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第九十三話① 悪魔の所業(前編)


 ロキの死から六十二日が過ぎた。


 ハイドは、レトの部屋に籠もり切りで研究を続けている。たまに部屋から出てくるが、彼の顔には、疲労の色が深く刻まれていた。


 レトは常にマセリアの側にいて、彼女の看病を続けている。食事を摂らせ、トイレに連れて行っていた。体が自由に動かないといっても、まだ、食事や排泄は自力でできるようだ。もっとも、さらに病状が進めば、完全介護が必要な状態になる。


 イチヤは、フェイタル病で命を落とした人を見たことがある。ディグノ家使用人のクレア。彼女は周囲に感謝し、幸せそうに逝ったが、辛い様子を見せなかったわけではない。完全介護が必要となり、食事や排泄の世話を他の使用人にさせることを、申し訳なさそうにしていた。


 このまま病状が進めば、マセリアも、クレアと同じ状態となる。そうなったときのレトの気持ちを思い浮かべると、胸が締め付けられた。


 ハイドの研究は、まだ進まないのだろうか。まだ、フェイタル病に効果のある魔法は見つけられないのだろうか。


 イチヤは歯がゆさを感じていた。何もできず、ただハイドに期待するしかない自分に。


 夕方になって、レトとプリメラが食事の用意を始めた。イチヤが狩ってきた獲物を捌き、畑で採れた野菜と焼く。


 マセリアが食べる料理は、イチヤ達が食べる料理とは別に作る。フェイタル病は、彼女の消化器すら蝕んでいた。だから、流動食のようにドロドロにしなければならない。


 マセリアが発症して、家の中から笑い声が消えた。たまに出る笑みは、マセリアを不安にさせないように浮かべる、作り笑い。


 レトとプリメラが料理を作っていると、ギィと音が鳴った。ドアが開く音。


 開かれたのは、レトの部屋のドアだった。ハイドが部屋から出てきた。目の下には、濃い隈ができている。


「ちょっといい?」


 部屋から出てきて早々に、ハイドは、イチヤ達に歩み寄ってきた。


「何?」


 訊いたレトの顔は、やや暗い。

 ハイドは静かに息を吸うと、真剣な顔で三人を見回した。


「マセリアさんに、魔法をかけてみたい。ロキのかけた魔法の内容が、少しだけ分かってきたんだ。まだ完全じゃないけど」

「!」


 ロキのかけた魔法の内容が、少しだけ分かった。つまり、フェイタル病の治療に一歩近付いた。


 レトは目を見開き、ハイドの服を掴んだ。縋るような顔。一度は覚悟したと言っても、やはり、母親を失いたくないのだ。


「お願い、ハイド……お母さんを助けて……」

「全力を尽くすよ」


 吸血鬼は、本来、穏やかで争いを好まないという。ハイドが生まれ持った才能を磨き、戦場に出たのは、愛する人の仇を討つためだ。本来の性質すら打ち消すほどの怒りが、彼を満たしていたからだ。


 今の姿こそが、ハイドの――吸血鬼としてあるべき姿なのだろう。飄々として戦いに身を置くのではなく、余裕をもって実力を見せつけるのでもない。優しく、誰かのために必死になる姿。


 ハイドと共にマセリアの部屋に入った。彼の足取りは、どこかおぼつかなかった。


 ハイドの疲弊具合に、プリメラも気付いたようだ。心配そうに彼を見ている。


 マセリアは、ベッドで横になっていた。眠ってはいない。四人が部屋に入ると、少し驚いたように目を丸くした。


「どうしたの? みんな揃って」


 ハイドが一歩、マセリアに近付いた。


「マセリアさん。ちょっといい?」

「何? ハイドさん」

「マセリアさんとレトから提供してもらった検体から、皇帝陛下の使った魔法の内容が、少しだけ分かったんだ。といっても、まだ完全とは言えない。もしかしたら、何の効果もないかも知れない。ただ、今の状態から悪化することだけは、絶対にない」

「うん」


 布団から手を出し、マセリアは、ハイドの頬に触れた。彼女の手は、細かく震えている。腕を上げることさえ重労働になるほど、体が弱っているのだ。


「ハイドさん、ひどい隈ができてる。ちゃんと眠れてる? せっかく綺麗な顔なのに、もったいない」


 自分の方が深刻な状態なのに、マセリアはそんなことを訊いていた。


 彼女の問いに答えず、ハイドは質問を返した。


「研究した魔法、かけてみていい?」


 マセリアは目を閉じた。ハイドの頬から手を離した。ストンと、布団の上に手が落ちた。力が入らないのだろう。


「ねえ、ハイドさん」

「何?」

「魔法は、ぜひかけてみてほしいの。ただ、ひとつだけ約束して」

「約束?」

「ええ。あんまり無理しないで。私のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、でも、それでハイドさんが体を壊したら、心配する人がいるでしょ?」


 誰がハイドのことを心配するのか、マセリアは口にしなかった。


 マセリアの言葉を聞いて、プリメラが俯いた。


「だから、ね。お願い」

「約束するよ」

「ありがとう。それじゃあ、お願いしていい?」

「うん」


 ハイドは右手をマセリアにかざした。彼の手が、淡い光に包まれた。回復魔術に似ている気がする。けれど、明らかに違う。


 十秒ほど、ハイドはマセリアに魔法をかけた。光が消えると、彼女から手を離した。


「どう? マセリアさん」

「……」


 先ほどハイドに触れた手を、マセリアは再び上げた。手は震えていなかった。


「……凄い……」


 静かに、マセリアは感嘆の声を上げた。仰向けにしている体を横向きにし、そこから体を起こす。腕を上げるだけとは違い、少し震えていた。あまり力が入らないのだろう。それでも、介助なしで上半身を起こすことができた。


 ハイドの研究の成果に、イチヤは言葉が出なかった。ただ、驚いた。彼の能力の高さは知っていたが、それでも、不治の病を回復に向わせるとは。


 レトの頬に、一筋の涙が流れた。ベッドの側で膝をつき、マセリアの手を握った。


「よかったね、お母さん。ハイドなら、きっと何とかしてくれるよ。だから、一緒に頑張ろう」

「うん」


 レトの言葉に頷いて、マセリアはハイドの方を向いた。


「ありがとう、ハイドさん」

「ううん」


 深い感謝を向けられているのに、ハイドは、苦しそうな表情を見せていた。マセリアの症状はよくなった。それなのに、どうしてこんな顔をしているのだろうか。彼は目を細めると、優しくマセリアの肩に触れた。


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― 新着の感想 ―
フェイタル病そのものの起源に皇帝が関わってる。 そうとしか思えないようなサブタイトルですのぅ(;゜Д゜) とにかく、症状が悪くならなくなったのは良かったです。
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