第六十八話② ずっと続いていた再会(後編)
プリメラにじっと見つめられながら。ハイドは、難しい顔を見せた。
「クレアを助けられた可能性は、限りなくゼロだ。時間がなさ過ぎる。あるいは、時間があっても無理かも知れない」
「どういうことですか?」
訊いたのはプリメラだった。たとえハイドがフェイタル病を治せるとしても、もう遅い。クレアは亡くなってしまった。それでも、訊かずにはいられないのだろう。
ハイドは「うーん」と少し唸り、「どう言ったらいいだろう」と呟き、そのまま続けた。
「まず、魔法って言っても、全知全能じゃない。自然にないものから物理作用を起こすっていっても、やりたいことを何でもできるわけじゃない。物理作用を起こすために、複雑な構成を組み立てる必要があるんだ。そして、適した構成を組み立てないと、意図した作用は起こせない」
ハイドの話で、イチヤはなんとなくイメージができた。
「つまり、フェイタル病を治す構成がまるで分からないから、その構成を研究するのに時間がかかるってことか?」
ハイドは頷いた。
「そういうこと。フェイタル病を治せる構成があるのかも、今のところ分からない。できるかも知れないし、できないかも知れない。仮にできるとしても、ゼロから研究してたら、実現までに少なくとも数十年はかかる。まあ、すでにフェイタル病を研究してる魔法使いがいて、症状を軽減することに成功してる、なんて実例があれば、一、二年で治せるようになるかも知れないけど」
「……」
プリメラは俯いた。ある程度の研究が進んでいたとしても、治せるようになるには一、二年はかかる。しかし、フェイタル病は、罹ってから半年~一年で死に至る。どう転んでもクレアは助からなかったのだ。
ハイドは、プリメラの頭に優しく手を置いた。
「力になれなかったのは申し訳ないと思う。だから、皇帝を片付けて戦争もなくなったら、俺は、病気治療の研究でもしてみるよ」
「……」
ハイドの手を頭に置いたまま、プリメラは彼を見つめた。少しだけ目を見開いて、ちょっとだけ寂しそうな顔を見せて。反面、かすかに嬉しそうな表情になった。
「はい。ぜひそうして下さい」
「ああ」
プリメラの頭から手を離し、ハイドは、イチヤの方を向いた。
「で、イチヤ」
「ん?」
「どうする? イチヤの目的は、チサトと戦うことだ。で、たぶんチサトは、シウダッドミリタールを攻め込む軍の中にいる」
「そうだな」
「目的がチサトなら、ここは素通りする? それとも、モティボを守る?」
「決まってるだろ。モティボを守る」
迷うことなく、イチヤは答えた。
「兵力は、モティボ側が――ノース側が劣ってる。このままだと、モティボ陥落は時間の問題だ。で、陥落したら、モティボの住人が蹂躙される。素通りする理由なんてない」
「そう言うと思ってた」
ハイドが優しい顔を見せた。ローブのポケットから、髪の毛を結ぶ紐を取り出す。後ろで結ぶ。ポニーテール。髭の生えていない滑らかな肌に、彫刻のような整った顔。ポニーテールも、驚くほど似合っていた。
「じゃあ、とりあえず俺は変装するよ。一応、顔と名前が知られてるからね。歌人の『ハイド』が戦争に出てきたなんて、知られたくないし」
「それが変装か」
ポニーテールを結ぶ仕草をしながら、イチヤが訊いた。
「まさか」
ハイドは苦笑すると、魔術を展開した。氷の板を手元で作り出す。円形の板。不純物が混じっていない氷は、向こう側が完全に透けて見える。その板の裏側に、ポケットから取り出した黒い布を当てた。透過が遮られた氷は、鏡のように前面のものを映し出した。
「化粧して、女装するんだよ。顔と性別を偽れば、俺がハイドだってバレることはない。実例もあるしね」
「実例?」
「ああ」
馬に背負わせた荷物から、ハイドは、化粧道具を取り出した。その場に座り込み、片手で鏡を持ちながら、もう一方の手で器用に化粧をしてゆく。アイラインを引き、目元の印象を少し変える。普段のハイドより、どこか気弱そうな印象の顔立ちになった。薄い口紅で、女性らしい妖艶さが出てきた。ファンデーションの色合いの工夫で、普段よりも丸みのある輪郭に見えるようになった。
ハイドの化粧が進んでいくごとに、イチヤは呆気に取られていった。普段も綺麗な顔をしているハイドが、さらに女性らしい美しさを纏ってゆく。
プリメラも呆気に取られている。だが、間違いなく、呆気に取られる理由は、イチヤとは違うはずだ。彼女はただ、ハイドの美しさに驚いているだけだ。
ハイドは先ほど『実例』と言った。顔と性別を偽れば、彼がハイドだと気付かれることはない。その実例。
ハイドの化粧が終わる頃、イチヤは、彼の言葉の意味を理解した。
「ハイディア……」
化粧を終えたハイドは、かつて一緒に戦った仲間と同じ姿になっていた。驚くほどの美貌に、レトをも凌ぐ強力な魔術。敵国の村人を助けたイチヤに、ただ一人賛同してくれた人。ノース軍の中で、レト以外に、ただ一人『仲間』と呼べた女性。
化粧を終え、氷の鏡を捨てて、布をローブのポケットに入れる。ハイディア――ハイドは、以前の姿と声で、イチヤに頭を下げてきた。
「ご無沙汰してます、イチヤ様」
下げた頭を上げると、ハイドは、悪戯っぽい顔を見せた。声も地声に戻した。
「どう? 分からないものだろ?」
「……あ……あ、ああ」
姿も声も変えていたら、ハイディアがハイドだと分かるはずがない。妙に納得しつつも、イチヤは混乱してしまった。頭に浮かぶのは、ハイディアと最後に戦ったときのこと。フロンテーラ進軍時。
あのとき、形勢が不利になる前から、逃走する兵がいた。形勢が不利になってくると、大多数の兵が逃走した。ハイディアの援護がなければ、もっと苦しい戦いになっていただろう。レトのフォローがなければ、イチヤはもう死んでいたはずだ。
気掛かりだった、レトとハイディアの生死。一人は今わかった。
では、もう一人は? レトはどうなった?
まだ混乱する頭で、イチヤは、思ったままを口にした。
「無事だったんだな」
「うん。悪いけど、あの状況だから逃走した」
「じゃあ、レトは?」
「生きてるよ」
レトは生きている。
「正直なところ、俺は、あの時点でイチヤのことを見捨てるつもりだった。レトだけでも助けようとした。だから、レトを連れて逃げた」
「そうか……」
イチヤの体から力が抜けた。ペタンと、その場に膝をついてしまった。
レトは無事だ。生きている。ハイドが連れて逃げてくれた。
レトが無事だと聞かされて、イチヤは、自分でも意外なほどに安堵した。想像以上に安堵している自分に、驚いた。
フロンテーラで行方が分からなくなってから、レトのことを考えることはあった。とはいえ、こんなにも気に掛けていたとは、自分でも思わなかった。
「レトは一旦、村に帰るって言ってたよ。それ以降のことは分からない。ただ、レトなら、帰り道で盗賊に襲われたとしても、返り討ちにできるだろうからね。無事なのは間違いないよ」
「ああ……」
無事でいてくれたらいい。生きて、母親のもとに帰ることができたなら。
レトの母親がどのような病気なのかは、イチヤは知らない。ただ、召喚者の付き人となることで、かなりの治療費を稼げたはずだ。これで、母親の治療は行えるだろう。
イチヤは深呼吸をし、気持ちを切り替えた。地面から膝を離し、立ち上がった。
「ハイド」
「うん?」
「ハイディアのときは、世話になったな」
「仕事ですから」
わざとハイディアの声で応えて、ハイドは笑った。
イチヤも笑った。
プリメラが、わけが分からない、という顔をしている。事情は後で話してあげよう。
今は、早急にやるべきことがある。
「とりあえず、あそこのサウスウェスト軍を片付ける。けど、どうする?」
「うん。そうだね――」
イチヤの問いに対し、ハイドが意見を口にした。
※次回更新は9/6を予定しています




