第八十九話 我が子への想い
フェイタル病を治すための流れを、ハイドから聞いた後。
イチヤは、顕微鏡について彼に説明した。高倍率で物を観察できる機械。観察する物を薄く透明な硝子で固定することにより、より正確に対象物を調べることができる。
イチヤの話を参考にして、ハイドは、約半日かけて顕微鏡を作り上げた。レンズも、ガラスも、本体も、すべて土の魔術で。彼は以前、即席の望遠鏡をほんの数十秒で作っていた。そんな彼でも半日かかったのだから、相当難しかったのだろう。
ハイドが顕微鏡を作成している間に。
イチヤは、起床してリビングに来たマセリアに、全ての事情を説明した。
とはいえ、自分達がロキを殺したことは言わなかった。言えば、殺した理由を問われる。戦争を引き起していたのがロキ達であることや、戦争自体が彼等のゲームであること。ゲームのために、マセリアとレトを利用していたこと。そのせいで、多くの人の血が流れていること。それら全てを話さないといけない。
より詳細を訊かれたら、レトが何をしていたのかまで言うことになる。
マセリアは、これから本格的に病と戦うことになる。心労をかけたくない。事実は伝えられない。だから、不慮の事故で亡くなったとだけ告げた。
ロキの死は、フェイタル病を治せなくなったことを意味する。つまり、そう遠くない未来に、マセリア自身が命を落とすということを。
イチヤから話を聞いたマセリアは、息を飲み、しばらく沈黙した。当然の反応だと思う。自分が助からないことを告げられて、平然としていられるはずがない。
ロキが死んだことを話すと、イチヤは、それでも諦めて欲しくないとマセリアに伝えた。
「今、ハイドが、フェイタル病について研究を始めています。マセリアさんの体には、皇帝の治療の痕跡がある。それを解析して、フェイタル病を完治させようとしてます。だから、協力してください」
マセリアの顔に、驚きと困惑が見て取れた。
「ハイドさんが? ハイドさんは、歌人じゃないの? フェイタル病の研究なんて……」
「確かにハイドは、国中に名の知れた歌人です。でも、同時に、驚くほど優れた魔術師です。たぶん、世界に並ぶ者などいないくらいの」
これは事実だ。ハイドは魔術だけではなく、魔法も使える。そもそも人間ではない。もちろん、そんなことは言わないが。
マセリアの様子に、期待感はなかった。フェイタル病は、治療法が見つかっていない病だ。ロキだからこそ――皇帝だからこそ、その進行を止めることができた。
期待を抱かずとも、マセリアは、平常心を取り戻したように見えた。窓から差し込む朝日が、彼女の瞳を照らしている。その瞳には、イチヤが映っていた。彼女に希望を持たせようと必死になっている、イチヤが。
イチヤの様子を見て、マセリアは優しく微笑んだ。優しくて、悲しそうだった。悲しそうな姿が、無感情を装っていたレトに似ていた。
「ありがとう、イチヤさん。ハイドさんにもお礼を言わないといけないわね。でも、今部屋に入ったら、邪魔になるかしら?」
「礼なんかより、できるだけ安静にしてください。できれば、寝室に戻ってベッドで横になってください。たぶん、もうすぐ、ハイドが色々と検査を始めるはずなんで」
「ええ。ただ、レトはどこに行ったのかしら? プリメラさんも見当たらないみたい」
「あの二人には、国王陛下に、皇帝陛下の死の伝令を頼みました。プリメラはディグノ公爵と顔見知りで、レトは、国王陛下に顔が利くんで」
「国王陛下に?」
マセリアは驚いた顔を見せた。彼女は、レトがどれだけ大きな仕事をしていたのか、まったく知らない。
「はい。レトは、国王陛下に顔が利くほど大きな仕事をしていたんです。それくらい、凄い魔術師なんです」
「そうなの……」
どこか寂しそうな、マセリアの声。口元の微笑みは消えない。ただ、彼女の目は、遠くに飛び立つ鳥でも眺めているようだった。
イチヤはマセリアの背中にそっと触れ、彼女を促した。
「一旦、部屋に戻って休んでください。朝食などは、後で、俺とハイドが持っていくので」
「ええ。ありがとう」
イチヤはマセリアの部屋まで付き添い、彼女をベッドに寝かせた。彼女の足取りはしっかりとしていて、死に至る病に罹っているとは思えない。恐らく、ロキの治療がまだ生きているのだろう。
だが、ロキが死んだ今、マセリアのフェイタル病は徐々に進行していくはずだ。セントロで出会った、クレアのように。
「ねえ、イチヤさん」
横になったマセリアが、いつもと変わらない口調で訊いてきた。
「イチヤさんは、レトと一緒に仕事をしていたのよね?」
「はい。たぶん俺が、一番レトの世話になってます」
嘘ではない。レトには何度も傷を治してもらった。フロンテーラの戦いでは、彼女がいたからこそ生き残れた。
「レトは、そんなに凄い――国王陛下に顔が利くほど、凄い魔術師なの? 皇帝陛下の仕事の手伝いをしてる、っていうのは聞いてたけど。傷付いた兵士を癒す仕事をしてるって言うから、てっきり、訓練や戦争で傷付いた兵士を回復させてるのだとばかり思ってて」
「……」
訊かれて、イチヤは、どう回答しようか迷った。マセリアを心配させるようなことは言いたくない。かといって、完全な嘘をつくと、すぐにボロが出そうだ。
完全な嘘にはならないように。一部を省略し、本当のことは誇張して、イチヤは話した。
「俺は、戦場に出ていたんです。フロンティアがサウスウェストに侵攻されたときの戦いにも、参加しました」
これは本当だ。
「戦場で、俺はよく怪我をしました」
これも嘘ではない。もっとも、チサトとの戦い以外では、かすり傷程度の怪我しか負わなかったが。
「戦場で怪我をした俺を、レトは、よく治療してくれたんです。レトの回復魔術は、他の誰よりも洗練されてて、傷痕ひとつ残さずに治療してくれたんです。他の人が治療した傷は、大きな痕が残ったのに」
言いつつ、イチヤは、フロンテーラの戦いで負った傷痕をマセリアに見せた。
「これは、レト以外の魔術師が治療した傷です」
イニシオ村まで逃げ延び、プリメラに治療してもらった傷。
「レトは、こんな傷痕なんて残さずに治療してくれました」
心の中で、イチヤはプリメラに詫びた。レトを誉めてマセリアに喜んでもらうためとはいえ、命の恩人であるプリメラを、比較対象にしてしまった。彼女が帰ってきたら、このことを話して謝っておこう。
「そうなんだ……」
ベッドに横になりながら、マセリアは、イチヤを見つめてきた。優しい表情をしていた。優しい、母親の顔だった。
「イチヤさん。レトから聞いてるかも知れないけど――あの子の父親は、あの子が産まれる前に亡くなったの。だから私は、あの子を一生懸命育てた。それこそ、死に物狂いで」
知っている。マセリアがそんな母親だからこそ、レトは彼女を助けようとした。助けるために、何でもしていた。
「でもレトは、まだ幼い頃から、私を助けようとしてくれて。小さな頃から、魔術の練習をして。回復魔術まで使えるようになって。私が発病してからは、あの子に助けてもらうばかりになって……」
マセリアの目に、涙が浮かんでいた。明らかに、罪悪感の涙だった。
「本当は、私が、あの子をしっかり育てないといけなかったのに。あの子が大人になるまで、何不自由なく育てたかったのに。それなのに、私は何もできなかった。だから――私のせいであの子が幸せになれないなら、私は……」
マセリアは言葉を濁した。だが、彼女の言いたいことは、痛いほど伝わってきた。
『我が子の負担になるくらいなら、早く死んでしまえばよかった』
イチヤは、人の親になったことなどない。男性不能なのだから、親になることもできない。親になったことなどないから、マセリアの気持ちを完全に理解することはできない。
それでも分かることがある。自分の両親に、どれだけ大切に育ててもらったのかを知っている。周囲に蔑まれ、地獄のような高校生活を過ごし、いつも暗く沈んでいたイチヤを、両親は支えてくれた。地方の大学にも行かせてくれた。
だから、両親が生きているうちに、できる限り恩返しをしたかった。孫を見せることはできそうにないから、その分だけ親孝行をしたかった。
たぶんレトも、イチヤと同じ気持ちだったのだろう。愛してくれたマセリアに報いるためだけに、レトは、全てを捧げていたのだ。
「マセリアさん」
親に報いたかった過去を思い出して。レトと自分の姿を重ねて。イチヤは、マセリアに訊きたくなった。ロキとの戦いのときに、レトが言っていたこと。
「レトから聞きました。マセリアさんが『親の死は、親が子に与えられる最後の試練だ』って言ってた、って。だから、自分を見捨てるように言ってた、と」
「……」
マセリアは目を閉じた。瞳に溜まっていた涙が、少しだけ零れた。涙を拭き、目を開け、彼女は少しだけ笑った。
「それね、半分は本音で、半分は嘘」
「半分?」
「ええ、半分。近しい人の死が試練になるのは本当。私も、両親を亡くしたときは辛かったし、立ち直れないほど落ち込んだ。そんな経験があったから、夫を亡くしたときは前に進めたの。それが、本当の部分」
「もう半分は?」
「私のせいで幸せを逃してるレトを、これ以上見たくなかったの。私は、レトに幸せになってほしかった。あの世なんてものが本当にあったとして、そこで夫と再会できたら、レトのことをたくさん伝えたい。私達の子は、才能に恵まれてて、凄く優しくて、誰よりも幸せになる子だ、って」
だから、見捨てて欲しかった。レトには、自分の幸せのために生きて欲しかった。
マセリアに対し、イチヤは、かける言葉が見つからなかった。マセリアもレトも、互いに互いを思いやっている。これ以上ないくらい理想の親子だと言える。
これ以上ないほど理想の親子だからこそ、辛い思いをしている。
気持ちが乱れたのか、マセリアは黙り込んでしまった。
イチヤも何も言えなかった。
胸が痛い沈黙。
そのまま、しばらく時間を過ごし。
次にイチヤ達が耳にしたのは、ドアをノックする音だった。
「イチヤ。マセリアさん。検査をするから協力してくれない?」
ドアの向こうから、ハイドの声が聞こえてきた。
※次回更新は10/18を予定しています




