第十話 どうしてあれほどの魔術が使えるのか
ハイドの公演を見た後。
イチヤはレトに連れられて、通りにある露店を見て回った。様々な売り物を見て、確信できた。この世界の物価価値は、やはり、概ね日本と変わらない。一ディネロは概ね一円だと考えることができる。
傾いた太陽が夕日となり、周囲がオレンジ色に染まってきた。
「少し腹減ったな」
「朝食べてから、何も食べてないからね」
「どっかで軽く食ってくか?」
「いいよ」
イチヤの腹が、控えめな音を鳴らしていた。
「この辺に、軽食を取れる店とかあるのか?」
「少し歩くけど」
「じゃあ、案内してくれ」
「うん」
夕日に染まる石畳の道を、レトと並んで歩く。
少し歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ちょっといい?」
イチヤとレトは、ほとんど同時に振り向いた。
振り向いた先には、絶世の美女と言っていい人物が立っていた。小さな車輪着きの荷台で、木箱を運んでいる。荷台の上の木箱には、紺色の布がかけられていた。木箱の中身が見えないようにするためだろう。
目の前のいる美女。けれどイチヤは、その人物が女性ではないことを知っている。
「ハイド……」
「うん」
絶世の美女に見える男性――ハイドは頷き、柔らかく微笑んだ。
「君達、俺の公演に来てくれた人だろ?」
「ええ」
「あ……いや、うん」
ハイドの公演に行ったとき、観衆を掻き分けて強引に前に行った。自分の迷惑行為を思い出し、イチヤは、少しだけ恥ずかしくなった。完全にマナー違反である。
「……っと……さっきの公演のときは、すみませんでした」
素直に謝罪し、頭を下げる。
ハイドはクスクスと笑った。
「確かに、迷惑な行為ではあったけどね」
「本当にどうかしてた」
「でも、それだけ俺の歌に夢中になってくれた、ってことだから。素直に責めることもできないんだよね。しかも、十万ディネロも投げてくれて」
イチヤは下げていた頭を上げ、目を見開いた。
「見えてたのか?」
公演が終了したとき。観衆のほとんど全員が、硬貨を投げていた。無数の硬貨が宙を舞っていた。そんな状況で、自分が投げた金貨の枚数を数えられたなんて。
驚いたイチヤが声を出せずにいると、ハイドはまた笑った。
「ずいぶん奮発してくれたなぁ、って思ったから。もしかして、詫び賃なんかも含まれてる?」
「いや。あれは純粋に、あんたの歌を評価した額だ。なんなら、もっと投げてもよかった」
「ありがたいね」
うんうんと満足そうに頷き、ハイドは、今度はレトに視線を向けた。
「お姉さんは楽しんでもらえた?」
「ええ。私は一万ディネロしか投げなかったけど。でも、イチヤの言う通り、もっと投げてもよかった」
「ありがとう。そうやって評価してくれる人がいるから、俺も歌人なんてやってられるわけだしね」
ハイドは素直に、感謝の言葉を述べた。
レトの様子は、いつもと変わらない。澄ました顔で、愛想笑いを浮かべることさえない。まるで、自分の心を殺しているかのように。無理もないとは思うが。
そんなレトの口から、ハイドに対して疑問が投げかけられた。
「一つ、訊いてもいい?」
「いいけど。俺に答えられることなら」
「あなたが使ってた風の魔術。あれって、かなりの高等技術だよね。自分の歌声を風で広範囲に運んだり、投げ銭を全部木箱まで導いたり。特に、風で声を運ぶ魔術は、相当な高等技術だと思う。理屈上では可能だろうけど」
「音ってのは、空気を伝わるものだからね。空気である風が音を運べるのも道理だろ?」
「ええ。でも、あそこまで音を乱さずに風で運べるのは、よほどの精度がないと不可能だと思うけど」
「そうなの? ありがとう。褒め言葉として受け取っておくよ」
「あなたは、あんな技術をどこで身につけたの? 私は魔術師なんだけど――同じ魔術師として、凄く気になる」
ハイドに質問するレトを見て、イチヤは、意外な気分になっていた。
――レトって、こんなに喋る奴だったのか?
レトが、何かの説明以外でこんなに喋るところを、イチヤは見たことがない。
「風の魔術で音を運べる人を、私は、何人か見たことがある。どれも、何十年と魔術を使い続けた老人だった。しかも、あなたほど音を運ぶ精度は高くない。音を運ぶ距離が長くなれば長くなるほど、音は濁って、雑音みたいになってた」
ハイドの外見は、どう見ても二十代中盤だ。彼が外見通りの年齢でなかったとしても、四十には届いていないだろう。そんな彼が、何十年と魔術を使い続けた老魔術師以上の技術を見せたのだ。
ハイドの歌を聴いたとき、レトは、感動より先に驚愕していた。今の彼女の話を聞いて、イチヤは、その理由に気付いた。
澄ました顔のレト。ただし、その目は鋭くハイドを見つめている。
彼女に対し、ハイドは苦笑で答えた。
「お姉さんが見てきた老魔術師って、たぶん、兵役に就いてた人達だろ? 要するに、もともとは戦うためだけに魔術を磨いてきた人達だ。音を運ぶ魔術なんて戦いでは役に立たないから、兵役に就いていた若い頃は、そんな訓練なんてしていなかった。だから、音を運ぶ精度が低いんじゃない?」
確かに。自分に対する説明でもないのに、思わずイチヤは頷いた。
「対して俺は、自分の歌を、より多くの人に聞いてもらうためだけに訓練したから。歌はもちろん、風の魔術も。伸び盛りの年齢のときに戦うことばかり考えて、引退した後に、戯れ程度に音を運ぶ魔術を練習した老人。伸び盛りのときに、より正確に、かつ遠くに音を届けることを考えてきた俺。その差だろ?」
「……そう、かもね」
どこか釈然としない様子で、レトは頷いた。ハイドの言うことは辻褄が合っている。
「じゃあ、俺は行くから。こんな無防備な状態で大金を持ち歩くのも、ちょっと怖いしね」
ハイドが今日の公演で得た投げ銭は、百万ディネロ近くあるだろう。日本で例えるなら、札束を鞄にも入れずに持ち歩いているようなものだ。
イチヤは再度、ハイドの歌を賞賛した。
「今日の公演は本当によかった。今度は、ちゃんとマナーを守って聴かせてもらうよ」
「そうしてくれるとありがたいね」
また、ハイドがクスリと笑った。夕日に照らされた姿には、公演のときとはまた違う美しさがあった。
「あ、そうだ」
立ち去ろうとした足を、ハイドは一度止めた。
「せっかくだから、名前を教えてもらえるかな? こうして会えたのも何かの縁だし」
「俺はイチヤだ」
「……レト」
「イチヤにレトね。また会えたらいいね」
ハイドは再び軽く笑い、去って行った。
「じゃあ、俺達も行くか」
「ええ」
イチヤの言葉に、レトが頷く。剣の手入れが終わるのは、夕方頃。丁度いい時間だ。
その後、イチヤとレトは近くの食堂で軽食を摂り、鍛冶屋に向かった。
※次回更新は4/16を予定しています




