第七十二話 視界に捕えた標的
ノース側が陣形を組むと、およそ九〇〇メートルほど先で、サウスウェスト軍も戦闘準備を始めた。
モティボの会議でハイドの案が採用されてから、十三日後。
シウダッドミリタールの前方、約一五〇メートルの位置。
太陽は真上にあるが、空は曇っている。雨が降るほどではないが。
イチヤとハイドに与えられた約二〇〇〇名の部隊が、ほぼ横一列の陣形で戦闘準備を整えた。
ほぼ横一列のため、この陣形は薄い。
イチヤ達の後方、約十メートルほどの位置に、プリメラが率いる魔術師の部隊。人数は、約一○○○名。さらにその後方、約一〇〇メートルの位置に、今までシウダッドミリタールを守ってきた部隊が控えている。
この兵の配置で、イチヤ達への期待値が概ね伺える。モティボを攻めていた敵軍を退けたとはいえ、領主であるメディオ侯爵は、イチヤ達にそれほど期待していない。
正面にいる敵国の兵力は、戦士型と魔術師型の合計が約二〇〇〇〇。陣形は、こちらよりも遙かに分厚い。たとえ陣の一人を仕留めても、後方に控える兵が次々と攻めてくる。さらに、敵軍後衛の魔術師部隊が、前衛のフォローのために魔術を放ってくるだろう。
どんなに優れた策を練ろうとも、戦いとは、結局は兵力が明暗を分ける。戦力で遙かに劣るこちらに、勝ち目などないように見える。
それを、これから覆す。敵軍を崩壊させ、チサトを仕留める。
イチヤの隣りには、ハイドがいる。ここでは、イチヤはノーチェと名乗り、ハイドはハイディアと名乗っている。
イチヤは、周辺の兵を見回した。誰も彼も、絶望を絵に描いたような顔をしている。当然と言えば当然かも知れない。プリメラより後ろにいる部隊は、こちらのフォローなどしないだろう。それどころか、イチヤ達が敗れたら早々に城壁の奥に消え、籠城するはずだ。つまり、イチヤ達と共に戦う者達は、言ってしまえば見捨てられた兵隊なのだ。
イチヤの隣りにいるハイドが、馬を近付けてきた。耳打ちするように顔を近付けてくる。
「ノーチェ」
偽名で、ハイドが話しかけてきた。
「私は、この戦いで、召喚者と同等程度の力を使うよ。ノーチェがチサトに辿り着けるように」
召喚者と同等程度。つまり、戦士としての力は使わないということだ。あくまで、魔術だけで戦う。正体を知られないように。
問題はない。イチヤは頷いた。
「チサトと戦える場所まで連れて行ってくれるだけでいい。あとは俺がやる。あいつは、俺にとって、破らないといけない壁なんだ」
「うん」
ハイドが、両手で魔術を展開した。風の魔術。周囲に、緩やかな空気が流れた。
この空気の感触に、イチヤは覚えがあった。公演の際に、ハイドが音を運んでいた風。
「それじゃあ、ノーチェ。みんなに号令をかけて。できるだけ、絶望じゃなく闘争心を煽れるようなやつで」
「わかった」
イチヤは背中の剣を抜いた。高々と掲げる。
「サウスウェストの軍勢が見えるか!? 俺達よりも遙かに数で勝る軍勢が!」
イチヤの大声はハイドの魔術で運ばれ、離れた場所にいる兵士達にも届いているようだ。皆の視線が、こちらに注がれた。絶望に満ちた視線。
「これまでノース側は、敗戦に敗戦を繰り返してきた! 他の都市からの援軍も期待できず、このままでは、ただ制圧され、殺されるのを待つだけだ!」
それは、ここにいる誰もが分かっているだろう。籠城し、貝のように固まっていても、いつかは破られる。死ぬのを多少遅らせるだけだ。
「選べ! ここで戦って生への活路を開くか! 身を丸めて無様に死ぬか!」
生きるためには、どうすべきか。何をしなければならないのか。誰もが分かっているのだ。
戦って、勝って、敵を撤退させるしかない。
周囲の兵の顔には、相変わらず絶望の色。ただし、絶望の中に、闘争心が見て取れるようになった。猫に噛みつく鼠の顔。
空に掲げた剣を、イチヤは、前方に向って振り下ろした。
「突撃!」
叫ぶと同時に、イチヤとハイドは、先頭を切って駆け出した。
前方にいる敵軍も、こちらの動きに反応した。馬を走らせ、向ってくる。
両軍が、馬を走らせて互いに向ってゆく。当然、両者の距離は、一気に縮まってゆく。
ハイドが両手を前方に差し出し、魔術を発動した。空気が歪んで見える。風の魔術だ。彼の魔術の発動速度は、人間の魔術師とは比べものにならないほど早い。戦士型の者と、魔術だけで近接戦闘を行えるほどに。
ハイドの両手から、空気の弾丸が無数に放たれた。以前、フロンティアの国境付近で見せた魔術。イチヤの剣の鞘に、無数の穴を開けた魔術だ。
こちらに向ってきたサウスウェストの兵士達に、ハイドの魔術が命中した。ある者は胸を貫通させられ、ある者は脳天を撃ち抜かれた。
サウスウェスト軍の兵の数は、こちらの十倍。それだけ、兵の密集度も高い。
ハイドの魔術に撃たれた兵が落馬し、乗っていた馬は混乱で足を止めた。後ろから駆けてきた馬が激突し、さらに多くの兵が落馬した。混乱と恐怖で馬が嘶き、暴れ、落馬した兵士達を踏み潰してゆく。響く悲鳴。断末魔。地面に広がる血。
戦闘開始から間もないのに、敵軍は混乱状態となった。
こちらの軍と敵軍が交錯を始めた。とはいえ、敵の最前列は、すでに壊滅状態に近い。続く者達も、馬の興奮を沈めるので手一杯になっている。
対して、こちらの軍は数が少なく、それだけ兵の密集度も低い。密集度が低いから、自由に動ける範囲も広い。
敵軍の様子を見て、こちらの軍の士気は一気に上がった。混乱する敵軍の兵に対し、次々に武器を振るう。敵兵の死体が、さらに地面を埋め尽くしてゆく。
イチヤの部隊の後方から、プリメラ率いる魔術師の部隊も追ってきている。援護のために、敵軍前衛に向って魔術を放ち始めた。火の魔術。敵兵の一人に当たれば、密集度が高いだけに、周囲の兵にも引火する可能性がある。それを狙ったのだろう。
敵軍後衛も、こちらに向って魔術を放ってきた。無数の、先端の尖った石が降ってくる。土の魔術だ。
自分達に降り注ぐ石を、ハイドは風の魔術で、イチヤは自分の剣で難なく防いだ。
敵軍から放たれる魔術は、威力も精度も速度も、ハイドに比べれば数段劣る。イチヤは再度、彼との訓練の成果を感じていた。
しかし、こちらの部隊の兵は、召喚者でもなければ吸血鬼でもない。敵軍後衛の魔術を食らい、倒れてゆく者達もいる。悲鳴が、敵軍からだけではなく、味方からも聞こえ始めた。
魔術を食らって命を落とすのは、味方の兵だけではなかった。敵軍の前衛も、こちらの後衛の魔術を食らい、引火し、火だるまになって力尽きてゆく。敵軍の馬は炎に怯え、嘶き、進軍を止め始めた。
軍の先頭に立ち、イチヤとハイドは前進を続けた。まだ無傷の敵兵が、次々と斬り掛かってくる。混乱でまとまりを失い、前進するだけの烏合の衆。そんな者達など、イチヤやハイドの相手にはならない。
イチヤが剣を振るうたびに、敵の死体が増える。剣は血で真っ赤に染まり、イチヤ自身も全身に返り血を浴びていた。
イチヤの近くを走るハイドは、実にスマートに戦っていた。相手が接近するより早く魔術を放つ。風の魔術の弾丸が、銃のように相手を撃ち抜く。交戦すら許さない圧倒的な能力。
――もしかして、ハイド一人でも勝てたんじゃないのか?
確信に近い推測を、胸中で呟く。もっとも、そんな真似などできない事情も、イチヤは理解していた。
吸血鬼の生き残りがいることを、皇帝に知られてはならない。知られれば、警戒され、捜索される。皇帝を殺したいハイドにとっては、都合が悪いのだ。
本当なら、ハイドは、もう少し力を抑えて戦いたいのだろう。「人間としては圧倒的に優秀だが、召喚者よりは劣る」程度の力で。それでも彼は、この戦いにおいて、召喚者レベルの力を使うと言っていた。リスクを冒してでも、イチヤの目的に手を貸してくれている。
「ありがとうな」
戦場に似つかわしくない言葉を小声で呟き、イチヤは、敵を斬りながら前進を続けた。後方から、味方の兵も続いている。圧倒的な兵力差がありながら、未だにこちらの方が優勢だ。敵の混乱は収まっておらず、さらに、後衛の火の魔術で足止めを食らっている。
ハイドが馬を寄せてきた。右手の魔術で敵を攻撃しながら、左手で、別の魔術を発動させた。声を運ぶ空気の魔術。
「まだこっちが優勢だけど、少し勢いが落ちてる! 鼓舞して!」
ハイドの意図を、イチヤは即座に理解した。前進し、周囲の敵を斬りながら、大声で叫んだ。
「勢いはこっちにある! 生への活路が見えてきたぞ! 生き残りたいなら戦え! 生を勝ち取れ!」
戦闘開始まで、絶望に満ちていたこちらの軍。彼等から、「おおおおおおおっ」と声が上がった。突撃開始時よりも明らかに士気が上がっている。
馬の走行が、振動となって伝わってくる。もちろん、停滞している敵軍の馬ではない。こちらの軍の馬だ。
地面には無数の死体が転がり、足場はどんどん悪くなっている。
悪くなる足場とは逆に、こちらの状況は好転してゆく。
敵兵を斬るたびに鼻をつく血生臭さ。切れ味が落ちてゆく剣。
薄くなってゆく、敵兵の壁。
敵軍後衛が見えてきた。今のイチヤの位置から、概ね二十メートル。
「召喚者の位置を探る! ノーチェ! 前方を注視して!」
こんなときでも、ハイドは、イチヤをしっかりと偽名で呼んでいた。彼は両手で、火の魔術を展開した。火球の雨を、敵軍後衛に降らせる。
敵軍後衛の対応は、明らかに遅かった。いや、ハイドの魔術の展開速度が異常なのだ。彼の火の魔術に撃たれ、敵軍後衛の多数が炎に包まれた。そんな中で、ある者は水の魔術でハイドの魔術を無効化し、ある者は燃え上がった者の火を消している。
慌ただしく動く敵軍後衛。
その中で。
的確に、ハイドの魔術を無効化した者がいた。降り注ぐ火の玉を、余裕を持って水で消している。
ハイドの魔術に対し、あれほど的確に反応できる者など、一人しかいない。
今のイチヤやハイドの位置から、ほぼ一直線上。敵軍後衛の中でも、前方に当たる場所。
――あそこにチサトがいる!
「ノーチェ! 向って! フォローは私がする!」
「頼む!」
イチヤは、馬の手綱を強く握った。尻を蹴って加速させる。
少し後ろから、ハイドが、風の魔術を無数に放った。チサトまでの道を切り開くために。
ハイドの魔術を食らった敵兵が、次々と倒れた。敵軍の前衛の壁を、完全に抜けた。
イチヤの目に、敵軍後衛の姿がはっきりと映った。
その最前列にいる、チサトの姿も。
イチヤから彼女までの距離は、約十二、三メートル。
チサトも、イチヤの存在に気付いたようだ。こちらに向って、両手で魔術を放ってきた。昔と変わらない、弱者を弄ぶ笑みを浮かべながら。
※次回更新ば9/14を予定しています




