第八十話 好きなんだ
伯爵領を出発して二日後の夕方。
イチヤ達は、ヒロイーナ村に着いた。
点在する畑。柵の中で放牧されている家畜。合間を空けて立ち並んでいる木造の家。見るからにのどかな村だ。人口は三〇〇人ほどらしい。他の村と同じように、村の周囲には低い柵が立っている。常駐の兵が寝泊まりする宿舎もあった。
「付いてきて」
レトの後について、村の中に入る。イチヤからは、彼女の後ろ姿しか見えない。
途中で、何人かの村人とすれ違った。皆、気安い様子でレトに挨拶をしていた。故郷でのレトは、無感情な召喚者の付き人ではないのだ。
しばらく歩くと、レトがこちらを振り向いた。
「あれが私の家」
レトが指差した先に、一軒の家があった。すぐ隣りには、トイレとおぼしき小屋。
四人は馬を歩かせ、家に近付いた。馬から降りる。荷物を下ろす。
「馬を繋げておける場所はある?」
「まさか。こんな片田舎の家に、そんなのないよ」
ハイドの問いに、レトは、普段と同じような口調で答えた。村人に挨拶していたときとはまるで違う口調。
「まあ、逃げられたら逃げられたで、歩いてセントロまで行けばいいか」
ハイドは、四頭の馬から馬具を全て外した。それぞれの馬に、優しく触れる。
「どこかで適当に餌でも食べてきな。で、気が向いたら戻ってきて」
四頭の馬はどこかに逃げるでもなく、周囲の草を食べ始めた。
「お母さんは家の中?」
「たぶん」
ハイドの問いに答えると、レトは三人を見回した。
「悪いけど、少しここで待ってて。お母さんがいるか確かめたいし、いるなら、少し話したいこともあるから」
「うん」
「わかった」
「はい」
イチヤ達が口々に返事をすると、レトはドアを開け、家の中に入った。入り際、レトが「ただいま」と言うと、中から「あら、レト。おかえりなさい」という声が聞こえた。どうやら、母親は在宅のようだ。病人にしては元気な声だと思った。おそらく、治療が上手くいっているのだろう。
家のドアが閉められた。中から話し声は聞こえるが、何を言っているのかまでは判別できない。
しばらく話し声が続いた後、再び家のドアが開いた。中から、レトが顔を出した。
「いいよ。入って」
「えっと……お邪魔します」
この世界の言語ではあるものの、イチヤは、つい、日本風の挨拶をしてしまった。ハイドとプリメラは特に何も言わずに入ってくる。
家に入って左側に、台所のような場所がある。調理台だろう。元の世界のようなコンロなどは、もちろんないが。右側にテーブル。奥に二つのドア。
一人の中年の女性が、テーブルを拭いていた。鮮やかな金髪のエルフ。
「いらっしゃい。レトの仕事仲間の方ね?」
一通りテーブルを拭くと、女性は、こちらに来て頭を下げた。
「初めまして。レトの母のマセリアです。皆さんは、レトと一緒に、皇帝陛下のもとで働いている方と聞いてます」
どうやらレトが、先ほど、そのように説明していたようだ。イチヤは話を合わせた。
「はい。お嬢さんにはいつも助けられてます」
「そうですよ。レトは優秀なんで」
「すみません。私はまだ、レトさんの魔術をあまり見たことがないんですが。少し見ただけでも、優秀だと分かりました」
イチヤと同様に、ハイドやプリメラも話を合わせてくれた。
マセリアは綺麗な女性だった。彼女の姿から、二十年後のレトの姿が想像できた。
「皆さん、お疲れでしょう? お腹は空いてる? もしよければ、今から何か作るけど」
「ちょっと、お母さん」
少し咎めるように、レトが声を上げた。
「いいから、お母さんは休んでて。私がいるときくらいは、全部私がやるから」
「大丈夫よ。調子はいいし。そもそも、レトがいない間は全部一人でやってるんだし」
マセリアの血色は良く、病人とは思えない。
「それに、レトには苦労させてるんだから。帰ってきたときくらい、甘えてくれない?」
「……わかった」
マセリアの前では、レトも無表情ではなった。心配そうでいて、怒っているようにも見えて、困っているようでもある。そんな顔を、母親に向けている。
「失礼ですが――」
またも日本風の前置きをして、イチヤはマセリアに訊いた。
「レト……さんから、お母様は体調を崩されていると伺ってます。今は調子が良さそうですが、寝ていなくて大丈夫なんですか?」
「……」
マセリアの表情は優しい。優しい顔のまま少しだけ間を置いて、イチヤの質問に答えてくれた。
「ええ。完治したわけではないけど、もう、普通の人と同じように暮らせるくらい回復してるの。レトが、私のために頑張ってくれたから」
マセリアの優しい表情に、少しだけ曇りが混じった。
「親馬鹿に聞こえるかも知れないけど、レトは本当にいい子なの。私のために、大変な仕事をしてるみたいで。戦場に行く兵士の方々の手伝いをしてるとか。私がこうして生きていられるのも、レトのお陰なの」
「……ちょっと、お母さん。いいから」
レトが、マセリアの肩に手を乗せた。優しい娘の顔をしていた。母親思いの子の顔だった。
無表情ではないレトを、イチヤは何度か見たことがある。けれど、こんな顔をした彼女は、初めて見た。
たぶんこれが、本当のレトの顔なのだ。情が深い女性。情が深いから、母親のために必死になっていた。自分の身すら犠牲にしていた。反面、情が深いから、召喚者の付き人という仕事は辛かっただろう。辛かったから、自分の心に蓋をした。
本来のレトの姿を見て。
イチヤの胸に、表現しようのない感情が湧き出した。どこか苦しい感じ。ソワソワとしてしまう感覚。レトに向って手を伸ばしたい。
表現しようのない感情だが、どこか覚えのある感情でもあった。既視感などではない。自分は、この感情を知っている。
イチヤは記憶を辿ってみた。この感情を抱いたのは、いつだったか。
この世界に来てからではない。もっと昔――日本にいた頃だ。
社会人になってからか? いや、違う。社会人になった直後は、親孝行することばかり考えていた。両親を亡くしてからは、そもそも感情を閉ざしていた。
では、大学生の頃か?
記憶を辿る。頭に浮かぶ映像を、動画のように巻き戻してゆく。
――そうだ。
思い出した。大学生の頃だ。
大学二年の頃に、初めて彼女ができた。バイト先で出会った女の子。青野のような偽りの恋人ではない、本当の恋人。
イチヤは男性不能で、彼女を抱けなかった。結局、気まずくなって別れてしまった。
でも、嫌いになったわけではない。それどころか、大好きだった。大切にしたかった。ずっと一緒にいたかった。
大学では、いつも彼女に会いたいと思っていた。講義中などは、ソワソワして過ごしていた。会えないときは、胸が苦しかった。バイト先やプライベードで会ったときは、手を伸ばして抱き寄せたかった。
――ああ、そうか。
イチヤはようやく気付いた。
どうして自分は、あんなにもレトのことを気に掛けていたのか。前召喚者が五味だと知ったとき――五味がレトを好きにしていたと知ったとき、どうして、昔以上に彼を憎んだのか。シウダッドミリタールで再会したとき、どうして、言葉も掛けられないほど胸が苦しくなったのか。
久し振り過ぎて、忘れていた感覚。
もう二度と抱くことはないと思っていた感情。
――俺は、レトが好きなんだ。
※次回更新は9/30を予定しています




