第九話② ハイド(後編)
今、ハイドが歌っている曲。吸血鬼の少年とエルフの少女が、恋に落ちる曲。
吸血鬼の寿命は永い。さらに吸血鬼は、大人になって成長が止まっても、寿命が尽きるまで老化しない。対して、人族やエルフ、ドワーフなどの人類は、当たり前のように歳を取る。
歌詞に登場するエルフの少女は、閉鎖的な村で生まれ育った。純血のエルフだけで構成された村。閉鎖的な村だから、外部の人間など迎え入れない。
エルフの少女は、ある日、森の中で、吸血鬼の少年と出会った。
実在さえ怪しまれている、吸血鬼という生き物。だから少女は、少年が吸血鬼だとは知らない。吸血鬼だと気付くこともない。
二人は何度も、森で密会した。二人だけの秘密の時間。何よりも楽しいひと時。
閉鎖的な村で育った少女は、次第に、少年に惹かれてゆく。
少年も同じように、少女に恋心を抱いてゆく。
自分の気持ちに気付いたとき、吸血鬼の少年は、少女との接し方が分からなくなった。自分は、彼女と一緒に歳を取ることができない。彼女が成人し、中年になり、やがて老女となっても、自分はほどんど変わらない。いつか彼女を失っても、そこから永い年月を生きることになる。彼女の寿命よりはるかに長い年月を、生き続けることになる。
たとえ少女が年老いても、自分は彼女を愛し続ける。そう断言できる。けれど、少年は怖かった。彼女を見取った後、そこから永い年月を生きることが。生きていれば忘れてしまうことがある。一緒に過ごした彼女の姿が、思い出から消えてゆく。
少女が大人になったとき。少女だった彼女の姿が、思い浮ばなくなるかも知れない。
少女が中年になったとき。大人になりたての彼女を、忘れてしまうかも知れない。
少女が老女となったとき。中年だった彼女が、記憶から消えてしまうかも知れない。
そして、彼女が寿命で息を引き取った後。それから続く、少年自身の長く永い人生で。
少女が、自分の心から消えてしまうかも知れない。
ハイドの曲の中で、結末は語られなかった。吸血鬼の少年がどんな決断をしたのか。エルフの少女と、どんな関係になったのか。歌詞の最後で、少年は、少女の最後を見取っていた。最後を迎えた彼女に、「愛してる」の言葉を残していた。
少年の「愛してる」を訊いた少女は、そのとき、どれくらいの年齢だったのか。どんな表情をしていたのか。この曲の物語が悲恋なのか、成就した恋なのか。
明確な答えがないまま、曲は終わった。どこか悲しくて、二人の幸せを願わずにはいられない。そんな、胸に残る曲。心に響く物語。
曲が終わると、またも、盛大な拍手が湧き上がった。無意識のうちに、イチヤも夢中で拍手をしていた。普段は冷淡なレトですら、両手を強く叩き合わせていた。
噴水のある壇上で、ハイドは、水を飲みながら少し話し始めた。日本のライブでいう、MCのようなものだろう。
ハイドのMCを聞きながら、イチヤは、レトに小声で訊いてみた。
「この世界には吸血鬼がいるのか?」
元の世界では、吸血鬼は空想上の生き物だった。人間のような姿をしているが、人間とは明らかに異なる特徴がある。太陽の光を浴びると灰になってしまうので、夜しか活動できない。寿命が長く、若い姿を何十年何百年と保っていられる。ニンニクや十字架が苦手。そして、その名の通り、人の血を吸って生きている。
イチヤの質問に少し考え込んだ後、レトは、曖昧な回答を返してきた。
「何百年か前まではいた、っていう記録らしき物はあるみたい」
「ってことは、絶滅したってことか?」
「一応、そういうことじゃない? まあ、その記録も、本当にあるのかないのか分からないくらいなんだけど」
「なるほどな」
どうやらこっちの世界でも、吸血鬼は空想上の生き物なのだろう。レトの話を聞いて、イチヤはそう結論を出した。元の世界でもそうだった。すでに絶滅した生き物でも、本当に実在したのなら、生きた痕跡が残っている。人類以外の生き物なら恐竜が、人類ならネアンデルタール人などが該当する。
存在した痕跡が――記録や化石などの有無が――曖昧であることが、吸血鬼の存在を否定する証拠だと思えた。
イチヤが考え込んでいる間に、ハイドのMCが終わった。また曲が始まる。
歌声が届いてくると、再び、心が奪われてゆく。
その後ハイドは、MCを要所要所に挟みながら、二十二曲も歌い続けた。曲が始まるたびに、集まった人々は聞き惚れ、終わるたびに盛大な拍手が起こった。
太陽はすでに傾き、夕日になろうとしていた。
壇上のハイドは薄らと汗をかき、前髪が少し額に張り付いていた。濡れた髪の毛が、彼の美しさに艶っぽさも与えていた。
ハイドは、噴水まである階段に腰を降ろした。風の魔術によって、彼の声が流れてくる。
「今日はありがとう」
ハイドの声は少し枯れていた。あれだけ歌い続けたのだから、当然だが。イチヤ達が来てから、二十二曲も歌った。おそらく、全部で三十曲は歌っていたのだろう。日本では、一度のライブで歌う曲の数は、せいぜい十数曲だ。その二倍もの曲数を、クオリティは落とさずに歌い続けた。人間離れしているとさえ言える、彼の歌人としての能力。
「今日の公演の価値は、みんなが決めてくれ。〇ディネロでも、十万ディネロでも。今日の俺の価値は、俺が決めるものじゃなく、みんなが決めるものだから」
直後、様々な色の硬貨が、ハイドの横の木箱に向かって飛んだ。傾きかけた太陽に照らされて、飛び交う硬貨がキラキラと光っている。
不思議なことに、どの硬貨も、しっかりと木箱に向かって飛んでいた。見当違いの方向に飛んだ硬貨も、カーブを描くように軌道を変えて木箱に収まっている。
「……ハイドって、本当に凄いんだ」
レトの口から溜め息が漏れた。
「確かに凄かったよな。すっかり聴き込んじゃったし」
「ううん、そうじゃなくて。確かに、歌も凄かったんだけど」
「?」
イチヤが首を傾げると、レトは、飛び交う硬貨を指差した。
「硬貨が全部、木箱に落ちてるでしょ? あれ、風の魔術でそうしてるの。硬貨が飛ぶ広範囲に展開して、全部、木箱に入るように風を吹かせてる」
「……」
なるほど、と思った。だから、観衆が投げる硬貨が、全部しっかりと木箱に入るのか。
「普通、こういう路上公演で投げ銭がされると、歌人とかパフォーマーは、最後に硬貨を拾い集める作業をすることになるの。あんなことができるんだったら、必要ないだろうね」
「この魔術も高等技術なのか?」
「ええ。こんなことができるなら、もしかしたら、他の魔術を風の魔術で運ぶことができるかも知れない」
「どういうことだ?」
「例えば――回復魔術は、遠距離ではできないの。回復させる対象に触れる必要がある」
「回復魔術も風でコントロールして、遠距離でかけられるかも、ってことか?」
「そう。まあ、実例なんて見たことないけど」
苦笑めいた声を漏らした後、レトは、自分の財布から金貨を一枚取り出した。一万ディネロ。宙に放る。金貨は風の魔術に捕まり、そのまま木箱に収まった。
イチヤも、自分の財布から金貨を取り出した。十枚。レトに貰った額の、三分の一ほど。まとめて握った金貨を、そのまま上空に放り投げた。
イチヤの真上に飛んだ金貨は、やはり風の魔術に乗り、木箱に収まった。
「ずいぶん奮発したね。そんなにハイドの歌がよかったの? まあ、本当に凄かったけど」
「まあ、な」
高校で、青野千里に騙されて。五味秀一に貶められて。あの屈辱以降、イチヤは、何かを強く求めることなどなくなった。この世界に来て、不条理な暴力に晒される人達を見て、彼等を助けたいと思った。でもそれは、何かを求める気持ちではない。ただ、虐げられる人達に、かつての自分を重ねていただけだ。
でも、ハイドの歌を聴いて。心を奪われて。本当に久し振りに、イチヤは、自分から何かを求めた。間近で聴きたい。感じたい。求めることはこんなに心地好いのだと、初めて実感した。
「俺達は、フロンティアを中心に戦うことになるんだろ?」
「ええ、そりゃあ、まあ。国境付近の都市だし」
「それならまた、ハイドに来て欲しいからな」
ハイドがまた来てくれるなら、いっそ、財布ごと投げてもよかったくらいだ。さすがに自重したが。
「じゃあ、夕方までまだ時間もあるし、もう少し街を回るか」
「そうね」
投げ銭をした人達が、周囲から去って行く。
人々の流れに乗って、イチヤとレトも公園を後にした。
※次回更新は4/13を予定しています




