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第八十五話 思惑が完全に外れたわけではない

 

 ロキの正体を――皇帝の正体を、ハイドは知っている。

 この世に生まれるはずのない混血児。

 この世に生まれるはずがない彼等は、強大な力を持っていた。三つ子の怪物。戯れでこの大陸に国を作り、ゲームとして争わせた悪魔。


 ロキは確かに、悪魔とも言える力を持っていた。レトの不意打ちに、まったくダメージを受けなかった。振り降ろされたイチヤの大剣を、簡単に受け止めた。


 ロキは、自分の力に絶対の自信を持っている。脅威となりえる種族を滅ぼし、自分の立場を絶対的なものにしていた。吸血鬼が絶滅したことで、彼は、不安や恐怖を抱かなくなっていた。


 ロキは知らない。吸血鬼には、生き残りがいることを。逃げ延びた吸血鬼が、八〇〇年近く生きていたことを。この一二〇年ほどは、復讐のために牙を研いでいたことを。


 ハイド達四人に対し、ロキは、虫けらでも見るような目を向けていた。踏み潰せば死ぬ害虫程度に思っているのだろう。


 ロキは気付いていない。彼自身にあるのが、余裕ではないことに。あれは油断だ。自分の力に対する奢り。吸血鬼を始末したと勘違いしている、詰めの甘さ。


 ロキが油断している間、ハイドは、静かに魔力を集中していた。


 ロキは、レトの魔術を容易に耐えた。イチヤの剣を、風の魔術を使うことで防いだ――つまり、生身では耐え切れない。


 ロキの動作から、ハイドは、彼を殺すために必要な条件を把握した。どのような種類の、どれくらいの威力の攻撃が必要か。


 ハイドは丁寧に魔術を作り上げた。ロキを一刀両断にできるほどの、風の魔術。


 ロキが、油断し切った顔をレトに向けた。母の死を覚悟し、支配者に立ち向かう決意をしたレト。不治の病に侵された母を、看取ることになるレト。


 今のレトを目の前にして。ハイド自身も、かつて大切な人を失った身として。


 彼女の悲壮な覚悟を、無駄にしたくなかった。自分の復讐心だけで動いていたのに、心情が変化してきた。


 静かに、けれど素早く、ハイドは練り上げた魔術を放った。魔術師型の召喚者よりもはるかに速く、魔術師型の召喚者よりも遙かに強力な魔術を。過信と傲慢に満ちたロキに向って。


 ハイドは、ロキの強さを、概ね想定できているつもりだった。想定通りなら、この魔術にまったく反応できず、一刀両断にできるはずだった。


 しかし、思惑は外れた。


 ロキは、ハイドの魔術に気付いた。わずかだが、体を横に移動させた。


 ほんのわずかに、ロキの体が衝撃で揺れた。


 ドサッと、重い音が聞こえた。ロキの右腕が地面に落ちた音。一瞬遅れて、大量の血がロキの肩口から噴き出した。


 想定通りにロキを殺せなかった。とはいえ、もともとハイドは、まったくダメージのない彼と戦うつもりだった。準備はできている。


「イチヤ! 攻めて!」


 ハイドはイチヤに、この世界にはないトレーニング理論を教わった。咄嗟の状況で体を動かすには、何千何万と同じ動きを繰り返し、体に覚えさせる必要がある。思った通りに体を動かせない場合は、最初はゆっくり正確に動くよう意識し、少しずつ動きを速くしていった。そうすることで、速度と正確さを両立していった。


 さらに、特定の刺激を受けることで咄嗟に動けるようにする訓練もある。例えば、振り降ろしの剣を受け止めた直後に、反射的に横薙ぎの一撃を出せるようにする、というような。


 訓練中、ハイドは、何度もイチヤに指示を出した。指示を受けたイチヤは、ハイドの声に反応して、的確に動けるようになっていった。


 ロキの右腕が地面に落ち、ハイドが大声で指示した直後。


 イチヤは、ロキに斬り掛かった。


 左腕しかないロキと、五体満足のイチヤ。状況だけなら、イチヤが圧倒的に優位なように見える。だが、ロキは怪物だ。片腕だけでも、イチヤより遙かに強い。左腕だけでイチヤの剣を防ぎ、足で攻撃することも可能なはずだ。


 イチヤが攻撃を開始すると同時に、ハイドは彼のフォローをした。左手で魔術を生成。ロキの右側から、風の魔術を放ち続けた。間断なく、何発も。


 ハイドの魔術に対し、ロキは、自分の右側に防御膜を張った。風の魔術の防御膜。腕でハイドの魔術を打ち払えないから、防御膜で防ぐ。しかし、防御膜で防いでも衝撃はある。衝撃があるから、両足を踏ん張る必要がある。両足を踏ん張るから、イチヤに対して蹴りを打てない。左手だけで、イチヤの相手をしなければならない。


「レト! ロキから距離をおいて、風の魔術を使って! 連発できなくてもいい! できるだけ強く!」


 ハイドの指示を聞いて、レトは両手をロキに向けた。一発一発じっくり練り、高い威力の真空をロキに向って放つ。


 間髪おかず、ハイドはプリメラにも指示を出した。


「プリメラ! 俺の右手付近に寄って!」


 指示通り、プリメラがハイドに近付いてきた。


 イチヤ達の攻撃を防ぎながら、ロキは顔を歪ませていた。地面に落ちた右腕を拾い、繋げる余裕もない。超越者を気取った悪魔の、苦痛と困惑に満ちた顔。


「何なんだ!? お前!」


 ロキが、ハイドに向って叫んだ。声に、怒りと苛立ちが込められていた。彼はもう気付いているのだ。この四人の中で、ハイドの能力だけが飛び抜けていることに。


 ロキがもし、ハイドの正体を知ったら。彼は、ハイドを狙うことに集中するだろう。吸血鬼に回復魔術が効かないことを、ロキは知っているはずだ。


 仕留められる敵から確実に仕留めてゆくというのが、集団戦の基本だ。この基本に従うなら、ロキはまず、もっとも近くにいるイチヤを仕留めるべきだ。続いてレトを仕留める。四対一を二対一にしてから、初めてハイドを狙うべきなのだ。


 しかしロキは、基本通りに動くことなどできないだろう。超越的な能力を持っているから、戦術や戦略を学ぶ必要などない。学んでいないから、窮地に立たされた場面で的確に動けない。


 圧倒的な力を持つが故の弱点。

 ロキの弱点を、ハイドは的確に突いた。


「俺は最後の吸血鬼だよ。お前が――お前達が、八〇〇年前に滅ぼした種族。お前達が恐れた種族だ」

「!?」


 ロキが目を見開いた。驚きで、集中力が削がれたようだ。イチヤの剣を受け損ない、胸元に一太刀を浴びた。もっとも、風の防御膜に守られているせいで、傷は浅いが。


 ハイドの正体を知って。ロキは、ハイドの思惑通りに動いた。イチヤを片付ける前に、ハイドに向って前進しようとした。


 ――今のイチヤは、そんなに甘い相手じゃないよ。


 胸中で吐き捨てた、ハイドの言葉。その通りの展開になった。イチヤに対しての集中力を欠いたロキは、数太刀、彼の剣を受け損なった。胸元と肩口に彼の剣を受けた。浅い傷。とはいえ、当たり前のように痛みはあるはずだ。傷口から血が流れた。ロキを取り巻く風の防御膜が、流れた血を周囲に散らした。まるで赤い霧のようになっている。


「どけ! 雑魚が!」


 イチヤの剣を受けたことで、ロキは、冷静さを完全に失った。先ほどまでの油断はもちろん、余裕もまったくない。眉間に皺を寄せ、歯を食い縛り、鬼の形相になっている。


 もっとも、ハイドを仕留めるためにはイチヤから殺す必要がある、ということには気付いたらしい。イチヤに対する集中力が増した。


 訓練の成果か、イチヤの剣は恐ろしく速い。だが、それ以上に、ロキの左腕は速い。


 ロキがイチヤの剣を受ける。イチヤが次の攻撃を繰り出すより速く、ロキが手刀を突き出す。イチヤはなんとか避けるものの、体を擦られる。やや深い傷を負う。血が流れる。傷を負いながらもイチヤは剣を振るが、ロキは的確に防いでいた。


 イチヤに集中したロキは、明確に、格の違いを見せていた。わずかずつであるが、イチヤの体に傷が増えてゆく。斬り落とされた右腕を除けば、出血量は、ロキよりイチヤの方が多くなってきた。


 ――やっぱり、イチヤじゃ少し荷が重かったか。


 せめて、もう少し訓練をする時間がほしかった。ヒロイーナ村を出てから王都に着くまでに予定していた訓練。その訓練で、最終的な調整をするつもりだった。


 ここでロキと戦うことになって、計画が狂った。


 だが、ハイドは、この場に連れてきたレトを責める気にはなれなかった。彼女は、ロキのことをよく知っているのだろう。当然、ロキの強さも知っていた。ロキを殺すには不意打ちしかないと思っていたはずだ。だから、イチヤ達を裏切るふりをして、ロキに魔術を叩き込んだ。


 レトの思惑は外れた。

 しかし、ハイドの思惑は、まだ完全には外れていない。


 左手で、ロキに向って風の魔術を撃ちながら。ハイドは、右手をプリメラに差し出した。


「プリメラ。俺の右手に、自分の両手を近付けて」

「……はい」


 指示を受けたプリメラは、ハイドの意図に気付いたようだ。力強く頷き、ハイドの右手に自分の両手を添えた。


 ハイドの視線は、ロキに集中している。イチヤに当たらないようにしながら、的確に、ロキを攻撃している。そうしながら、右手の感覚にも集中した。ゆったりとした風の魔術を作り出す。公演で、歌声を運ぶときのように。


 右手から出す風が触覚となって、プリメラの手の位置を正確に把握できる。彼女の手が、少し震えていることさえも。


「プリメラ。もう少し、俺から手を離して。風に手を添える感じで」

「……はい……!」


 プリメラの声から、緊張感が伝わってくる。恐怖にも似た緊張感。彼女の目の前では、イチヤとロキが凄まじい攻防を繰り広げている。


 プリメラの目では、イチヤ達の動きを捉えられないだろう。人間の目で追うには、二人の動きはあまりに速過ぎる。反面、イチヤが少しずつ傷付いていることは分かるはずだ。彼の出血が、周囲に散っているのだから。


 ハイドは優しく、プリメラに語りかけた。


「大丈夫だよ。プリメラならできる。プリメラの回復魔術は、俺が見てきた中でも、かなり上位の部類だ」

「……」


 プリメラの返事はなかった。返事はなかったが、反応はあった。彼女の手の震えが止まった。


 ふと、ハイドは、一二〇年前を思い出した。待ち合わせの場所に行くために、必死に戦っていた少女。致命傷を負いながら、それでも約束を守ろうとした、エルフの女の子。


 大好きだったフィルスタ。


 今のプリメラは、普段の自分以上の力を出そうとしている。一二〇年前のフィルスタのように。


「プリメラ。自分の手の下で、風が流れてるのが分かる?」

「分かります」

「じゃあ、ゆっくり回復魔術を発動させて」

「はい!」


 ハイドの風に乗せた、プリメラの両手。彼女の手から、淡く青い光が放たれた。回復魔術の光。光は風に乗り、イチヤの方へ運ばれていった。


 ハイドは右手から出した風を調節し、イチヤの周囲に纏わせた。

 風に乗った青が、イチヤを包み込む。


「プリメラ。回復魔術の出力を上げて」


 ハイドの指示の直後、プリメラの両手から出る光が、強くなった。

 淡いながらも強くなった光が、風に乗ってイチヤへ運ばれる。

 その光景は、まるで流星群のようだった。


 プリメラの回復魔術でイチヤを包みながら、ハイドは、次の準備に取りかかった。


 今は、左手の人差し指と中指で風の魔術を撃ち、ロキを攻撃している。


 一旦、中指からの風の魔術を止めた。代わりに、別の魔術を練る。

 中指で発動した水の魔術が、ゆっくりと動き始めた。


※次回更新は10/10を予定しています

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― 新着の感想 ―
ここで一気に叩かないと、ロキに回復の隙ができた瞬間に形勢逆転しそう。 イチヤが粘ってる間にやっちゃって、ハイド! ハイドが無傷でないと作戦終わっちゃいますもんね。 みんな、がんばれー!! 続き((…
いやほんと、油断していてよかったぜ。 国家ら一気にたたみかけられればいいんですがさてどうなるのか(`・ω・´)
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