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第十五話② 国境での防衛戦(後編)


 夜の闇のせいで、視界が悪い。それでもイチヤの目は、敵の動きを的確に捉えていた。この世界に来たことで驚異的に上昇した、動体視力。


 今イチヤを囲んでいるのは五人。右に二人。前方に一人。左に一人。後ろに一人。周囲に多くの敵兵がいるといっても、全員が一度にかかってこれるわけではない。イチヤに対して剣を振れる人数は、せいぜい六、七人といったところだ。


 イチヤの鋭い動体視力が、敵兵の動きを見極めた。五人の兵が剣を振ってくる。当然だが、剣を振る速度には個人差がある。一番速いのは、右にいる兵の一人だ。


 一番速く斬り込んできた兵の剣を弾き、すぐに切り返して剣を振る。血飛沫。まず一人目。


 次に速かったのは、後方の兵。


 イチヤは体を捻り、後方の兵の剣を弾き飛ばした。捻った反動を使い、体を戻しながら剣を振る。後方の兵の首を、胴体から切り落とした。それだけではなく、右側のもう一人の兵も、この一度の振りで斬り捨てた。


 ピチャピチャッと、血が飛んでくる。敵兵の血で体が濡れてゆくのが分かる。目には血を浴びないようにしないといけない。視界が塞がってしまう。


 イチヤは斜め前に馬を走らせ、前方の兵も斬り捨てた。追ってきた左側の兵も、横薙ぎの振りで絶命させた。


 前方と左側の兵を斬る頃には、また別の敵兵がイチヤを取り囲んだ。イチヤの剣の射程距離内に、今度は六人の兵。


 最初に取り囲んだ五人を斬るのに、概ね一秒ほどかかった。敵兵は恐らく五〇〇〇ほど。もっとも、戦士型の兵はその六割程度だ。残りは魔術師。対岸で援護射撃に徹している。川を渡ってくる様子は、今のところない。


 サウスウェスト軍の思惑では、魔術師も含めてノースに進軍し、攻め込むつもりだったのだろう。その戦略は、イチヤの一騎駆けによってすでに崩れた。


 とはいえ、イチヤに斬りかからず、フロンティアに向かって進軍している兵もいる。ちらりと見た姿と馬の蹄の音から、おそらく五〇〇ほどだろう。敵国の魔術師は、未だ対岸に残っている。進軍しているのは戦士型のみだ。


 イチヤは敵を斬り続ける。数え切れないほどの兵を斬り、イチヤの大剣は、もうほとんど切れ味を失っていた。暗くて見えないが、剣は血と脂で汚れ、刃こぼれもしているだろう。すでに「斬る」のではなく「叩き付ける」という攻撃になっている。もっとも、イチヤの腕力で大剣を叩き付けられるのだから、一撃で十分致命傷になる。振り抜いた剣から、骨を叩き割る感触が伝わってくる。


 敵を斬り続けて、少しばかり疲れてきた。呼吸が荒くなってきている。それでも、敵兵の攻撃は止まない。剣を止めたら殺される。イチヤはひたすら剣を振った。


 全力疾走のような勢いで戦い続ける。敵兵を殺し続ける。イチヤは二度ほど、腕を浅く斬られた。戦いに影響が出るほどの傷ではないが。


 サウスウェスト軍が上陸して、二分ほど経っただろうか。イチヤの通った場所には、多くの死体。それでも向かってくる軍勢。


 ――まだか!? もうそろそろのはずだ。


 敵を斬りながら、イチヤが胸中で呟いた直後。


 イチヤの後方――フロンティア側で、突如、多くの赤い光が宙を舞った。後方に待機していた魔術師達が、進軍してくるサウスウェスト軍に魔術を放ったのだ。


 フロンティアに向かうサウスウェスト軍に、魔術師はいない。まだ上陸していない。氷の魔術で、降り注ぐ火球を無効化することもできない。


 イチヤの後方約五〇〇メートルの場所は、火の海となった。火球を食らい、火だるまになったサウスウェスト軍の兵によって。


 後方の大きな炎が、周囲を明るく照らした。


 フロンティア側で燃え上がる兵士達を見て、サウスウェスト軍に動揺が走った。ノースの前召喚者を殺し、勢いに乗り、一気に進軍してきた。このままフロンティアを制圧し、侵略の拠点にできると思っていた。


 そんな敵国の思惑が、一気に崩れた。


 敵が動揺していても、手を緩める必要はない。むしろ、敵が動揺しているときこそ、付け入るチャンスだ。息を荒くしながら剣を振り、イチヤは、次々と敵を沈めていった。


 川から上陸する兵の数が、少なくなってゆく。すでにイチヤは、三〇〇人以上の兵を斬った。フロンティアに向かった兵は、ほぼ全滅した。混乱の中で落馬し、仲間の馬に踏まれて死んだ兵もいる。


 夜襲を仕掛けてきた敵国の被害は、おそらく四分の一ほど。極端に大きな被害ではない。それでも、敵の勢いを削ぐには十分な戦果だった。たった一人に陣形を崩され、攻め込んだ兵はことごとく殺されたのだから。


 川の中にいる兵は、上陸してこなくなった。水に浸かりながら、イチヤの動きを目で追っている。浅瀬が続く、約一五〇メートル。その距離を何度も往復し、上陸する兵を迎撃しようとするイチヤを。


 サウスウェスト兵の視線を、一身に浴びながら。彼等の勢いを、完全に潰すために。


 イチヤは、高らかに告げた。


「俺はノースの召喚者だ!」


 自分の正体を告げる。人知を超えた力を持つ者。戦争の要となる、各国の英雄。


「攻め込んでこい! 来た奴から片付ける!」


 川の中のサウスウェスト軍は動かない。耳に届くのは、川のせせらぎ。イチヤが乗る馬の蹄の音。


 ほんの数秒後、敵国の指揮官と思われる人物が、やや裏返った声を上げた。


「撤退! 撤退だ!」


 川の中で、サウスウェスト兵達がきびすを返してゆく。攻め込んできたとき以上の勢いで逃げてゆく。


 イチヤは追わなかった。川の中では、馬の動きも鈍くなる。このまま追って不利になるのは、自分の方だ。


 加えて、この戦いの目的はすでに果たした。フロンティアを守り抜く。同時に、自分の存在を知らしめて、サウスウェスト軍の勢いを削ぐ。


 サウスウェストは、ノースの召喚者がすでに戦えることを知った。シュウを殺した勢いは、なくなったはずだ。


 引いてゆく波のように、サウスウェスト軍が遠ざかってゆく。しばらくすると、生き残った全ての兵が川を渡り切り、向こう岸へ消えていった。少しずつ小さくなってゆく、馬の蹄の音。


 やがて、完全に、敵兵の逃亡する音が聞こえなくなった。


 夜の闇の中に、静寂が訪れた。


「ふう」


 息をつき、イチヤは、背中の鞘に剣を収めた。両腕が少し痛い。目を凝らして見ると、右腕に二つ、左腕に一つ、切り傷があった。敵兵にやられたのだ。とはいえ、かすり傷と言っていい程度のものだ。もとの世界で言えば、縫う必要もない程度の傷。


 手綱を握り、イチヤは馬を走らせた。フロンティアの方に向かってゆく。しばらく進むと、大勢の敵兵が燃えていた。明らかに全員死んでいる。多くの兵が固まって燃えているため、火の海ならぬ火の湖のようになっていた。


 死体が燃える火の湖を迂回し、フロンティアに向かう。


 少し進むと、フロンティアの防衛に当たっていた軍勢が待っていた。馬を走らせ、軍勢に近付いてゆく。


 組まれている陣形は、フロンティアに平行となる横一線。前方に戦士の部隊。その後方三~五メートルほどの位置に、魔術師達がいる。


 前方の戦士達のほぼ中央に、魔術師が一人いた。


 レトだ。馬から降りている。


 イチヤはレトに近付いた。彼女の傍で、馬から降りた。


「サウスウェスト軍は撤退した。たぶん、五、六〇〇〇で攻めてきて、被害は一〇〇〇~一五〇〇くらいだと思うけど」

「そう」


 レトは、いつも通り淡々としていた。母親のために、召喚者の付き人をしている女性。元の世界で四十五歳だったイチヤから見ると、少女と言っていい女の子。


「怪我は?」

「ほんのかすり傷程度だ」

「見せて」


 イチヤは、両腕の傷をレトに向けた。浅い傷が三つ。

 レトはイチヤの傷に触れ、魔力を発動させた。回復魔術。


「わざわざ魔術で治すほどでもないと思うけどな」


 苦笑するイチヤに対し、レトは無言だった。無言のまま、イチヤの傷を全て治してくれた。


 魔術をかけ終えると、ポツリと、レトが呟いた。


「あんたに何かあったら、私が困るの。また最初から召喚者を育てないといけないから」

「そうか」


 イチヤはかつて、千里に騙され、貶められた。晒し者にされ、嘲笑の対象となった。イチヤのことを好きと言っていた、偽りの彼女。嘘で塗り固められた女。そんな女に比べると、レトの正直な態度は、むしろ清々しかった。


 レトによる回復が終わった直後、待ってましたとでも言うように、周囲に兵が集まってきた。夜の暗がりでも分かるほど、雰囲気が明るい。


 皆、口々にイチヤを賞賛していた。たった一人で川岸に立ち、敵軍を迎え撃ったこと。完全に敵軍を混乱に陥れ、統制を狂わせたこと。それでもフロンティアに向かってくる敵軍に対し、完全に撃退できる作戦を立てたこと。


 皆が馬から降り、イチヤを囲み、興奮気味に話していた。軍全体から声が上がっているので、誰が何を喋っているのかも分からない。そもそもイチヤは、百人長以上の者しか、顔と名前を覚えていない。賞賛してくる者が誰なのかも知らない。


 イチヤの隣りで、巻き込まれるように兵に囲まれたレトは、どこか呆れ顔だった。


 皆が皆、イチヤの活躍を喜んでいた。名前も顔も知らない者達からの賞賛。自分に向けられる笑顔。この場にいる誰もが、イチヤの勇猛果敢さに酔いしれていた。


 イチヤの胸の奥から、今まで経験したことのない気持ちが湧き上がってきた。


 イチヤが日本で生きていたとき。


 中学までは、読書が趣味の目立たない少年だった。運動神経が悪く身体能力も低いから、誰にも賞賛されることなどなかった。

 高校に進学後は、千里と五味に嵌められて、賞賛とは真逆の環境で生活していた。

 大学に進学後は、過去のトラウマが原因で女性と関わらなくなった。友達もつくらなかった。

 社会人になってからは、ただ淡々と働いていた。


 そして、この世界に来て。


 理不尽な理由によって踏み潰される人を助けたいから、戦い始めて。


 その結果、賞賛の嵐の真っ只中にいる。


 イチヤは、台風の中心。動かない自分の周りで、皆が褒め称えてくれる。


 今、イチヤの胸に湧き出ている感情。

 これは希望だ。

 人生に希望を抱いている。


 イチヤは、生まれて初めて、自分の人生に大きな期待を抱いた。


 この世界でなら、未来に夢を持てるかも知れない。この世界でなら、生きることを楽しいと思えるかも知れない。


 イチヤの顔に、自然に笑顔が浮かんだ。作り笑いではない笑顔を浮かべたのなんて、いつ以来だろう。もう記憶にない。


 まだ夜明け前。


 けれどイチヤには、今の景色がやけに眩しく見えた。


 ――この世界でなら……。


 この世界でなら、たぶん、きっと。

 過去の傷を癒やせる気がする。


※次回更新は5/1を予定しています

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― 新着の感想 ―
現実世界のことを思いだし、この異世界のなかでの自分ですらも、どこか冷静にみつめているイチヤ。すごくよく上手く描写されていると感じます。その心が。
迫力の戦闘シーンでした。 映像が眼前に迫ってくるような。 イチヤ(とレト)を囲んで味方の兵士が称賛する場面は、古典英雄の映画やらなにやらで、壮大な音楽をバックに、ドラマティックな勝利を得て、味方に囲…
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