第八十二話 思いを馳せて、温かくなって、嫉妬もした休日
レトの家に来て二日目の朝。
マセリアとレトは、日の出と同時に起床したようだ。
二人は、イチヤとハイドが寝ている近くで、朝食の支度を始めていた。
マセリアとレトが行動する音で、イチヤは目を覚ました。床に敷いた薄い布団の上で、体を起こす。
イチヤの隣りで、ハイドも目を覚ましたらしい。イチヤと同様に、上半身を起こしていた。
「おはよう、ハイドさん、イチヤさん。騒がしくしてごめんなさい」
マセリアが、柔らかい表情で挨拶してきた。
「いえ。いい目覚ましです。寝坊せずに済みました」
イチヤが応えている横で、ハイドは、家事をするマセリアとレトを見つめていた。寝起きで髪の毛はグシャグシャなのに、やはり綺麗な顔をしている。彼の目は優しいが、同時に、どこか憂いがあるようにも見えた。
たぶん、と思う。ハイドは、昔のことを思い出しているのだろう。彼が好きだったエルフの少女。戦争に巻き込まれて失われた命。
しばらくすると、プリメラも起きてきた。眠そうに目を擦っていた。
「おはようございます。すみません、何もお手伝いしないで」
あくびを交えながら言うプリメラに、ハイドは苦笑した。
「それ、俺達もだから。つきさっき起きたばっかりで」
プリメラに対しても、ハイドは優しい。旅のときも訓練のときも、彼は、甘さとは違う優しさをプリメラに向けている。
この家には、三人のエルフがいる。中年のエルフに、少女というには少し大人びたエルフ。少女という言葉がよく似合うエルフ。
もしも、ハイドの恋人が殺されなかったなら。彼の恋人は、目の前にいる三人の姿を辿ったのだ。少女から大人になって、中年になってゆく姿。
叶わなかった未来を抱えているから、ハイドは、その想いを歌にしているのだろう。想いが詰まっているからこそ、彼の歌は心に響くのだろう。ただ上手いだけではなく。
イチヤは立ち上がり、体を伸ばした。マセリアとレトに近付く。
「何か、俺にできることはありませんか? お世話になりっぱなしだと、なんだか申し訳なくて。まあ、俺ができることと言えば、力仕事くらいなんですけど」
火や水は魔術で作ることができる。そのため、水くみも薪割りも火起こしも必要ない。
「いいの、気にしないで。普段、レトがお世話になってるんだから」
マセリアにそう言われたが、イチヤは、何かしなければ落ち着かなかった。もっと言うなら、マセリアに気に入られたかった。
――これが、将を射んとすればまず馬を射よ、ってやつか。
胸中で呟いて、イチヤは苦笑してしまった。レトが好きだから、彼女の母親にも気に入られたい。マセリアに気に入られることで、レトの心証も良くしたい。
もっとも、イチヤは、自分の中にある別の気持ちにも気付いていた。
日本にいた頃、イチヤは、社会人になって間もなく両親を亡くした。周囲に蔑まれている中で、両親だけがイチヤの味方だった。彼等に孫を抱かせることはできないから、せめて、目一杯の親孝行をしたかった。
でも、できなかった。
失礼な話だなと、イチヤは、再度胸中で吐き捨てた。自分の両親に親孝行できなかったから、マセリアを代わりにしようとしている。
レトの家に来て二日目以降は、平穏そのもので過ごした。朝起きて朝食を摂り、畑仕事を手伝う。必要に応じて、森に狩りに行く。
レトの家にいる間は訓練をしないと、話し合いで決めた。夜にレトの部屋で集まり、村を発った後の予定や、具体的な訓練方法と目的について話すだけ。話し合いが終ると、眠りにつく。
レトの家に来て四日目。その真夜中。
眠っていたイチヤは、物音で目が覚めた。そろりそろりとした足音。静かに、ゆっくりと家のドアを開ける音。
イチヤは薄目を開けた。今まで瞼を閉じていたので、目はすっかり暗闇に慣れていた。
家のドアを開けたのは、レトだった。
トイレだろうか。それなら、声をかけない方がいいだろう。イチヤはそのまま、眠ったふりを続けた。
レトが家から出て、ドアが閉められた。
そのまま、どれくらい経っただろうか。レトが戻る前に、イチヤは眠ってしまった。気が付くと朝になっていて、いつものように、マセリアとレトが朝食の用意をしていた。
レトの家に来てから五日目も、これまでと同じように過ごした。のどかで平穏な日々。少し前まで戦場にいたことが夢のようだ。
畑仕事が終って昼食を摂っている最中に、マセリアがプリメラに訊いた。
「プリメラさんが持ってるのって、楽器?」
ヒロイーナ村のような片田舎には、楽器など出回らない。マセリアも、楽器の存在は知っているが、実物を見たことはないようだ。
「はい。シターンです」
答えると、プリメラはハイドに目を向けた。
「ハイドさんは魔術師なんですけど、歌人でもあるんです。私も、人に喜んでもらえる音楽がしたくなって。それで、ハイドさんに弾き方を教えてもらったんです」
「じゃあ、仕事をしながら練習してるの?」
「ええ。できる限り時間を見つけて」
マセリアの顔が、好奇心で満ちた。
「よかったら、今晩にでも聴かせてくれない?」
少しだけ、プリメラは迷いを見せた。彼女は努力家で、たぶん才能もある。それなのに、自分を過小評価している。自分の演奏だけを聴かせることに、躊躇いがあるのだ。とはいえ、ハイドに「演奏と一緒に歌って欲しい」とも言いにくいのだろう。ハイドは普段、金を取って公演をしているのだから。
「それじゃあマセリアさん。俺も歌っていい?」
プリメラに助け船を出したのは、ハイドだった。
「こうやって毎日お世話になってるから、俺達の演奏でお礼になればいいんだけど」
マセリアが表情を明るくした。
「ぜひそうして。こんな田舎じゃ、みんな適当な歌を適当に歌うくらいで、本格的な音楽なんて、聴いたことがないの。楽しみ」
「えっと……あの、マセリアさん」
「何? プリメラさん」
「私はともかく、ハイドさんは本当に凄いんです。都市で公演をしたときなんて、大勢の人が集まるし。ハイドさんのファンの公爵夫人がいるくらいなんです」
「そんなに凄いの?」
「はい。だから、もし今後他の歌人を見ることがあっても、あんまり期待しちゃ駄目ですよ。ハイドさんは特別なんですから」
プリメラが、熱の籠もった声でハイドを語っている。
彼女の姿が微笑ましくて、イチヤは少し笑ってしまった。ハイドの歌について語るプリメラ自身も、彼のファンだと言える。好きなものを夢中で語る少女らしい姿が、可愛らしい。
イチヤの隣りで昼食を摂っているレトは、少しだけ複雑そうな顔をしていた。もしかして、マセリアを――母親を独占できなくて、嫉妬しているのだろうか。
もしイチヤがレトの恋人なら、キザったらしく『お前には俺がいるだろ』なんて言えたのだろうか。そんな想像をして、自分にはまったく似合わなくて、溜め息が出そうになった。
昼食を食べ終えると、洗濯や掃除。夕方になって、夕食の準備。
夜の食卓には、この五日間で一番豪勢な食事が並んでいた。一昨日イチヤが狩ってきたシエルボも、豪勢に調理されている。この料理を見ただけで、マセリアの期待値が分かる。ハイドとプリメラの音楽に対する期待値。
イチヤは確信していた。ハイドの歌を聴いた途端に、マセリアは言葉を失うことになる、と。
夕食の準備ができて、イチヤとレト、マセリアは、料理が並んだテーブルを囲んだ。
三人の前で、ハイドとプリメラが並んで立った。狭い家の中だから、風の魔法で音を運ぶ必要はない。クレアに聴かせたときと同じく、完全な生の声。
プリメラが前奏を弾き始めた。シターンから出る音は、どちらかと言えば明るめだ。対して、ハイドの歌には切なさが敷き詰められている。失った最愛の人のことを歌っているのだから。
プリメラのシターンの音は、以前とまた違っていた。どこかで練習を重ねていたのだろう。ハイドの歌に似合う響きになっていた。切なさに胸が打たれるような響き。まるで、プリメラ自身が胸を痛めているようにも感じられる音色。
前奏が終わり、ハイドが歌い始めた。何曲にも綴られた、吸血鬼とエルフの少女の物語。ハイドと、彼が愛した少女の物語。
イチヤはこれまで、何度もハイドの歌を聴いた。それでも、初めて聴いたときと同じように、胸に染みる気がした。むしろ、ハイドの事情を知った今では、初めて聴いたとき以上に心が揺さ振られる。
食事時なので、演奏は五曲のみだった。
食卓についていながら、イチヤは、食べるのもそっちのけで聴き入っていた。テーブルの上を見ると、食事には誰一人手をつけていなかった。イチヤだけではなく、レトもマセリアも演奏に聴き入っていたようだ。
初めてハイドの歌とプリメラの演奏を聴いたマセリアは、魂が抜けたように呆然としていた。呆然としながらも、瞳だけは潤んでいる。
「お母さん、大丈夫?」
レトに訊かれて、マセリアはハッと我に返ったようだ。
「あ……大丈夫。ごめんね、レト」
「あの……どうでしたか? ハイドさんはともかく、私の演奏、ハイドさんの邪魔になっていませんでしたか?」
どこか自信なさげに、プリメラがマセリアに訊いた。
イチヤが聴く限り、プリメラの演奏は、ハイドの歌の邪魔になどなっていなかった。それどころか、よりハイドの歌に寄せた表現ができるようになっていた。
プリメラの問いに、マセリアはブンブンと首を横に振った。
「あの、なんて言ったらいいか。とにかく、言葉が出ないくらい凄かった。ハイドさんの歌も、プリメラさんの演奏も。なんだろう……ああ、ごめんなさいね。本当に、言葉が出ないくらいで。もう、凄いとしか言えない」
「それならよかったです」
安心したように、プリメラが小さく息をついた。
彼女の頭に、ハイドがポンッと手を乗せた。
「本当に上手になったね、プリメラ。俺一人じゃ、こんな音は出せない。たぶん、プリメラには才能があったんだよ。俺もビックリしてる」
プリメラの表情が動いた。嬉しそうな、それでいて照れ臭そうな。頬が赤い。長い耳まで赤い。
「それじゃあ、夕食にしようか。俺達はともかく、イチヤ達も全然食べてないし。せっかくマセリアさんが作ってくれたのに」
ハイドが席につき、料理に手を伸ばし始めた。彼を追うように席について、プリメラも食事を始めた。イチヤやレト、マセリアも続く。
「お母さん」
「何? レト」
「楽しめた?」
「すっごく感動した。もう、食べることなんて忘れるくらいに」
「よかった」
マセリアに感想を聞いたレトは、ハイドに顔を向けた。マセリアに対して以外は無表情なレトが、不器用な笑顔を見せていた。
「ハイド。ありがとう」
「……? 何が?」
「歌」
「俺だけじゃないよ。プリメラも」
「うん。プリメラもありがとう」
「あの……いえ、とんでもないです」
また、プリメラが頬を赤くした。
レトが、ハイドとプリメラに笑顔を向けている。その様子を眺めて、イチヤの胸に、明確な嫉妬が湧き出てきた。自分では、レトにこんな顔をさせられない。
下心だけで考えてしまう。ロキを討つことができたら、自分も楽器を始めてみようか。
夕食を食べ終えると、食器を片付け、五人で歓談した。
夜が更けてくると、マセリアは最初に部屋に入っていった。
「今日は本当にありがとう。凄く感動した」
マセリアが寝た後、イチヤ達は、これまでと同じようにレトの部屋に集まった。訓練方法と、ロキと戦う際の戦術について細かく話し合うために。
一時間ほど話し合っただろうか。
最後に、レトが提案してきた。
「明日の夜、みんなで森に出て、少し動いてみない? 本格的な訓練は村を出た後にするとしても、大まかなイメージが湧くくらいには」
「いいの? レト。せっかく帰って来てるのに」
「うん。思いがけずお母さんに楽しんでもらえたし。私が何かしたわけじゃないけど、親孝行ができた気がするから」
ハイドの問いに、レトはどこか満足そうに答えた。
反対する者がいなかったので、明日の夜中に、森に出ることになった。
明後日には村を出て、セントロを経由して王都に向う。
ロキを――戦争の元凶になっている者を、討つために。
※次回更新は10/4を予定しています




