第十五話① 国境での防衛戦(前編)
ホー、ホーという鳥の声が聞こえる。ブゥオという、フクロウに似た鳥の声。
真夜中。
空は曇っていて、月がほとんど見えない。とはいえ、雨が降るほどの曇りでもない。
イチヤの策が採用された会議から、三日後の夜。
デルパイース川から約五〇〇メートル離れた場所で、フロンティア軍が二千人ほど、夜の見張りをしていた。編成は、戦士が八〇〇人に魔術師が一二〇〇人。いつでも戦えるように、陣形を整えている。交代で休憩を取りながら、デルパイース川の方へ注意を注いでいた。
フロンティアから約一キロメートルのところに、デルパイース川唯一と言っていい浅い部分がある。深さは約一メートル。川幅は、概ね二十メートルから四十メートルほど。船や橋がなくても泳がずに渡れる部分が、一五〇メートルほど続いている。
浅瀬の部分から少し外れると、川は急に深くなるらしい。水深は概ね三メートルほど。深いところでは五メートルくらいになるという。さらに、川幅も急に広くなる。そのため、サウスウェスト軍が奇襲を掛けられる場所は限られていた。
フロンティア軍が組んでいる陣形は、この世界の常識から少し外れていた。
遠距離攻撃ができる魔術師は、通常、近接戦闘をする戦士より二、三十メートルほど後方に陣を構える。戦士が前方に出て敵を直接攻撃し、魔術師が遠距離から援護する。
だが、現在の陣形は、戦士と魔術師の距離がほとんどなかった。せいぜい五メートルほど。
この陣形も、イチヤが考案し、会議で提案したものだった。
イチヤは、デルパイース川のすぐ近くで待機し、見張りをしていた。隣りには、いつものようにレトがいる。二人で交代しながら、川の向こうを見張っていた。二人の傍らには、二頭の馬。
目の前――ほんの五メートルほど先に、デルパイース川。川のせせらぎすら聞こえる距離。
ずっと暗い場所にいるせいで、イチヤの目は、夜の闇にすっかり慣れていた。
イチヤの視界にある、デルパイース川。川の向こうの景色。
向こう岸には、多数棟の建物がある。サウスウェストが、川の見張りのために建てた待機所だ。あそこに、交代制で二、三〇〇人の兵を常駐させ、奇襲に備えているらしい。
今は、イチヤが見張りの時間。すぐ隣りでは、レトが眠っている。眠りは浅いだろうが。
この世界の気候は、年中ほぼ変化がないらしい。日本のような四季がなく、常に温暖。当然、冬眠の習性がある動物もいない。もし四季があり、今が冬だったら、見張りは大変だったはずだ。
一五〇メートルほどの続く浅瀬の部分を、まんべんなく見渡す。正直なところ、イチヤは、できるだけ早くサウスウェストに仕掛けてきてほしかった。野宿での見張りは、決して楽ではない。早く返り討ちにして、少しゆっくり休みたい。
たぶん今夜か、もしくは明日だ。イチヤは、サウスウェスト軍が攻め込んでくるタイミングを計っていた。曇っていて暗く、かつ、雨が降っていない――川の水かさが増していない。夜襲には絶好の気候と言える。
「!」
川の対岸。イチヤから見て右方向、約二〇メートルの場所で。かすかに、何かが動く物影が見えた。
動く影はどんどん増える。すぐに、バシャッ、バシャッという水音が聞こえてきた。馬に乗った兵が、川に入る音。
「レト! 起きろ! 来たぞ!」
イチヤの声に反応して、レトがすぐに上体を起こした。やはり熟睡はしていなかったようだ。
イチヤは馬に乗り、背中に掛けた剣を抜いた。このまま、サウスウェスト軍を迎え撃つ。
「合図だ!」
イチヤが指示すると、レトは、上空に向かって火球を放った。火の魔術。放たれた火球は空高く舞い上がり、赤い線を描いてゆく。打ち上げられた花火のように。もっとも、花火と違い破裂はしないが。
レトの合図に気付いたのだろう、イチヤ達の後方で動きがあった。待機していたフロンティア軍が、戦闘準備を始めている。遙か遠くなので米粒程度の大きさにしか見えないが、影が動くのがわかった。
「レト! 後退しろ! 後ろの奴等に指示を!」
「ええ」
いつもと同じ落ち着いた声で、レトが返答してきた。馬に乗り、フロンティア軍の方向に走り出す。
「無茶はしないで。無理だと思ったら、イチヤもすぐに後退して」
走り去る前に、レトが一言残していった。
深さ一メートルほどの川を渡っているせいか、サウスウェスト軍の動きは鈍い。川のせせらぎを打ち消す、激しい水音。進軍する兵達。彼等は続々と、川に入って進軍してくる。暗い中での目測なので明確には分からないが、その数は五〇〇〇にも上るだろう。
イチヤ一人で、サウスウェスト軍を迎え撃つ。それが、イチヤが会議で提案した作戦だった。
サウスウェスト軍は、ノースの召喚者を殺したことで勢いに乗っている。さらに、次のノースの召喚者が戦場に出てくるのは、当分先だと推測している。そんな彼等に、召喚者としての力を見せつけて撃退したら、どうなるか。
サウスウェスト軍の勢いは、一気に落ちる。
イチヤが提案したのは、自分の力を見せつけるための戦い。だからこそ、こんな無茶とも思える行動を取っている。一対数千の戦い。
とはいえイチヤは、無策で無茶なことを提案したわけではなかった。
この位置の川幅は、二十メートルから四十メートル。川幅に差がある分だけ、サウスウェスト軍がこちらに上陸するタイミングにもズレが出てくる。つまり、一対数千の戦いといっても、一度に数千の兵を相手にすることはない。川から上陸した奴等から斬っていけばいい。
川幅の狭い部分を渡ったサウスウェスト軍の兵が、上陸してきた。
――あとは、俺のスタミナがどこまで保つかだ。
召喚者となって圧倒的な力を得たといっても、体力は無限ではない。心肺に負担を掛ける訓練をし、スタミナ増強に尽力した。だが、これほど多くの兵を相手にするのは、イチヤは初めてだった。
イチヤは馬の腹を蹴り、上陸してくるサウスウェスト軍に向かっていった。大勢の敵軍に対する、一騎駆け。両足を踏ん張って馬から振り落とされないようにし、両手で剣を持つ。利き手――右手だけで剣を持ったら、左側の敵への反応が遅れる。
上陸したばかりの兵達と、目が合った。彼等は一様に、驚いた顔をしていた。上陸直後に、たった一人に迎え撃たれるとは思っていなかったのだろう。
目を見開いている、大勢のサウスウェスト兵。
イチヤは馬を操り、進行方向を変えた。川沿いに走る進行方向。走りながら、手にした大剣を振り抜いた。目にも止まらぬ速度の、数回の斬撃。ヒュンという風切音の直後に、確かな手応え。
多数のサウスウェスト兵の顔が、目を見開いたまま動かなくなった。ある者は首と胴体が離れ、ある者は馬ごと斬られ、ある者は体を斬られて落馬し、他の兵の馬に踏まれた。
夜の闇の中で、血飛沫が舞った。黒く見える血。川を渡ってくるサウスウェスト軍は、仲間の血の雨に濡れていた。
途端に、サウスウェスト軍は混乱に陥った。川を渡った兵が、一瞬で、しかも複数人が斬られた。上陸しようとした兵はその場に立ち止まってしまい、後から来る兵に押されて落馬し、川の中に落ちた。混乱の中で興奮した馬が、川に落ちた兵を踏み潰していた。
イチヤが斬った兵の数は、おそらく二十前後。しかし、この混乱で命を落としたサウスウェスト兵の数は、その倍に上るだろう。この暗がりでも、川が赤く染まってゆくのが分かる。暗いせいで黒く見えるが。
しかし、混乱しているのは敵軍の一部だけだ。イチヤから離れた位置で川を渡っている軍勢は、まだ落ち着いていた。
「密集するな! 間隔を開けて進軍しろ!」
サウスウェスト軍の指揮を執る者だろうか。怒声に近い声が、イチヤの耳に届いた。
混乱している部分を通り過ぎ、イチヤは、これから上陸しようとしている軍勢に向かって走った。
「後方! 援護!」
再度、サウスウェスト軍から声が発せられた。数秒後に、対岸から火球が飛んできた。魔術師達の援護射撃だ。
もっとも、火球は、そのほとんどが明後日の方向に飛んでいる。この暗がりだ。対岸にいる魔術師達が、イチヤの位置を正確に捉えることなど、できるはずがない。ましてイチヤは、たった一人で戦っているのだから。しかも、馬で走りながら。
外れた火球が、上陸したサウスウェスト兵に当たることもあった。火球を食らった兵は体が燃え、落馬し、悶え苦しんでいた。続々と上陸する他の馬に踏まれていた。
それでも、混乱の中で上陸に成功する兵はいる。
川の浅瀬が続く距離は、概ね一五〇メートルほど。当然、イチヤ一人で全員を片付けられるはずがない。
上陸し、イチヤに向かってくる者。イチヤを素通りし、フロンティアに向かってゆく者。サウスウェスト軍の動きには、一貫性がなかった。この混乱で、指揮を執る者が死んだのか。もしくは、指揮を執る者すら混乱しているのか。
「そいつに構うな! 進軍しろ!」
先ほどとは別の声が、サウスウェスト軍から聞こえた。最初に敵兵を迎え撃った方向からだ。周囲の兵を斬りながら、イチヤはきびすを返した。来た方向に戻ろうとする。
振り返った瞬間、多くのサウスウェスト兵が目に映った。フロンティアに向かって進軍する者。イチヤの動きに反応して、留まってしまった者。やはり一貫性を失っている、サウスウェスト軍。
イチヤは川沿いに走った。目に映るサウスウェスト兵を斬りながら。体に、ピチャピチャと生温かい飛沫がかかってくる。敵兵の血。
「進軍しろ! 留まるな!」
再度、川の方から声が聞こえた。サウスウェスト軍の指揮を執る者の声だ。しかし、全員が指示に従うわけではない。むしろ、半数以上がイチヤに向かって剣を振るってきた。仲間を大勢斬られ、興奮状態になっているのだ。
イチヤに群がってくる、サウスウェストの兵士達。
鐙――馬に乗る際に、足を引っ掛ける金属製の器具――に足を掛けたまま、イチヤは馬上で立ち上がった。座ったままだと、後方からの攻撃に対処できない。
怒声や奇声を上げながら、サウスウェスト軍の兵が斬りかかってくる。




