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第十八話 恐怖と安堵


 人数分の馬が用意されると、イチヤを含めた十八名はデルパイース川まで来た。


 遙か遠くから流れてくる川。


 イチヤは初めて、昼間のデルパイース川を見た。先日の戦いは夜だったので、向こう岸をはっきり見ることができなかった。


 こうして明るいところで見ると、よく分かる。向こう岸から二、三十メートル離れた場所に、複数の建物がある。国境付近の待機所。木造で、どの建物も二階建てだ。あそこに、サウスウェストの兵が常駐しているのだろう。


 川は、イチヤ達がいる場所を含めて概ね一五〇メートルほど、幅が小さくなっている。そこを過ぎると、突如として幅が広くなっていた。一部分だけ(くび)れのようになっているのだ。川幅が広がるところから、急に深くなるのだという。


 向こう岸を見ると、各待機所から数人の兵が出てきた。見張りだ。対岸にイチヤ達が来たことで、明らかに警戒の色を見せている。川岸から距離を置きつつ、イチヤ達から一番近い待機所の付近に集まってきた。


 対岸の川岸からこちらまでの距離は、概ね二十メートル。一番近い待機所からは、四、五十メートル。彼等の魔術の射程距離内だ。これだけ距離があると、命中精度は低いだろうが。とはいえ、こちらが仕掛けたら、いつでも攻撃できるようにしているだろう。


 イチヤ達は馬から降りた。そのまま全員で、水辺まで足を進める。


 日本では、ほとんどの川がコンクリートなどで整備されている。氾濫防止のためだ。この世界に来て、イチヤは初めて整備されていない川を見た。自然にできた川は、地面からすぐのところで水が流れている。


「では、どうやって試しましょうか? ハイディアに魔術をかけて貰って、全員で川に飛び込みますか?」


 カボに訊かれて、イチヤは、再度向こう岸を見た。サウスウェストの見張りがいる。下手なことをして警戒を強められたくない。


「川の中に入るのはやめましょう。潜水して接近する、という思惑が悟られかねません」

「では、どうやって試しましょうか?」

「とりあえず今は、ハイディアが空気のボールを作れるかを知りたいだけなので。全員で、水に頭を入れるだけでいいでしょう。結局、水中でも呼吸ができれば問題ないので」

「わかりました」

「ただ、全員で一度に試すのも少し危ないですね。向こう岸から、魔術が飛んでくるかも知れませんし」


 見張りの兵士達が集まってきた、向こう岸。集まった人数は、概ね三~四十人ほど。


「大丈夫ですよ」


 さらりと、ハイディアが言ってきた。


「大丈夫って?」

「向こう岸いるサウスウェスト兵が魔術を飛ばしてきても、問題ないということです」

「距離があって、命中精度が低いからか?」


 イチヤの問いに、ハイディアが首を横に振った。相変わらず、綺麗な微笑を浮かべている。


「あの程度の人数で一斉に魔術を放ってきても、私の魔術で防げます」

「は?」


 間抜けな声を上げたのは、イチヤではない。ハイディアを連れてきた将軍と、数名の千人長だ。


「いや。いくらハイディアが優秀でも、あの人数の魔術を一斉に防ぐなど。いや、優秀なのは分かっているが」


 将軍が、ことさら「優秀」を強調して否定した。ハイディアの言うことは信じられないが、彼女に嫌われたくもないのだろう。


 どこの世界でも、男って馬鹿な生き物だな。イチヤは小さく溜め息をつき、ハイディアに訊いた。


「本当に、あの人数の魔術を一斉に防げるのか?」

「ええ。四、五十人くらいまでなら対応可能です」

「どんなふうにして防ぐのか、見せてもらうことはできるか?」

「いいですよ。それじゃあ――」


 ハイディアは周囲を見回し、イチヤの剣に目を止めた。


「イチヤ様。剣の鞘ですが、壊れても問題ありませんか?」

「? ああ。まあ、問題ない」

「じゃあ、その鞘を、真上に投げてもらえますか? 剣が壊れたら大変ですから、鞘だけ」

「真上に?」

「はい。最終的にどんなふうになったか分からないと、証明になりませんから」

「……? いや、まあ、証明できるならいいけど……」


 ハイディアの意図が分からないまま、イチヤは、鞘のベルトを外した。背中から下ろす。剣の柄を握り、鞘から抜く。剣を一旦地面に刺した。


 手にした鞘を、イチヤは大きく振りかぶった。そのまま、上空に放り投げる。


 イチヤの筋力と瞬発力で放り投げられた鞘は、はるか真上まで飛んでいった。おそらく、五十メートル近く舞い上がっただろう。


 ハイディアは、上空に向けて手をかざした。直後、ヒュン、という音が数回鳴った。驚くほど魔術の発動が早い。一瞬遅れて、空中の鞘からカンカンカンッという金属音が聞こえた。風の魔術を当てたのだろう。しかし、魔術で弾き飛ばされることもなく、鞘はそのまま落下してくる。


 ほんの一秒ほどで、鞘は地面に到達した。落下地点は、イチヤの足元。計ったかのように正確に、イチヤのもとに落ちてきた。


 先端から落ちてきた鞘は、地面に突き刺さっている。

 その、地面に刺さった鞘を見て。


 イチヤは目を見開いた。


 鞘には、無数の穴が空いていた。四、五十は空いているだろう。もちろん、イチヤが上空に投げるまでは、こんな穴など空いていなかった。


 イチヤは地面から鞘を抜き、まじまじと見つめた。


「これは……」

「空気を凝縮して圧力を高めたんです。それで、圧力を高めた空気で、鞘に穴を空けました。向こう岸に見える兵士の人数分だけ」

「……」


 イチヤは、穴の空いた鞘に触れた。


 刃物である剣を収めるのだから、当然、鞘は頑丈に造られている。鉄製で、剣を鞘走りさせても問題ないくらいに。その鞘に、これほど多くの穴を開けた。人間がこの魔術を食らったら、ひとたまりもないだろう。体に風穴が空く。


「今は五十ほどの穴を開けましたが、空気の圧力を低くして範囲を広げれば、敵の魔術を跳ね返すこともできます」

「だろうな」


 フーッと、イチヤは大きく息を吐いた。背筋に鳥肌が立っていた。


 イチヤは、この世界に来ると同時に、常人離れした身体能力を得た。かじった程度の剣の腕でも、簡単に敵を倒すことができた。もちろん、一人で万単位の兵を相手にすることは難しいだろうが。それでも、正直なところ、自分は無敵だという気分にさえなっていた。


 けれど。


 目の前にいる、誰もが振り返るほどの美女。男を簡単に狂わせそうな、圧倒的な美貌。


 ハイディアの美しさが、その怖さを引き立てていた。外見からは想像もつかないほどの、驚異的な威力と精度の魔術。


 もし、彼女が敵だったら。もし、彼女と戦うことになったら。


 まるで勝てる気がしない。


「イチヤ様」


 ハイディアに呼ばれて、イチヤは鞘から視線を外した。彼女を見る。背中の鳥肌は、まだ引かない。


「証明はできましたか?」


 相変わらずの落ち着いた様子で、ハイディアが訊いてきた。綺麗な微笑はそのままで。


「そうだな」


 イチヤは思わず苦笑してしまった。ハイディアがノースの人間でよかったと、心の底から思った。つい、本音が口から漏れた。


「証明どころか、安心したよ」

「安心、と言いますと?」

「ハイディアがノースの人間でよかった。もし敵だったらと思うと、肝が冷えたよ」

「褒め言葉として受け取っても?」

「もちろん」

「ありがとうございます」


 穴だらけの鞘に剣を収め、イチヤは、再び背中に掛けた。


 その後、ハイディアが、全員の頭部に空気を纏わせた。


 空気を頭部に纏ったイチヤ達は、川に頭を突っ込んでみた。水の中でも、問題なく呼吸ができた。


 全員が土下座のポーズで川に頭を突っ込むというのは、あまりに間抜けな光景だったが。


※次回更新は5/10を予定しています。

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