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第九十五話 とても幸せそうで


 ロキの死から一一三日目の昼間。


 昨夜、研究を切り上げて眠ったハイドとプリメラは、昼過ぎまで目を覚まさなかった。彼等がどれだけ疲労を溜めていたか、容易に想像できた。起きて朝食を摂ると、二人はさっそく準備を始めた。マセリアに演奏を聴かせる準備。ハイドは軽く発声をして声の調子を整え、プリメラはシターンの弦を鳴らしていた。


 イチヤとレトがすることは、特に変わらない。

 イチヤは、食事の用意を含めた家事。レトはマセリアの介護。


 ハイド達の準備が整うと、四人はマセリアの部屋に入った。狭い部屋での歌と演奏。遠くまで音を運ぶ風の魔術は、必要ない。


 クレアのときの再現だな――イチヤは、セントロでの出来事を思い出していた。あのときから、プリメラの中の強い自虐が消え去った。残ったのは、自虐ではなく使命感。トーダに報いる生き方をするという、強い意志。


 ベッドの側で、イチヤは、マセリアの上半身を抱え上げた。彼女が、ハイド達の姿を見ながら聴けるように。


 プリメラが、シターンを奏で始めた。弦が、曲の前奏を紡いでゆく。


 深く静かに息を吸い込み、ハイドが歌い始めた。彼が、大切な人を想って作った曲。書き綴った歌詞。


 吸血鬼の少年とエルフの少女が、恋に落ちる曲。


 吸血鬼の寿命は永い。さらに吸血鬼は、大人になって成長が止まっても、寿命が尽きるまで老化しない。対して、人族やエルフ、ドワーフなどの人類は、当たり前のように歳を取る。


 歌詞に登場するエルフの少女は、閉鎖的な村で生まれ育った。純血のエルフだけで構成された村。閉鎖的な村だから、外部の人間など迎え入れない。


 エルフの少女は、ある日、森の中で、吸血鬼の少年と出会った。


 実在さえ怪しまれている、吸血鬼という生き物。だから少女は、少年が吸血鬼だとは知らない。吸血鬼だと気付くこともない。


 二人は何度も、森で密会した。二人だけの秘密の時間。何よりも楽しいひと時。


 閉鎖的な村で育った少女は、次第に、少年に惹かれてゆく。

 少年も同じように、少女に恋心を抱いてゆく。


 自分の気持ちに気付いたとき、吸血鬼の少年は、少女との接し方が分からなくなった。自分は、彼女と一緒に歳を取ることができない。彼女が成人し、中年になり、やがて老女となっても、自分はほどんど変わらない。いつか彼女を失っても、そこから永い年月を生きることになる。彼女の寿命よりはるかに長い年月を、生き続けることになる。


 たとえ少女が年老いても、自分は彼女を愛し続ける。そう断言できる。けれど、少年は怖かった。彼女を看取った後、そこから永い年月を生きることが。生きていれば忘れてしまうことがある。一緒に過ごした彼女の姿が、思い出から消えてゆく。


 少女が大人になったとき。少女だった彼女の姿が、思い浮かばなくなるかも知れない。

 少女が中年になったとき。大人になりたての彼女を、忘れてしまうかも知れない。

 少女が老女となったとき。中年だった彼女が、記憶から消えてしまうかも知れない。


 そして、彼女が寿命で息を引き取った後。それから続く、少年自身の長く永い人生で。


 自分の心から、少女が消えてしまうかも知れない。


 ハイドの曲の中で、結末は語られない。吸血鬼の少年がどんな決断をしたのか。エルフの少女と、どんな関係になったのか。


 歌詞の最後で、少年は、少女の最後を看取っている。最後を迎えた彼女に「愛してる」の言葉を残していた。


 少年の「愛してる」を聞いた少女は、そのとき、どれくらいの年齢だったのか。どんな表情をしていたのか。この曲の物語が悲恋なのか、成就した恋なのか。


 明確な答えがないまま、曲は終る。悲しくて、二人の幸せを願わずにはいられない。そんな、胸に残る曲。心に響く物語。


 フロンティアで初めて聴いたとき、イチヤは、ハイドの歌に魅入られた。優しく、でも悲しい、好きな人への曲の数々。


 ハイドの過去を聞いたイチヤは、これらの曲が持つ意味を知っている。復讐に人生を捧げるほど、ハイドは少女を愛していた。


 ハイドとプリメラは、研究を中止した。研究の代わりに、毎日マセリアに曲を聴かせた。


 彼等の演奏に聴き入るマセリアは、とても幸せそうで。

 とても幸せそうであっても、病状は進行していって。


 ロキの死後から一二一日目。マセリアは、話すことさえ難しくなった。

 ロキの死後から一三一日目。マセリアは、顔の向きを変えることさえできなくなった。


 そして、ロキの死後から一四九日目。

 この日、ハイドとプリメラの曲を聴き終えた後。


「あ……り、がと……う……」


 いつかのクレアと同じように、マセリアは言葉を発した。命の最後の灯火。


 マセリアの目には、涙が浮かんでいた。けれどそれは、悲しい涙でも、苦痛の涙でもなかった。


「レト……」


 マセリアの最後の言葉は、最愛の娘に向けられた。夫を亡くした彼女にとって、たった一人の家族。大切な、愛する娘。


「……しあわせに、ね……」


 残る命を全て込めたように、はっきりとした言葉。


 レトはマセリアを抱き締めた。お母さん、と何度も繰り返していた。


 最愛の娘に抱かれながら。

 マセリアは、息を引き取った。


   ◇


「ごめん、レト」


 マセリアが息を引き取った後。


 ベッドに彼女を寝かせて。

 しばらく、誰も何も言えずに。


 最初に口を開いたのは、ハイドだった。レトへの謝罪。


「マセリアさんを助けられなかった。完全に俺の力不足だ」


 レトは首を横に振った。そっと、マセリアの頬に触れた。安らかで、まるで眠っているだけのようなマセリアの顔。


「お母さん、幸せそう。きっと、幸せだった。だから、ありがとう」


 マセリアの頬から手を離すと、レトはイチヤの方を向いた。


「ねえ、イチヤ。お願いがあるの」

「俺にできることなら」

「お母さんのお墓、作るの手伝って」

「……」


 マセリアの墓。レトが、全てを捨ててでも助けようとした、最愛の母親の墓。


「俺でいいのか?」

「イチヤがいいの」


 少し戸惑った後、イチヤは小さく頷いた。


 マセリアの墓は、この家のすぐ裏に作ることにした。彼女が愛する夫と暮し、娘を身ごもり、夫を亡くした後も娘と住み続けた、この家の側に。


※次回更新は10/30を予定しています

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― 新着の感想 ―
マセリアさん(´;ω;`)ウゥゥ 悲しいけれど、でも幸せな最後でよかったねぇ(´;ω;`)ウゥゥ
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