第七十三話② 過去との決着(後編)
イチヤは跳躍し、チサトに斬り掛かった。
チサトも反応し、斬り掛かってくるイチヤに魔術を放ってきた。
交錯する、イチヤの剣とチサトの魔術。
イチヤの手に、軽い、でも確かな手応えがあった。
直後、ボトボトッという、何かが地面に落ちた音がした。その数瞬後に、ドサッという、重い音がイチヤの耳に届いた。
剣を振った直後に着地し、イチヤはチサトの方を振り返った。
彼女は落馬していた。打ち所は悪くなかったのだろう、意識ははっきりしているようだ。倒れた体を起こそうとしている。
人は、倒れ込んだ際に、地面に手をついて立ち上がろうとする。
チサトも例に漏れず、地面に手をつこうとした。地面に手をついて立ち上がろうとして。
ビクッと体を震わせ、硬直した。
チサトの手首から先が、なくなっていた。両手ともに。手を失った手首から、ピューピューと血が吹き出ている。
数秒前にイチヤが斬り落とした手は、偶然にも、チサトの近くに転がっていた。右手も、左手も。
「……あ………」
チサトの口から声が漏れた。顔が一気に青ざめたのは、出血のせいだけではないだろう。
「……あ……あ……」
チサトが、ガタガタと震えだした。恐怖と絶望に満ちた顔になっている。昔のイチヤによく似た顔。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
絶叫。
「手! 手が!! 私の手が!!」
地面に両肘をつき、四つん這いのような格好で、チサトは、自分の両手に近付いていった。
「回復しないと。くっつけないと」
チサトの回復魔術は、欠損した四肢をも繋げられるようだ。召喚者なのだから、それくらいはできるのだろう。
もちろんイチヤは、回復を許す気などない。
チサトより早く、彼女の両手に近寄る。そのままイチヤは、転がっている両手を蹴飛ばした。
チサトの両手は、十メートルほど先に飛んでいった。
周囲には、ノース軍とサウスウェスト軍の魔術が飛び交っている。このまま放っておけば、チサトの両手は、いつか魔術に巻き込まれて修復不可能になるだろう。
イチヤはチサトに近付いた。
彼女は、この世の終わりのような顔で、遠くに飛んでいった両手を見つめていた。口が半開きになり、目から大量の涙を流している。
かつて、イチヤを絶望の淵に叩き落としたチサト。
この世界に来てから、多くの人間に手をかけたであろうチサト。
昔付き合っていた五味ですら、平気で焼き殺したチサト。
四つん這いになった彼女は、イチヤを見上げてきた。途端に、媚びと懇願が混じった表情になった。
「お願い、村木。助けて」
震える唇で、必死に笑顔をつくっていた。
「もう降参するから。私のこと、好きにしていいから。ほら、あんた、私とヤリたがってたでしょ? 何回でもしていいから。今度は嘘じゃないから」
そこまで言って、チサトは、何かを思い出したように「あ」と声を漏らした。
「もしかして、信じてない? また騙されてるんじゃないか、なんて思ってる?」
イチヤは何も答えなかった。無表情で、足元の女を見下ろしていた。
「本当だよ? 嘘じゃないよ! 信じられないなら、ここで脱いで見せようか? 昔みたいに下着までじゃなく、裸になってあげる」
言いながら、チサトは服を脱ごうとして。
手のない手首を、自分のローブに付けてしまった。ベチャッと、血の水音が鳴った。
「あ……手、手……」
震えながら、出血する自分の手首を見つめる。流れ落ちた涙が、手首から溢れ出る血に混じった。大きく震えながら、チサトは、再びイチヤを見上げてきた。
「お願い、手を取ってきて。手があれば、あんたに、いろんなご奉仕できるから。気持ちいいこと、いっぱいしてあげるから。何度でもしてあげるから」
「……」
かつて自分を貶め、見下していた女が、今では無様に媚びている。
そんなチサトを前にしても、イチヤは、まるで喜びを感じなかった。楽しいなどとは思えなかった。
もともと、仕返しをしたくてチサトと戦ったわけではない。彼女に「ざまあみろ」と言いたかったわけではない。
恐怖と嫌悪の対象を乗り越えるために戦った。戦い、勝った。一つの目的を、イチヤは確かに達成した。
でも、達成感などなかった。
ただ、哀れだった。こんな女に弄ばれ、心に傷を負った過去の自分が。哀れで、惨めだった。
そんな過去を、ここで断ち切る。チサトの命とともに。
無言のまま、イチヤは剣を振った。
チサトの首が胴体から離れた。ゴトリと、地面に転がった。
頭を失った彼女の体が、地面に崩れ落ちた。首から大量の血が流れ、地面に広がってゆく。
イチヤはチサトの髪の毛を掴み、彼女の頭を拾い上げた。絶望の中で死んだ顔をしていた。
腕を伸ばし、チサトの首を高々と掲げる。
腹の底から、大声で叫ぶ。
「サウスウェストの召喚者は死んだ! あとは烏合の衆だ!」
ハイドの風の魔術で、声は運んではいない。ただの大声。
だが、周辺の兵は、イチヤが手にしている物を見て事態を察したようだ。
周辺の者達が察した事実は、より広範囲へと広がってゆく。
チサトの首を掲げた手とは逆の手で、イチヤは、サウスウェスト軍の方に剣を突き出した。
「まだ来るなら容赦しない! この国から撤退しないなら、徹底的に潰す! お前等が占拠した都市や町に攻め込んで、全滅させる!」
敵軍に声は届いただろうか。届いていないのなら、力で分からせるしかない。
イチヤがそんなことを考えていると、敵軍後衛から大声が聞こえた。
「撤退! 撤退だ! チサト様がやられた!」
敵軍の指揮を執る者の声だろう。直後、サウスウェスト軍の後衛は、撤退を始めた。後ろを振り返ると、生き残っている敵軍前衛も、散り散りになって撤退を始めた。
逃げてゆく敵軍をぼんやりと眺めながら、イチヤは大きく息をついた。体にはいくつもの切り傷があり、それなりに出血している。過去の心的外傷からくる重圧で、精神的にひどく疲れる戦いだった。
疲れているはずなのに、イチヤの心は軽くなっていた。日本の時間で言うなら三十年以上も背負い続けた重荷を、ようやく下ろせた。
馬が一頭、こちらに向って走ってきた。人が乗っている。遠目でも、彼が誰なのかは分かる。あまりに美しい容貌。
ふと、イチヤは、どうでもいいことを考えた。もしかして吸血鬼は、美男美女ばかりだったのだろうか。生き残りが彼しかいないから、確かめる術はないが。
やがて、馬に乗ったハイドが、イチヤのところに辿り着いた。彼は、イチヤのすぐ近くで馬を止めた。優しく微笑みかけてくる。
「どう? 乗り越えられた?」
ハイドの質問に、主語はなかった。でも、何を訊いているのかは分かる。
イチヤは、手にしたチサトの首を放り投げた。
「戦ってる最中で、ひとつ乗り越えられた。戦いが終わって、全部を乗り越えられた」
「じゃあ、目的は果たせたんだ?」
「そうだな。ハイドのお陰だ。ありがとう」
イチヤが礼を言うと、ハイドは周囲を見回した。ノース軍の人間は近くにいない。
ハイドは、人差し指を唇に当てた。
「君はノーチェ。じゃあ、私は?」
「あ」
イチヤもハイドも、今は偽名で行動している。
苦笑して、イチヤは言い直した。
「そうだったな。ありがとう、ハイディア」
「どういたしまして。じゃあ、次に進めそう?」
「進むよ。次の目的は、ハイディアと同じだ」
皇帝を討つ。まずは、ノースの皇帝ロキが標的。
「うん。ただ、もう少しだけ、ノーチェの動きを磨きたいね。まだ少し心許ない」
「またしばらく訓練か」
「そうだね。折角だから、このままシウダッドミリタールに滞在して訓練しようか。戦果を上げたから、いい待遇を受けられるかも知れないし」
ノース軍の兵士達が、逃亡するサウスウェスト軍を見て歓喜の声を上げていた。勝算の薄い戦いで勝ち、都市を守れたのだ。喜ぶのも無理はない。
そんな兵の集まりから、一人の人物が、馬に乗ってこちらに走ってきた。プリメラだ。彼女が率いる後衛には、ほとんど被害がないようだ。イチヤとハイドが率いる前衛が、敵を圧倒したからだろう。
こちらに向いながら、プリメラは、馬上で手を振っていた。
イチヤとハイドも手を振り返した。
※次回更新は9/16を予定しています




