第六十四話 訓練の代わりに公演
「今日の訓練はなしで。で、その代わりじゃないけど、ちょっと手伝って欲しいんだ」
ハイドと共に行動するようになってから、一ヶ月半ほど経った日の朝。
長く寝泊まりしている宿。イチヤの部屋。床に敷いたシートに、並べられたパン。コップに入った水。
三人で朝食を食べているときに、いきなり、ハイドに言われた。
「なんだよ突然。手伝いって、何をすればいいんだ?」
イチヤが訊くと、ハイドは、失敗を誤魔化すように笑った。
「言い忘れてたんだけど、今日、俺の公演の日なんだ」
ハイドは歌人だ。それも、圧倒的な歌唱力を誇る歌人。訓練の合間にも、歌の練習は欠かさない。
イチヤとプリメラは、いつも、彼の歌声に聞き惚れていた。
「まあ、公演なら仕方ないけど。でも、俺達が手伝うことなんてあるのか? 楽器が弾けるわけじゃないし、投げ銭の収拾もハイドなら不要だろ」
イチヤの隣りで、プリメラがうんうんと頷いていた。
「今日は、大広場の公演じゃないんだ」
手元のパンを千切り、ハイドは口に運んだ。コップを持ち、水で喉を潤す。行動を共にしていると分かるが、彼は喉を非常に大切にしている。
ハイドはコップを床に戻した。
「実はね、ディグノ公爵夫人に依頼を受けてるんだ。住民にも別邸を開放するから、ディグノ邸の敷地内で公演をしてほしい、って」
ハイドは簡潔に、ディグノ公爵夫人について説明してくれた。デシーディダ・ディグノ。愛称はシーダ。マリシャス男爵家から嫁いだ才女。ディグノ公爵との間に、たくさんの子供がいる。夫婦は仲睦まじく、ディグノ公爵には側室もいない。ハイドの歌に惚れ込んでいる。
そして、デシーディダには、親友のような侍女がいる。
「ディグノ公爵夫人は、国王に対して何度も休戦を嘆願してるらしいんだ。もちろん、国王がそれを受け入れることはない。皇帝には逆らえないからね。でも、皇帝を殺したら、状況は一変する。そのときに、ディグノ公爵夫人の存在は、休戦のための大きな力になる」
ハイドはイチヤに対し、悪戯っぽい笑みを向けてきた。
「イチヤの目的にとって、味方につけたい人物だろ?」
「まあ、確かに」
もっとも、ディグノ公爵夫人の存在がなくても、イチヤは、ハイドの公演をやめさせるつもりなどない。それどころか、同行者の特権で、最前列で聴かせてもらいたい。
「で、そんな大事なことを、俺達に伝え忘れてたってことか?」
「いや、言おう言おうとは思ってたんだよ」
ハイドは再び、失敗を誤魔化すような顔を見せた。そんな顔ですら綺麗なのだが。
「でも、イチヤとプリメラの訓練をしてるうちに、あっという間に今日になっちゃって。ほら、歳をとるごとに、時間の流れって早く感じるようになるだろ?」
「年寄りみたいなこと言いますね」
以前見せていた警戒心など微塵もなく、プリメラが呟いた。
「そりゃあ、君達に比べたら遙かに年寄りだからね」
「あ」
イチヤとプリメラが、揃って声を漏らした。
ハイドは、もう八〇〇年も生きているのだ。若く綺麗な外見のせいで忘れがちになるが。この世界での八〇〇年。元の世界に換算したら、約二四〇〇年も生きている計算になる。
元の世界で、イチヤは四十五歳だった。四十五年間生きただけでも、一年が早く感じるようになっていた。
では、イチヤの五十倍ほども生きているハイドにとって、時間はどれくらい早く流れているのだろうか。まったく想像もつかない。
「まあ、そんなわけで、今日はこれからディグノ邸に行くわけだけど」
「俺達は、何を手伝えばいいんだ?」
「侍女の友人の付き添い」
「?」
意味が分からず、イチヤは無言になってしまった。
プリメラもキョトンとしている。
イチヤとプリメラの顔を交互に見て、ハイドは続けた。
「シーダ様には、親友とも呼べる侍女がいるんだ。エフィメラさんっていう女性でね。そのエフィメラさんの友人が、病気なんだよ。で、大広場から聞こえる俺の歌を聴きたがってたらしいんだ」
「つまり、エフィメラさんの友人の付き添いをしてほしいってことですか?」
プリメラの問いに、ハイドは頷いた。
「エフィメラ――エフィーさんの友人は、クレプシアさんっていうそうだけど……その人は、フェイタル病らしい」
ハイドの話を聞いたプリメラは、傷ましそうな顔を見せた。
フェイタル病。当然ながら、イチヤは、そんな病名を聞いたことがない。この世界に来てから、戦いの知識ばかり学んできたのだから。
「フェイタル病って?」
訊いたイチヤに、ハイドは、簡潔かつ丁寧に教えてくれた。
フェイタル病。トレフォイル大陸で稀に罹る人がいる、不治の病。発症例が少ないため研究が進みにくく、現代医学では治療法が確立されていない。もちろん、回復魔術は効かない。発病直後は突如足腰が立たなくなり、歩くことさえ困難になる。徐々に、全身の機能が低下してゆく。病の進行は早く、早ければ半年、遅くとも一年で全身の機能が停止し、死に至る。
病と聞いて、イチヤは、レトのことを思い出した。病気の母親を支えるため、召喚者の付き人をしていたレト。
召喚者の付き人の仕事は、召喚者を育てるだけではない。召喚者のモチベーションを上げるため、求められる限りのことをする必要がある。
ノースの前召喚者は五味だった。彼がレトにどんな要求をしていたのか、想像に難くない。心を殺さなければ耐えられないような、下劣な要求をしていたはずだ。
フロンテーラの戦いで行方が分からなくなったが、レトは生きているのだろうか。病気の母親の容態は、どうなのだろうか。レトが仕事で貯めた金で、助けられたのだろうか。
前召喚者が五味だと知ってから、イチヤの中で、レトに対する心証が大きく変化していた。どれほどの恥辱と屈辱に塗れようとも、愛する人を守ろうとする女性。
そんな彼女だからこそ、生きていて欲しかった。生きて、母親の病も回復して、平穏に生きて欲しかった。
「クレプシア――クレアさんがフェイタル病に罹ったのは、約三ヶ月前」
ハイドが続きを話し始めたので、イチヤは彼に意識を戻した。
「クレアさんはディグノ家の侍女だったけど、そんな状態だから、働けなくなったんだよ。でも、シーダ様は、それでもディグノ邸に住まわせてるんだって」
イチヤの知る限り、この世界に障害者支援の制度などない。戦争に国庫財政を回しているので、国民を支援する資金などないのだろう。
「で、俺の大広場での歌声が、かすかにディグノ邸まで聞こえて。でも、歌詞までは聴き取れなくて。間近で聴いてみたいって、エフィーさんに漏らしたらしいよ」
「最後の願いを叶えるための公演ってことか」
「そう。ただ、領土を治める公爵の夫人が、たった一人の病人を特別扱いするわけにもいかない。そんなことをしたら、住民の反感を買うからね。だから、ディグノ邸内での特別公演ってことで、別邸を開放するらしいよ」
シーダという公爵夫人の発想に、イチヤは感心してしまった。
人は、自分と他人を比べたがる。比べ、不平等を感じると、大きな不満が生まれる。不満を持つ者が多ければ多いほど、領土の情勢は不安定になる。
けれど、侍女の望みは叶えたい。だから特別公演という場を用意した。
「もちろん、別邸に入れる人の数には上限がある。だから、入場券を作って売り出したんだ。ありがたいことに、完売だって」
「まあ、そうなるだろうな」
フロンティアやセントロでの公演を思い出し、イチヤは声を漏らした。大勢の人が、所狭しと集まっていたハイドの公演。
それにしても、と思う。これでは、まるっきり、元の世界での屋内ライブだ。
「クレアさんやエフィーさんは、最前の席の入場券を持ってる。でも、クレアさんはもう歩けない。で、イチヤの出番」
「俺がクレアさんって人を抱えて、席に座らせればいいんだな?」
「そう。で、プリメラも同行して、クレアさんのサポートをしてほしい。イチヤとかエフィーさんと一緒にね」
「ってことは、私達の入場券も確保してるんですか?」
プリメラが訊くと、ハイドは当然というように頷いた。
「もちろん。普段のクレアさんは、ずっと寝たきりらしいからね。でも、さすがに、会場にベッドは用意できないから。体勢を崩したりしないように注意してあげて。あと、飲み水が必要なときは魔術で用意してあげて欲しい」
「わかりました」
「まあ、あとは――」
ハイドはイチヤの方を見て、悪戯っぽく笑った。
「――強引に前列に来るような人がいたら、クレアさんが椅子から落とされるかも知れないから。そんなときも、守ってあげて」
「……」
初めてハイドの歌を聴いたときのことを思い出し、イチヤは気恥ずかしくなった。
「あの時は悪かったよ。反省している。本当に反省してる」
「うん、知ってる」
「……」
からかわれていることが明らかで、イチヤはつい、胸中で呟いた。
――ハイドって、けっこういい性格しているよな。
※次回更新は8/29を予定しています




