第九十三話② 悪魔の所業(後編)
「マセリアさん。体に力が入るようになったんだろうけど、まだ治ったわけじゃないから。ほんの少し、病状を軽くしただけ。だから、まだ横になってて」
「そうね。ごめんね。体に力が入ると、つい、起きたくなっちゃって」
「完治したら、好きなだけベッドから出られるし、色んなことができるから。そうなる前に調子を崩したら、元も子もないからね」
「うん」
ハイドに促され、マセリアは再び横になった。
マセリアを寝かせると、ハイドは、イチヤ達に目配せした。
「レト。それに、イチヤとプリメラも」
「何?」
「何だ?」
「何ですか?」
イチヤ達は口々に返事をした。
「少し話しておくことがある。レトの部屋に来てくれないか?」
再度、イチヤ達は口々に返答した。
レトは立ち上がり、マセリアに顔を向けた。少しだけ、表情が明るくなっていた。
「じゃあ、お母さん。晩ご飯できたら、持ってくるから」
「うん。ありがとう、レト」
「どういたしまして」
マセリアの部屋から出ると、イチヤ達は、今度はレトの部屋に入った。最後に部屋に入ったハイドが、ドアを閉めた。
レトの部屋は、もともとそれほど広くない。今は、ベッドに加えて研究用の机まである。四人も集まると、明らかに手狭だった。
「それで、ハイド。話って?」
「……」
椅子を引き、ハイドは腰を下ろした。そのまま、両膝に両肘を置いた。俯き、両手で顔を覆う。
「……ごめん、レト」
「?」
レトは首を傾げた。謝られる意味が分からないのだろう。イチヤにも、ハイドの謝罪の意味が分からない。
顔を覆ったまま、ハイドは大きく息を吐いた。
「さっきマセリアさんにかけた魔法で、ロキがマセリアさんに何をしていたのか、概ね分かったんだ」
「それじゃあ、お母さんを治す方法が分かったの?」
レトの表情が期待に満ちた。だが、フェイタル病の治療法が分かったのなら、ハイドの謝罪の理由が、なおさら分からない。
「……」
少しだけ黙り込んだ後、ハイドは、小さく首を横に振った。
「ロキは、フェイタル病の進行を止めてなんていなかったんだ」
「どういうこと?」
抱いた期待に、疑念が混じった。期待した分だけ、レトの不安が濃く見えた。
「ロキは、フェイタル病の進行を遅らせていただけなんだ。マセリアさんが発病したのが、レトが十二歳のとき――今から七年前。もし従来通りにフェイタル病が進行していたなら、少なくとも六年前には、マセリアさんは亡くなっていたことになる」
フェイタル病は、発症から概ね半年から一年で命を落とす。
ディグノ家の使用人であるクレアは、発症から九ヶ月ほどで命を落とした。
「ロキが死んで、マセリアさんの病状が再発し始めた。ロキの魔法の残留があるから、それほど症状が進行していない状態で」
マセリアは、自力で立ち上がることさえできなくなっていた。それでも、話すことはできていたし、震えながらでも手を動かすこともできていた。クレアは、発症から三ヶ月で、話すこともできなくなっていたのに。
「俺は、ロキが掛けた魔法の痕跡を見つけることができた。この魔法がフェイタル病を治すものであったり、あるいは、病気の進行を止めるものであるなら、マセリアさんの症状は、すぐには変わらないはずだったんだ。病状が治まって、これから少しずつ、日常生活に戻れるようになっていく――そんな想定だった」
「それって……」
希望が、絶望に塗り替えられてゆく。レトの声は震えていた。
「ロキは、フェイタル病の進行を極端に遅らせていた。たぶん、従来の十分の一くらいに。でも、ロキがかけていたもう一つの魔法で、通常通りに生活できていた。俺がマセリアさんにかけた魔法は――見つけることができた、ロキの魔法の痕跡は――病気が進行していても、体を動かせるようにするだけの魔法だ」
つまり。
ロキは最初から、マセリアを助けるつもりなどなかった。
レトを召喚者の付き人として働かせ、様子を見て。
マセリアが死ぬまでに敵国を墜とせなければ、切り捨てるつもりだったのだ。
フラリと、レトの体が揺れた。絶望からくる目眩。
すかさす、イチヤはレトの体を支えた。彼女の体からは、完全に力が抜けている。目から、ボロボロと涙が流れていた。
イチヤには、病を治すことなどできない。医学を学んだこともなく、魔法も使えない。
自分が無力であることが、どうしようもなく悔しかった。呆然とした顔で涙を流すレトを見ていると、自分も泣きそうになった。
「ごめん、レト」
謝罪するような場面ではない。でも、イチヤには、これしか言えなかった。
「ごめん……」
「どうしてイチヤが謝るの?」
「俺が、ロキを殺したから」
「でも……ロキを殺さなくても、いつかはこうなったんでしょ?」
ハイドの推測では、マセリアのフェイタル病の進行速度は、十分の一程度になっていた。発症して七年経ったから、現時点では従来の七ヶ月程度。ロキが死に、彼の魔法が解けて、また従来通りに進行することになる。
マセリアの命は、どんなに長くとも、あと五ヶ月ほどで失われる。
「どうやっても、お母さんはこうなってたんだから……だから……」
レトは必死に、泣き声を押し殺していた。泣いていると、マセリアに気付かれないように。しゃくり上げることもなく、ただ涙を流していた。
「でも、マセリアさんはまだ亡くなってないよ」
顔から両手を離し、ハイドは、静かな、でも強い口調で呟いた。
「俺が解析できたのは、症状を表に出さない方の魔法だ。だから今度は、フェイタル病の進行を遅らせる方の魔法を解析する。同時に、進行を遅らせる魔法から、治療の魔法の構成を研究する。進行を遅らせれば寿命は延ばせるし、寿命が延びれば、その間に治療法を確立できるかも知れない」
イチヤの腕の中で、レトは震えていた。ロキを裏切ったときは、諦めていたマセリアの命。でも、先ほどのマセリアの様子で、希望が芽生えてしまったから。だから、諦め切れなくなったのだ。
「お願い、ハイド……」
叫び出したい気持ちを抑え、絞り出されたレトの声。
「お母さんを助けて」
※次回更新は10/26を予定してします




