第九十九話 たとえ何年かかっても
窓から差し込む朝日の眩しさで、イチヤは目を覚ました。
頭がボーッとする。意識がはっきりしない。
部屋の天井が目に映っている。あまり馴染みがない天井だ。けれど、まったく知らない天井ではない。
意識がはっきりしてきた。ここがどこか、理解できた。
マセリアの部屋。
今いる場所を理解したことで、イチヤの意識ははっきりと覚醒した。昨夜の出来事を、明確に思い出した。
この部屋でレトを抱いた。好きな人と、ひとつになった。
「レト?」
上半身を起こし、室内を見渡した。レトの姿は、どこにも見当たらない。
もしかして、昨夜のことは夢だったのだろうか。自分はまだ男性不能で、好きな人を抱くことなどできなかったのだろうか。
床には、散乱したイチヤの服。イチヤ自身は、何一つ着ていない。
散らばった服と裸の自分が教えてくれた。夢ではなかった、と。確かに、レトを抱いたのだ。
イチヤの顔が、自然と綻んだ。嬉しくて、幸せで、たまらない。胸がギューッと締め付けられる。もっとレトと一緒にいたい。もっと彼女を抱き締めたい。
何度でも、レトに好きだと伝えたい。
床に散らばっているのは、イチヤの服だけだった。どうやらレトは、先に起きて部屋から出ていったらしい。
――ひと声かけてくれればいいのに。
レトの一声で目を覚ましていたら、彼女をベッドに繋ぎ止めていただろうが。
どこか気怠さが残る体を起こした。ベッドから降り、イチヤは服を着た。
ドアを開き、部屋から出る。
リビングダイニングでは、ハイドが朝食を作っていた。イチヤが起きてきたことに気付いたのか、こちらを振り向いた。
「ああ、起きたんだ? おはよう、イチヤ」
「ああ、おはよう」
挨拶をされて、条件反射で挨拶を返して。
――あ。
声にならない声を、イチヤは漏らした。
マセリアの部屋から出たところを、ハイドに見られた。つまり、一晩中レトと一緒だったと、ハイドに気付かれた。
恥ずかしさで、イチヤの頬は熱くなった。
恥ずかしかったが、恥ずかしさよりも早くレトと顔を合せたかった。
「なあ、ハイド」
「ん? 朝食ならもう少しでできるよ」
「いや、そうじゃなくて。レトは?」
「ああ。散歩に行くって言ってたよ」
「そうか」
散歩なら、俺も誘ってくれればよかったのに。ほんの少しの不満を、胸中で漏らした。
しばらくすると、プリメラも起きてきた。
三人で、ハイドが作った朝食を食べた。
しばらくして、昼間になって。
太陽が真上に昇る時間になっても、レトは帰ってこない。
「なあ、ハイド」
「何?」
「レトは散歩に出たんだよな?」
「うん。本人が散歩に行くって言ってたよ」
「……」
レトに会いたい。
「ちょっと、レトを捜してくる」
いてもたってもいられず、イチヤは家から出た。
ヒロイーナ村はそれほど広い村ではない。簡単に見つかるだろうと思っていた。
村中を駆け回った。
周囲を見回し、村人達に声をかけた。
村のどこにも、レトはいなかった。誰も、レトの姿を見ていなかった。
気が付くと、太陽が傾き始めていた。夕方になっても、レトを見つけられなかった。家に戻ってみたが、帰ってきていなかった。
村のどこにも、レトがいない。
どうしようもなく嫌な予感が、イチヤの胸に広がった。昨夜があまりに幸せだったからこそ、恐くてたまらなかった。
嫌な予感。このままレトと、二度と会えなくなる予感。
「村長の家に行ってくる」
ハイドとプリメラに伝えて、イチヤは村長の家に向った。
昼間、外にいた村人にレトの居所を訊いた。誰も知らなかった。でも、もしかしたら、村長なら知っているかも知れない。
何か村の用事で、遠くに出掛けただけかも。
きっとそうだ。
それなら、村長がレトの居場所を知っているはずだ。遠くに出掛けただけだから、すぐにまた会えるはずだ。
村長の家に着いて。
家の中に駆け込んで、話を聞いて。
イチヤは愕然とした。
レトは早朝のうちに、村長の家に挨拶に来たという。これから旅に出る、と。理由も何も言わずに、ただそれだけを伝えに来た。
村長の話が事実なら、レトが村を出たのは早朝。今から何時間も前だ。
愕然として、イチヤは、フラフラとした足取りで家まで戻った。
家に着いた。
ハイドとプリメラが、テーブルを挟んで向かい合うように座っている。
イチヤの足から力が抜けた。ゴトンッと、その場に膝をついた。
イチヤの様子に、プリメラが心配して駆け寄ってきた。
「イチヤさん!? どうしたんですか!? 大丈夫ですか!?」
プリメラの手が、イチヤの肩に触れている。
靄がかかったような頭の中で、イチヤは、ただ一言を繰り返していた。
『どうして』
昨夜、イチヤはレトに何度も伝えた。「好きだ」と。
では、レトはどんな気持ちだったのだろうか。
そういえば、彼女は一度も「好き」と言ってくれなかった。幸せそうに微笑んでくれたが。反面、どこか苦しそうでもあった。
レトは、どんな気持ちでイチヤと寝たのだろうか。マセリアを失って悲しかったから、ただ寄り掛かりたかっただけか? でも、それなら、これからも寄りかかり続ければいいはずだ。姿を消す必要などない。
それなら、どうして。
「イチヤさん」
跪いたイチヤを支えながら、プリメラが訊いてきた。
「レトさんはどうしたんですか? 村長から、何を聞いたんですか?」
「あ……」
目の前にいるプリメラを見た。彼女の顔が歪んで見えた。自分は泣いているのだと気付いた。
「旅に出る、って言ってたらしい。今朝、出発したって……」
プリメラの問いに、声を絞り出して答えた。答えると、レトがいなくなったことを実感した。目が覚めたときとは違う意味で、胸が締め付けられた。
痛い。心が痛い。
レトは、何時間も前に村を出た。どこに向ったのかも分からない。しかも彼女は、デルパイース川を渡るための魔術を使える。大陸中、どこにでも行ける。
この広い大陸で、たった一人の人を見つけ出すことができるのか。どこにいるかも分からないのに。
――無理だ。
好きな人には、もう二度と会えない。
レトには、もう二度と……。
「ねえ、イチヤ」
声を殺して泣くイチヤに、ハイドが訊いてきた。
「レトに会いたい?」
無言のまま、イチヤは頷いた。息苦しささえ感じる、胸の痛み。声を出すのも辛い。
「じゃあ、一つだけ、会える可能性があるよ」
「!?」
涙で一杯の目を見開いて、イチヤはハイドに顔を向けた。
彼は両手を広げた。サウスウェストとサウスイーストの方向へ。
「皇帝二人を殺す。そうすれば、戦争は終る。大陸中が平和になる。戦争を終らせた英雄に、イチヤがなるんだ」
「?」
英雄になってどうするというのか。混乱していて、頭が回らない。ハイドの話の意図が分からない。
イチヤの心中を察したように、ハイドは説明してくれた。
「英雄になれば、多くの人間を動かせる。戦争を終結させた英雄なら、各国の王にも顔が利くようになる。そうすれば、大陸中に、レトの手配書を出せる」
「……あ……」
イチヤは声を漏らした。ようやく、ハイドの話を理解できる程度に落ち着いてきた。
「どうする、イチヤ。これからも俺と一緒に旅をして、皇帝を討つ? それとも、俺と離れて一人でレトを探す?」
ハイドは、イチヤがどう答えるか分かっているだろう。
彼の期待通りの答えを、イチヤは口にした。
「皇帝を討つ」
「うん。わかった」
「私も行きます。私だって、少しは役に立つでしょうから」
イチヤに追随するように、プリメラも同行の意思を示した。彼女の瞳は、まっすぐハイドに向けられている。強い意思が込められた、純粋な瞳。
トーダへ報いるという気持ちがあるから、プリメラは、自分の気持ちを打ち明けることはないだろう。それでも、一緒にいようとしている。好きな人に手を貸したいと思っている。
レトは何を思っていたのだろうか。
イチヤは、レトの側にいたいと願っていた。ずっと一緒にいたかった。
そんなイチヤに抱かれながら、レトは何を考えていたのだろうか。一緒にいたいとは思わなかったのだろうか。
俺のことが好きだったのか。それとも、好きではないけど、別の理由で抱かれたのか。
――聞き出してやる。
強い声が、イチヤの胸中で響いた。
絶対に聞き出してやる。
レトの気持ちを。
何年かかっても、必ず見つけ出して。
次回更新は明日(11/3)を予定しています




