第九十話 本来の吸血鬼
マセリアの部屋に、ハイドが入ってきて。
ハイドが治療をすることを告げても、マセリアは、諦めの顔で苦笑していた。まるで期待していない表情。
ただ、それでも嬉しそうではあった。
「レトは幸せね。こんなにもいい人達に囲まれて」
ハイドが問診していると、マセリアは、ポツリと呟いた。娘の周囲にいい人達が集まっていて、嬉しい。
マセリアの様子が一変したのは、ハイドが催眠魔法をかけ、彼女の皮膚や血液、骨や筋肉を採取した後だ。
催眠魔法をかけられたマセリアは、完全に意識を消失した。ハイドが彼女の皮膚を切開し、血液や皮膚、骨や筋肉を採取しても、一切の痛みを感じていなかった。意識を失っているのだから、当然だが。
採取後は、回復魔術をかけて治療をした。ハイド自作のシャーレに、採取した検体を入れた。レトの部屋に検体を持ち帰り、最後に、ハイドが催眠魔法を解いて。
意識を取り戻したマセリアは、ハッと目を見開いた。キョロキョロと周囲を見回す。
「あれ? 私、いつの間にか寝てた?」
マセリアは、うたた寝でもしていたと思っているようだ。無理もないが。
「俺の魔法です。皇帝陛下ほどではないですが、俺も魔法を使えるんです。だから、皇帝陛下の治療の痕跡から、マセリアさんの治療を試みます」
「魔法……?」
魔術ではなく、魔法。
皇帝に治療を受けていたマセリアは、魔法の存在自体は知っているはずだ。それがどのようなものなのかを理解していなくても。
「皇帝陛下以外に、使える人がいるの?」
「私の知りうる限り、他にはいません。サウスウェストやサウスイーストの皇帝が使えるかは知りませんが。ノース国内で使えるのは、たぶん、私とロキ皇帝陛下だけです」
皇帝は、ハイドにとっての仇だ。それでも、マセリアの心に負担をかけないため、ハイドは「陛下」という敬称を使っていた。彼女に事実を悟られないために。胸の中には、虫唾の走る思いが駆け巡っているだろう。それでも彼は、嫌な気持ちを一切顔に出していなかった。
今のハイドの様子を見て、イチヤは、彼が以前言っていたことを思い出した。
『吸血鬼は圧倒的な力を持ちながらも、本来は温厚で争いを好まない』
確かにハイドは、戦いの中で圧倒的な力を見せていた。敵軍を、残酷なまでに殲滅していた。けれどそれは、そうする必要があったからだ。歌人として失った恋人のことを歌い、マセリアのために尽くす姿こそが、本来の彼なのだろう。
「なんなら、実際に俺が魔法を使うところを見てみます? これから、イチヤにもかける予定なんで」
「……は?」
つい、イチヤは間の抜けた声を出してしまった。
「何で俺?」
「言っただろ? マセリアさんと比較するために、イチヤの皮膚とか筋肉とか、骨や血液も貰うって。それとも、催眠魔法なしで提供してくれるの?」
「いや、それは嫌だけど。マセリアさんの前で、俺を切り刻むつもりか?」
血や皮膚だけならともかく、骨や筋肉まで採取するには、深く皮膚を切開する必要がある。マセリアのときも、彼女の腕を深く切開していた。
「マセリアさんの前で、そんなグロテスクなことするわけないだろ? マセリアさんの前で意識を飛ばしたら、そのままレトの部屋に運んで採取するよ。まあ、イチヤの意識が飛んでることを証明するために、顔に悪戯書きくらいはするかも知れないけど」
「何の罰ゲームだよ」
イチヤとハイドのやり取りを聞いて、マセリアがクスクスと笑った。
つられてイチヤも笑いつつ、ホッと胸を撫で下ろした。先ほどまでの胸が痛くなるような雰囲気が消えた。
「さて。それじゃ、イチヤに催眠魔法をかけようか?」
ハイドも悪戯っぽく笑っていた。
「本当にここでかけるのか?」
「うん。本当」
「ごめんなさい、イチヤさん。私も、ハイドさんの魔法を見てみたい」
「……いや、まあ。マセリアさんが見てみたいなら」
彼女の心が少しでも軽くなるなら、催眠魔法をかけられてもいい。
「でもな、ハイド」
「何?」
「顔に落書きは勘弁してくれ」
「わかったよ」
言いつつハイドは、イチヤと視線を合わせてきた。視線を合わせるのが、催眠魔法の発動条件。
「じゃあ、落書きじゃなく化粧にしておく。可愛くしてあげるから」
「ちょっ……!」
直後、イチヤの意識は途切れた。
※次回更新は10/20を予定しています




