第六十七話① 告白し克服すべき過去(前編)
「俺は反対だよ。そんなことをする時間があるなら、もっと有意義に自分を鍛えるべきだ」
クレアが亡くなってから三日後の夜。
滞在している宿。
一つの部屋に集まった、イチヤ、ハイド、プリメラの三人。床に座り、円のように向かい合っている。
イチヤの意見に対し、ハイドが、はっきりと拒絶の意思を示してきた。
現在、サウスウェスト軍が、召喚者を連れてシウダッドミリタールに進軍している。
その情報を聞いたイチヤは、ハイドに伝えた。
「これからシウダッドミリタールに行って、サウスウェスト軍を叩く。向こうの召喚者を殺せば、撤退させられるはずだ」と。
以前、サウスウェストに進軍したとき、イチヤは戦争の実態を見た。正義も悪もない、ただの殺し合い。欲望のぶつけ合い。けれど、殺し合いに巻き込まれて悲惨な目に遭うのは、普通に生きている人達だ。それなら、ここでサウスウェスト軍を撤退させたい。
さらにイチヤには、もう一つ、サウスウェスト軍を叩きたい理由があった。
イチヤの意見に反対し、ハイドはさらに続けた。
「実戦に身を置くことで自分を鍛える、という方法は確かにある。けど、サウスウェスト軍を相手にしても、今のイチヤにとっては何の訓練にもならない。ただの時間の無駄だ」
「でも、サウスウェスト軍を撤退させられるかも知れないだろ。そうすれば、一時的に両国の戦いは中断する。皇帝を殺すのは戦争を止めるためなんだから、無駄とは言えないだろ」
「戦争を止めたいってのは、イチヤの目的だろ?」
以前、ハイドは言っていた。吸血鬼は、強力な力を持ちながらも穏やかな人種だと。実際に、普段の彼は、非常に穏やかで優しい男だった。
しかし、今のハイドの目には、明らかな凶暴性があった。綺麗な顔立ちが、より一層の迫力を生み出している。
「俺は、単純に皇帝を殺したいだけだ。その目的が達成できれば、結果的にイチヤの目的も達成できるだけで」
「じゃあ、戦争に巻き込まれてる人達を、見捨てろっていうのか?」
「そうだよ」
冷たく、ハイドは言い放った。
「時間を無駄にしないで、イチヤとプリメラを徹底的に鍛え上げる。及第点と思えるくらいに力がついたら、皇帝を殺しに行く」
皇帝を殺すための段取りも、三人はすでに話し合っていた。
お尋ね者のイチヤを連れて、ハイドが王都に行く。ハイドが、イチヤと同行していることを王都の軍に密告する。情報は軍から国王に伝わり、国王から皇帝に伝わる。召喚者を殺せる者など、この国には皇帝しかいない。必然的に、皇帝は、イチヤの前に姿を現す。そこを叩く。
「今のイチヤに必要なのは――皇帝を殺すために必要なのは、大軍を相手にする力じゃない。皇帝一人を相手にできる力だ」
一人で大勢と戦う技術と、一対一で戦う技術。これらは、まるで異なる。
ハイドの冷淡な言い分に、イチヤは少なからず苛ついた。胸の奥から、モヤモヤとした不快感が湧き上がってきた。
イチヤが戦争を終わらせたいのは、理不尽に傷付く人をなくしたいから。戦争を終わらせるために誰かを見捨ててしまっては、本末転倒なのだ。
「ふざけるなよ」
低く、イチヤは声を漏らした。頭の中に、高校時代の自分が思い浮んだ。サウスウェスト軍に侵略された、ノースの村々が思い起こされた。サウスウェストの村での、ノース軍の蛮行を思い出した。
嘲笑に囲まれながら傷付けられ、犯され、殺される人達。
でも、イチヤがシウダッドミリタールに行きたい理由は、それだけじゃない。
イチヤを睨むハイドの視線には、背筋が凍るような迫力があった。この迫力以上の力が、彼にはある。
しかし、イチヤも引くつもりはなかった。ハイドを睨み返し、自分の意思を通そうとした。
イチヤとハイドの間に、不穏な空気が流れた。一触即発、という言葉が当てはまる空気。
ピリピリとした雰囲気。
殺気立つ両者。
いつ、どちらが先に手を出しても不思議ではない。
そんな状態でイチヤとハイドが睨み合っていると。
バシャッと、室内に水音が響いた。
同時に、イチヤとハイドがずぶ濡れになった。
「……?」
イチヤもハイドも、完全に呆けてしまった。睨み合っていた視線は、気の抜けた見つめ合いになってしまった。
濡れたハイドの姿がやたらと色っぽくて、見つめ合いの末に、イチヤは目を逸らしてしまった。
「頭は冷えましたか?」
訊いてきたのは、プリメラだった。
イチヤとハイドの頭に、大量の水が叩き付けられた。床は水浸しになっている。当然、座っているプリメラの下半身も、びしょ濡れになっていた。
彼女に言われて、イチヤはようやく気付いた。
プリメラが、イチヤとハイドに水を掛けたのだ。水の魔術。
「頭が冷えたら、一旦冷静になってください」
「……」
呆けたまま、イチヤはプリメラを見つめた。
ハイドも、イチヤと同じように、呆然としながらプリメラを見ている。どこか驚いた顔で。
プリメラの様子は、ほんの三日前とはまるで違っていた。
イチヤの知る限り、プリメラは、臆病で自分に自信のない女の子だ。トーダの死で、重過ぎるほどの罪悪感と劣等感を抱えた。いつも、どこかオドオドしていた。それでいて、自分を犠牲にするような献身を見せることもあった。
そんなプリメラの面影が、消え去っていた。
クレアが亡くなった後。丸一日、プリメラは、宿の自分の部屋から出てこなかった。時々、すすり泣く声が彼女の部屋から漏れていた。
クレアが亡くなってから二日後。ようやく部屋から出てきたプリメラは、目を泣き腫らしていた。ただ、その瞳には、今までにない凜々しさがあった。
そして、クレアが亡くなってから三日後の今。
プリメラは、喧嘩腰で睨み合うイチヤとハイドに、水をぶちまけた。
呆けたままで彼女を見つめながら。
ふいに、イチヤは気付いた。
プリメラは何かを乗り越えたのだ、と。
イチヤは、元の世界では四十五歳の中年だった。生きる気力などなく、ただ適当に生きていた。それでも、周囲にいる人達の姿は目に映る。周囲の人達の成長を感じることもできる。何かのきっかけで、急激に仕事ができるようになった若者を見たことがある。
だから分かる。
プリメラは、罪悪感と劣等感を抱えているが故に、クレアに尽くそうとした。彼女のために最大限の努力をした。「できた」と思うこともあるだろう。「できなかった」と悔やむこともあるだろう。クレアが残した最後の言葉に、思うところがあっただろう。
そして、クレアの死を見届けて。
プリメラは、強くなったのだ。ただ後悔と罪悪感の中で生きるのではなく、前を向いて生きられるようになったのだ。
そもそもプリメラは、イニシオ村でただ一人、回復魔術を使える魔術師だった。ひとつの村という狭い世界とはいえ、有能な者として扱われていた女の子。本来は、自分に自信があったのかも知れない。
プリメラは小さく息をつくと、イチヤとハイドを交互に見た。
「二人とも、自分の考えや思惑があると思います。意見が合わないこともあると思います。でも、そんなふうに殺気立っても、建設的な話し合いはできないですよね?」
質問口調だが、プリメラは、特に回答を求めていないようだ。そのまま続けた。
「それなら、落ち着いて話し合ってくれませんか?」
「……」
反論しようのない正論に、イチヤは何も言えなかった。
ハイドも、イチヤと同じように無言だった。
「ただ、仲裁のためとはいえ、水を掛けてしまったことは謝ります。ごめんなさい」
言うと、プリメラは、再び魔術を発動させた。今度は自分に向って、大量の水をぶちまけた。これでお相子、とでも言うように。
バシャッと水音がなって、プリメラが水浸しになった。跳ねた水が、イチヤとハイドにもかかった。
しばし、三人とも無言になった。
数秒の沈黙の後、ハイドが、濡れた髪を掻き上げた。何気ない仕草なのに、いちいち色気が滲み出ている。
「そうだね。プリメラの言う通りだ」
先ほどの殺伐とした表情が嘘のように、ハイドは優しい顔になった。温かみのある視線を、プリメラに向けている。
「ごめんね、プリメラ」
「いえ」
プリメラが首を横に振った。水滴が周りに散った。
「イチヤも、ごめんな。少し焦ってたみたいだ」
「焦ってた、って。何でだ?」
ハイドの言葉に対し、イチヤは質問を投げた。
「俺がハイドの期待に応えられるくらい成長してるかは、正直なところ分からない。でも、自分で言うのも馬鹿みたいだけど、確実に力は付いてきてると思う」
イチヤが様々な本から得た、トレーニングの知識。ハイドの協力を得ることで、知識を最大限に活かした訓練ができている。確実に力はついてきている。
「もしかして、俺の成長速度は、ハイドの想定よりかなり遅いのか?」
「いや、違う」
「じゃあ、焦りって何だ?」
時間を有意義に使いたい、とハイドは言っていた。けれど、それを言うなら――
「なあ、ハイド」
「ん?」
「サウスウェスト軍を退けて犠牲を少なくすることを、時間の無駄って言ってたよな」
「失言だった。謝るよ」
「そうじゃなくて。いや、そうじゃないわけじゃないんだけど」
「?」
「俺も、誤解を恐れずに言うけど。サウスウェスト軍を退けるのが時間の無駄って言うなら、それこそ、クレアを最後まで見取ることも、ハイドにとっては時間の無駄だったんじゃないのか? ひどく嫌な言い方をするけど、クレアはもう助かる見込みなんてなかった。大勢の犠牲を無視して、少しでも早く皇帝を殺すことを考えるなら、クレアにだって何もしなかったんじゃないのか?」
イチヤの話を聞いて、プリメラが少しムッとした顔になった。クレアに尽くしたことは、それだけ、彼女にとって大きな意味があるのだ。
プリメラの様子は見ない振りで、イチヤはハイドをじっと見つめた。
ハイドは、何かを諦めたかのように苦笑した。




