第七十話② 成果(後編)
地獄絵図の中で、敵軍前衛は混乱に陥った。「ひっ」という悲鳴を上げる者。何をすればいいか分からなくなり、オロオロする者。かと思えば、魔術に巻き込まれまいと逃走する者もいる。
もちろん、地獄絵図の中でも、イチヤに攻撃してくる者もいる。
襲ってくる敵兵が少なくなったことで、イチヤはさらに戦い易くなった。
そこら中に死体が転がる戦場。燃えて息絶えた兵士や、血の海に沈む兵士。足場は、積み重なった死体で悪くなっている。
イチヤは、さらに血の海を広げていった。死体を積み上げた。前衛の軍は、もうほぼ壊滅状態となった。後方にいる魔術師の部隊が、はっきりと見渡せる。
後衛の部隊はまだ逃走していない。こちらに魔術を放っている。
敵軍の魔術が、先ほどまでより遙かに的確に、イチヤに向って飛んできた。前衛がほぼ壊滅したことで、イチヤの位置を正確に捉えられるようになったのだろう。
魔術を防ぐ訓練も、ハイドと散々積み重ねてきた。まして敵軍の魔術は、ハイドに比べれば遙かに劣る。
敵の魔術を難なく防ぎながら、イチヤは、敵軍後衛に向って馬を走らせようとした。
上空にある積乱雲から、ゴロゴロと音が響いた。
一瞬、空が明るく光った。
光と同時に、敵軍後衛に向って、幾筋かの雷が落ちた。
積乱雲はイチヤの上空にもあるのに、雷は、敵軍だけに落ちた。まるで、狙いを定めたように。イチヤが目測できただけでも、六筋の雷。
地面を突き刺す光の後には、一瞬前とまるで違う光景が広がっていた。敵軍後衛がいた場所には、炎が広がっていた。
雷が落ちたときの空気の温度は、三万度にもなるという。
雷は一瞬で敵軍後衛を焼き払い、壊滅させていた。おそらく彼等は、自分が死んだことすら理解できなかっただろう。
今、イチヤがいる場所。モティボから見て前方五〇〇メートルほどの場所。
燃え上がる敵軍後衛と、血と炎にまみれた敵軍前衛。
モティボに攻め込んだサウスウェスト軍は、逃亡した兵を除いて全滅した。
「……」
一、二秒ほど、眼前に広がる無数の死を眺めて。
イチヤは、剣を振って血を払った。そのまま背中の鞘に納める。
再度、周囲を見回した。戦争とは何かを物語る光景。
イチヤにとって、訓練の成果を感じられた戦いだった。自分は強くなっていると実感できた。
自分の成長を実感したとき、人は、充実感と達成感を覚える。ましてイチヤは、元の世界にいたとき、自分の運動能力と身体能力の低さに劣等感を持っていた。そんな自分が成長できたのだから、心が満たされても不思議ではない。
でも――と、イチヤは自分に言い聞かせた。
以前、ハイディアに――ハイドに言われたことを思い出した。
『戦争は楽しいですか?』
守るためという大義名分はある。けれど、楽しんではいけないことだ。人と競うことをモチベーションにするのは、決して悪いことではない。でもそれは、あくまで、互いを認め合えるという前提があってこそだ。
戦争など。殺し合いなど。
本来であれば、存在するべきじゃない。
イチヤはきびすを返し、馬をモティボの方に向けた。
一〇〇メートルほど先に、ハイドがいた。
雷で、サウスウェスト軍の後衛が全滅した。あの雷は自然現象だったのか。
答えは簡単に導き出せた。自然現象ではない。自然現象が、あんなにも的確に、あんなにも都合よく、敵軍だけを仕留めるはずがない。
イチヤはハイドに向って走った。彼のところに辿り着いて、馬を止めた。
「イチヤ様、お疲れ様です」
おちゃらけているのか、ハイドは、ハイディアの声で労ってきた。
「お怪我はありませんか?」
「ないよ。ってか、それ、やめないか?」
「駄目ですよ。ノース軍に合流している間、私は、ハイディアとして過ごすんですから。イチヤ様も、しばらくはノーチェさんで過ごすんですし」
「まあ、そうだけど」
ハイドの言い分は、正しいと言えば正しい。どこまで本気かは分からないが。
「で、ハイド」
「ハイディアです」
「……で、ハイディア」
「はい。何ですか、ノーチェさん」
「あの雷、お前か?」
「ええ」
ハイドは小さく頷いた。
「水と風の魔術を使って、小さい積乱雲を作りました。積乱雲を作るのは多少時間がかかりますが、それほど難しくないんです。けど、思ったところに雷を落とすのは、なかなか難しくて。ずいぶん練習したんですよ」
「……お前にも難しいことがあるんだな」
「当然です」
言うとハイドは、少し寂しそうな顔になった。
ハイドは昔、大切な人を守れなかった。決して万能ではない。もし彼が万能であったなら、今のような生き方を選んでいなかっただろう。愛する人の最後を見届けて、残された人生をひっそりと過ごしていたはずだ。
イチヤは自分の失言を恥じた。
「悪かったな、ハイド」
「いえ。でも、ハイディアです。気を付けてください、ノーチェさん」
「……分かった」
イチヤは頭を掻いた。別に痒かったわけではないが。
「とりあえず、後ろに乗りな。ノース軍に害意はなさそうだから。プリメラがちゃんと説明してくれたんだろう」
「はい」
ハイドがイチヤの後ろに乗った。イチヤの腰に手を回してきて、振り落とされないようにする。
ハイドの外見は絶世の美女だ。男だと分かっていても緊張してしまうほどの。
ふと、イチヤは考えた。
もし、ハイドが男だと知らなければ。もし、自分の体が正常で、こんな状況になったなら。
――もしかしたら。
体が反応してしまったかも知れない。
そんな下らないことを考えつつ、イチヤは、モティボに向って馬を走らせた。
※次回更新は9/10を予定しています




