと多くの兵が殺されてるはずだ。ハイディアには、俺達を壊滅させる機会がいくらでもあった」
「……確かにそうかもね」
将軍や千人長は、皆が皆、ハイディアに鼻の下を伸ばしている。彼女がベッドに誘えば、あっさりと引き込まれ、簡単に殺されていただろう。
「でも、俺達は誰も死んでない。三日後には、サウスウェストに侵攻する。寸でのところでハイディアが裏切ったとしても、不意打ちでなければ対応することは可能だ。俺一人でハイディアに勝てなくても、レトと二人ならどうにかできる」
「……うん」
どこか納得できない様子だったものの、レトは同意してくれた。
「じゃあ、もう寝るか。三日後までに、完全に疲れを抜かないとならないしな」
「ええ」
イチヤもベッドに乗り、そのまま横になった。レトと背中を向け合って寝る。男女がひとつのベッドで寝ているが、性的な絡み合いは一切ない。
これ以上ハイディアのことには触れず、イチヤ達は、残りの二日を過ごした。
そして、三日目の夜。
準備を整えると、二人はパスティオン邸を出た。
※次回更新は5/13を予定しています




