↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
143/155

第九十二話 このまま全てが上手くいけばいいのに


 ロキの死から十日経った。


 昼間。


 ハイドは相変わらず、レトの部屋で研究を続けている。


 この十日で、イチヤは、村にいる数人のエルフに検体の提供を依頼した。いずれも、マセリアと年齢が近い女性のエルフ。


 この村で、マセリアはみんなに慕われていたそうだ。若い頃はレトにそっくりな美人で、ドワーフ以外の男性は、皆、彼女に恋心を抱いていた。それでも、亡き夫を愛し、レトを育てることだけに注力していたそうだ。


「うちの旦那なんて、昔、マセリアにプロポーズしてフラれてるんだから」


 そう言って笑った女性もいた。


 マセリアのためならと、彼女達は、嫌な顔ひとつ見せずに検体を提供してくれた。


 イチヤは、魔法どころか魔術も使えない。戦士型として転移したのだから、当然だが。何もできない自分が歯痒くて、とにかくマセリアの世話をしようと躍起になった。


 マセリアのフェイタル病は、まだ進行している様子はない。自分の足でトイレにも行けるし、食事も自分で摂ることができる。セントロで見たクレアとはまるで違う。


 もしかしてロキは、フェイタル病の進行を止めていたのではなく、完治させていたのではないか。そんな推測さえ浮かんできた。


 マセリアの病状に進行の様子が見えないので、どれだけイチヤが躍起になろうと、役に立てる場面はほとんどなかった。せいぜい家事をする程度だ。


 窓から、昼間の陽光が差し込んでいる。


 透明度の低い、歪んだガラスがはめ込まれた窓。元の世界では、こんなガラスなど考えられなかった。向こう側が見えないガラスなど、風呂場くらいしか利用していなかった。


 マセリアをベッドで休ませ、イチヤは、家の掃除をしていた。食卓テーブルを清潔な布巾で拭く。床の掃除をする。


 最後に、濡れた雑巾で窓ガラスを拭く。


 外から馬の蹄の音が聞こえてきたのは、丁度、イチヤが全ての窓を拭き終えたときだった。二頭分の蹄の音。


 音は少しずつ大きくなり、この家の付近で止まった。外から、女性二人の声が聞こえる。誰の声なのかは、考えるまでもなかった。


 家のドアが開けられた。


 ドアの向こうにいたのは、思った通りの人物だった。レトとプリメラ。


 雑巾を片手に、イチヤは彼女達に駆け寄った。


「おかえり。どうだった?」

「詳しいことは後で話すけど、それより、お母さんは?」


 訊いてきたレトの顔は、強張っていた。心配と不安が明確に出ている。無表情の仮面は、とうに剥がれていた。


「今はまだ、病状は出てない。普通に歩けるし、食事もできる。ただ、心配だから基本的には休んでもらってる」

「わかった」


 頷くやいなや、レトは、マセリアの部屋に駆け込んだ。


 不安に駆られているレトとは反対に、部屋から聞こえてきたマセリアの声は、どこか吞気だった。


「あら。おかえり、レト」


 レトは、マセリアの近くにいたいはずだ。この後はハイドに検体を提供することになるだろうから、今はゆっくりさせたい。


「で、プリメラ」


 セントロや王都での詳しい話について、イチヤは、プリメラに聞くことにした。


「ディグノ夫妻や国王は、ロキの死と休戦について、何て言ってた?」

「えっと、ですね――」


 ここから発った後の経緯を、プリメラは丁寧に話してくれた。


 ロキの死後。レトとプリメラは、真夜中のうちに村を出た。昼間にはセントロに着き、ディグノ邸に足を運んだ。


 クレアの件によって、プリメラの顔は、ディグノ邸内で知れ渡っていたそうだ。王の書状など出さなくても、あっさりとディグノ邸内に通してもらえたという。


 ロキの死を知らせ、彼の首をディグノ夫妻に見せると、彼等は驚愕した。デシーディダは男爵家――国防を司り、戦地に赴く家――の出自だけあって、生首を見ても、驚き以外の感情は見せなかった。しかし、夫のウィディアンは、ロキの生首を見た途端に顔を青くしたそうだ。そんな夫を、デシーディダは優しく支えていた。


 デシーディダはすぐに使用人に命じ、王都に向う馬車を出させた。ロキの首を持ち、ウィディアンを連れ、レトやプリメラにも同行するよう頼んだ。


 四人が王都に着いたのが、その日の夕方頃。王と謁見する頃には、夜になっていたという。


「私達が持っていった首を見て、国王陛下は、間違いなく皇帝陛下だと断言していました。金色と茶色が混じった髪色の人なんて、まずいませんから。首だけになって人相は少し変わっていましたが、赤の他人だと疑うことはなかったみたいです」

「そうか」


 国王に謁見したところまで話すと、プリメラがイチヤに訊いてきた。


「ハイドさんはどうしたんですか?」

「ハイドなら、レトの部屋で、ずっとフェイタル病の研究をしてる。たまに部屋から出てくるけど、睡眠時間すら削って研究しているみたいだ」

「そうなんですか……」


 イチヤから顔を逸らし、プリメラは、レトの部屋をじっと見つめた。ドアが閉められた部屋。あの部屋の向こうで、今も、ハイドは黙々と研究を続けているのだ。


「それで、プリメラ。続きを聞かせてくれないか?」

「あ、はい」


 イチヤに訊かれ、プリメラは、慌てた様子でレトの部屋から目を逸らした。ハイドのことが気になるのだろう。イチヤは、なんとなく、プリメラの気持ちに気付いた。セントロにいたときも、シウダッドミリタールに移動したときも、レトと再会した後も、プリメラはハイドを気にかけていたように思える。


「え、っと。それで、デシーディダ様に休戦の申し出をされた国王陛下は、その要望を飲んだんです。すぐに使いの方々を用意して、サウスウェストに降伏の意を示す、って」


「ロキが死んだから、召喚者を呼び寄せることはできない。さらに、戦争を命じる奴もいない。まあ、休戦の理由は十分――というより、戦争を続ける意味がなくなったわけだからな」

「そうですね」


 サウスウェストが休戦を受け入れるかは、今のところ分からない。とはいえ、サウスウェストも召喚者を失ったばかりだから、休戦となる可能性は高いはずだ。


 マセリアの部屋から、彼女の明るい声が聞こえてくる。レトが帰ってきて嬉しいようだ。きっと、今まで寂しかったのだろう。ロキの命令で、レトがずっと不在だったから。


 レトの部屋のドアは、開く様子がない。ハイドはまだ、黙々と研究を続けている。皇帝を殺すために一二〇年を費やしてきた彼が、復讐のためではなく、一人の母親を救うために必死になっている。


 イチヤは目を細めて、マセリアの部屋を見た。幸せそうなマセリア。母を心配し、優しい顔で接するレト。


 経緯や理由なんてどうでもいいから、マセリアの命が助かって欲しい。仮に、ハイドの研究が上手くいかなかったとしても。ロキがマセリアに情を抱いたのでも、あるいはただの間違いでもいいから、フェイタル病を完治させていてほしい。


 マセリアが助かれば、レトの全てが報われる。彼女の旅はここで終る。これからずっと、母親と二人で暮らせる。


 イチヤはレトが好きだ。でも、叶えたい目的がある。戦争をなくして、理不尽な暴力などない世界にする。ノースとサウスウェストの戦争がなくなったとしても、まだサウスイーストがある。皇帝は二人残っている。


 皇帝が生きている限り戦争が続くなら、イチヤは、ハイドと共に行動するつもりだった。


 そして、皇帝を討ち、平穏な世界にできたなら。


 その時は、また、この村を訪ねよう。争いのない平穏な世界になったと、レトに伝えよう。


 フロンテーラに攻め込む前、レトが小さく呟いていた。


『私も、平穏に生きられる世界を見たくなったの』


 そんな世界を、レトに見せたなら。皇帝を討ち、戦争を終結させたと伝えたら。


『お母さんと、平穏な世界で生きられるんだ』


 そう伝えたら、レトは喜んでくれるだろうか。きっと、喜んでくれるだろう。


 イチヤの目的は、もう、自分一人のものではなくなっていた。一〇〇年以上も続くハイドの復讐の旅。レトの願い。プリメラが抱える、幼馴染みへの気持ち。目的を達することで、全てが報われるんだ。


 帰ってきたレトと顔を合せると、ハイドは、早速検体の提供を依頼していた。レトは迷わず了承した。


 レトの検体を得て、ハイドは次の日も、さらに次の日も、部屋にこもって研究を続けた。


 マセリアの様子は変わらない。ベッドの上で休んでいるように言われて、退屈そうにしていた。レトと一緒に食事の用意をしたい、と言い出す日もあった。無理をしないように念押しして、レトと料理をさせた。


 一週間経っても、二週間経っても、マセリアの様子は変わらなかった。不治の病だとは思えないくらい、元気そうだった。


 だが――


 ロキの死後三十八日目の昼間。


 マセリアが、突如、フラフラと体を揺らしてその場に崩れ落ちた。立ち上がろうとして体を起こすと、まるで赤ん坊のように転がった。


 マセリアの姿を見たレトが、普段の彼女からは考えられないほど取り乱して「お母さん!」と叫んだ。


 イチヤは即座にマセリアを抱え上げ、ベッドに移動させた。


 ハイドに状況を報告すると、彼は、全て予測していたように吐き出した。


「とうとう症状が出たんだね」


 マセリアの検体を研究していたハイドには、この状況が予測できていたらしい。だからこそ、一刻も早く、ロキの魔法の痕跡を探し出そうとしていた。綺麗な顔に濃い隈ができるほど根を詰めて。


 しばらく経って落ち着きを取り戻したレトが、震えながら教えてくれた。


「お母さんがフェイタル病を発症したときも、あんな感じだった。農作業中に、あんなふうに突然倒れて。立ち上がろうとしても、立ち上がれなくて……」


 涙の混じったレトの声が、痛々しかった。


※次回更新は10/24を予定しています

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ついに始まったか(;゜Д゜) あとどれだけ時間があるんだろう。 というか、特効薬はできたけど、進行速度的にもう間に合わなくて……なんて展開も考えられるからなぁ。それでも助かってほしいです。 そんで……
めちゃくちゃ時間かかってますね。問題は、この間に他の二つの国がどう動いているか。 サウスも新しい召喚者がそろそろ育ってきてるでしょうし。 マセリアも気になりますが……。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。