第八十三話 裏切りの一手
レトの家に来てから、六日目の夜。夜中。
マセリアが寝静まったことを確認して、イチヤ達は家を出た。
都市とは違い、整備されていない村の道。広がる景色の中に、点々とかがり火がある。
村を囲む柵の近くに、常駐の兵士達がいた。彼等はマセリアのことを知っている。当然、レトのことも。
「近くの森に行って、少しだけ訓練してくるの」
レトが簡単に説明すると、常駐兵は「お気を付けて」と見送ってくれた。
村から出て二〇〇メートルも歩かないうちに、森についた。
空には雲ひとつない。夜の晴天。まるで日本で見るような月がある。小さく明るい星々も見えた。
レトの案内で、森の中に入った。木の枝や葉で、月明りが遮られる。暗いが、周囲を見渡せないほどではない。
遠くから、ホーッ、ホーッという鳴き声が聞こえた。ブゥオの声だ。夜行性の肉食獣がいる可能性もあるが、この四人であれば問題なく返り討ちにできるだろう。
森の中に入って、しばらく進んだ。
「どこまで行くんだ?」
「もう少し」
イチヤの問いに対し、レトは、どこか暗い声で答えた。
しばらくすると、他の木より二回り以上大きな木が見えた。幹が太く、空高く伸びている。その木を避けるように、周りに木はなかった。その木の周囲半径十メートルほど、土だけの地面が広がっている。
森の中は暗いが、何も見えないわけではない。近くにいるのであれば、人の顔の判別くらいはつく明るさ。ある程度離れていても、人影には気付ける程度の暗さ。
大きな木に、一人の人物が寄り掛かっていた。森の中には不釣り合いの、立派な宮廷服を着ている。木の葉の隙間を抜けた月明かりに、彼の髪の毛が照らされていた。茶色が混じった金色。この世界ではまったく見ない髪色だ。
茶色い髪はドワーフの特徴。金色の髪はエルフの特徴。この二種族は、交わることはない。ドワーフとエルフのハーフは存在しない。
しかしイチヤは、この髪色を持つ者を見たことがあった。当時は、自分の夢に出てきた人物だと思っていた。この世界に来たことが夢ではないと理解して、彼の存在も夢ではないと知った。
「こんばんは。久し振り、イチヤ」
木に寄り掛かっていた男が、一歩前に出た。気軽い様子で、挨拶を口にした。
皇帝ロキ。戦争を引き起した人物の一人。イチヤが狙っている人物。ハイドにとっての仇。
目の前にいる人物が意外過ぎて、イチヤは硬直してしまった。ハイドも、少なからず驚いているようだ。ロキのことを知らないプリメラは、イチヤ達の様子を見て戸惑っている。
「レト。どういうこと?」
イチヤより冷静なのだろう、ハイドが訊いた。
レトはハイドの質問を無視し、一人、ロキの方に歩み寄っていった。彼の傍に着くと、こちらを振り返る。枝葉をすり抜けた月明かりが、彼女を照らしていた。
レトは、いつもの無表情ではなかった。かといって、マセリアの前で見せていた優しい顔でもなかった。真っ直ぐこちらに向けられた瞳は、今にも涙が零れそうだ。一文字に結んだ唇は、震えているようにも見える。無感情の仮面を脱いだ、レトの顔。
「レト。どういうことだよ?」
先ほどのハイドの質問を、イチヤは繰り返した。どうしてこんなところに、ロキがいるのか。
答えたのは、ロキだった。
「イチヤを――イチヤ以外の人達は誰だか知らないけど――お前達をここに誘い出すように指示したのは、俺だからだよ」
ロキは笑顔だった。何がそんなに楽しいのかは分からないが。
「俺はノースを勝たせたい。そのために召喚者を呼び出した。でも、イチヤは駄目だった。お前は、味方に嫌われ過ぎた。でも、俺が呼び出せる召喚者は一人だけ。イチヤが死なない限り、次の召喚者は呼び出せない。かといって、召喚者を殺せる人間なんて、この国にはいない――俺以外には。だから、レトを使って誘き出したんだ」
つまり、レトはイチヤ達を裏切った。
「……レト……どうして……?」
喉の奥から、イチヤは声を絞り出した。大きな声など出せなかった。もしかしたら、彼女には聞こえていないかも知れない。
イチヤの質問に答えたのは、またしてもロキだった。
「まあ、レトを責めないであげてよ。マセリアは――レトの母親は、フェイタル病なんだ。この国では、俺以外に治せる者はいない。俺が魔法で病気の進行を止めてるけど、もう七年も前に発病してるんだ」
「!?」
「マセリアを助ける条件は、ノースが、サウスウェストかサウスイーストのどちらかを、制圧、征服すること。そのためにレトが召喚者の付き人をして、召喚者を導くこと。もしノースが敗れるようなことがあれば、マセリアは助けない。治療をやめる」
マセリアがフェイタル病。そんな可能性など、イチヤはまったく考えなかった。彼女が体調を崩したのは、レトが十二のときだと聞いている。フェイタル病は、発病から半年~一年で命を落とす。時期的に、まったく想定していなかった。
「今のイチヤじゃ、軍を率いることはできない。偽名を名乗ってサウスウェスト軍を追い返したみたいだけど、どうせ偽名のまま軍を率いても、前と同じことをするだろ? そんな、軍の士気を下げる召喚者なんて――敵国を堕とせない召喚者なんていらない。邪魔なんだよ、俺にとっても、レトにとっても」
「……!」
イチヤの見ている景色が、グニャリと揺れた。
レトにとって、自分の存在が邪魔。頭の中で、ロキの言葉が反芻された。見開いた目。瞳に映る光景。全てが歪んで見える。
今の光景に、イチヤは見覚えがあった。元の世界での、三十年ほど前。五味と青野に騙され、貶められたとき。勃起した状態の全裸を撮られた。耳の奥に、彼等の嘲笑が響いていた。今と同じように、景色が歪んで見えた。
シウダッドミリタールの戦いで、チサトを討った。過去の傷を乗り越えられたと思った。
それなのに。
また、好きな女に騙された。
分かっている。レトには、どうしようもない事情があるのだと。フェイタル病を治せる者など、誰もいない。ハイドでさえ不可能だ。ロキが治せるというのなら、レトは、彼に縋るしかない。
分かっている。分かっているのだ。それでも、どうしようもなく苦しかった。せめて、正直に話して欲しかった。
――正直に話してくれたなら、俺は……。
ロキの横で、レトが魔術を発動させた。火の魔術。彼女の魔術の発動速度は、人間としては規格外に速い。通常の攻撃用の魔術なら、一秒足らずで撃ち出すことができる。
けれどレトは、発動させた魔術を撃ち出さなかった。時間を掛けてじっくりと練っている。より強力な魔術にするためだろう。彼女の瞳は、相変わらず悲しそうだ。辛そうだ。苦しみながら、それでもマセリアを助けたくて、イチヤ達を騙したのだ。
――辛かったんだな。
レトの葛藤が想像できて。イチヤの目に映る景色から、歪みが消えた。彼女の姿を見て、正常な状態に戻った。
レトは、イチヤを殺すように命令されていた。命令されたときから、選択に迫られていた。マセリアを見捨てるか、イチヤを殺すか。簡単な選択ではなかったのだと、レトの表情から伺い知れる。
レトは、マセリアを助けるために召喚者の付き人となった。命懸けの戦場に出ることも、敵兵を殺すことも、自分の体を捧げることも、母親のために躊躇いなくしていた。
そんなレトが、イチヤ達を裏切ることに対しては、辛そうにしている。それくらい、彼女はイチヤを大切に想ってくれているのだ。
イチヤの口の端が、無意識のうちに上がった。
イチヤはレトが好きだ。好きな人に、心を痛める程度には大切に想われている。それだけで十分な気がした。本来の自分は、大切な人など全て失っていたのだから。
イチヤは、ハイドの方に顔を向けた。
「ごめん、ハイド」
「?」
迎え撃つ構えをしながら、ハイドは、意味が分からないという様子になった。どうして謝られたのか、分かっていないのだろう。
イチヤは一歩、前に出た。
本当は、戦争のない世界をつくりたかった。理不尽に虐げられる人など、いない世界にしたかった。絶対に叶えたい目標だった。そうすることで、かつての自分も救える気がした。
でも。
好きな人が、あんなに辛そうな顔をしている。あんなに悲しそうな顔をしている。今にも涙が零れそうになっている。
だったら、笑って殺されてもいいかも知れない。どうせ、この世界に来るまでは、死んでもいいと思っていたのだから。命に未練などなかったのだから。
自分の命で、レトの心が少しでも救われるのなら。
自分の命で、レトの願いが叶うのなら。
殺されてもいい。
剣を抜くことさえせず、イチヤは、さらに一歩足を進めた。無防備のままで。
その、次の瞬間。
レトが、最大限に強化した火球を放った。
彼女の隣りにいる、ロキに向って。
※次回更新は10/6を予定しています




