第六十三話② 利害の一致(中編)
ハイドは優しく、プリメラに微笑みかけた。
「どう? 痛みはないし、血を吸われた記憶もないだろ?」
「……」
「ついでに言うなら、吸血鬼が必要としている血の量は、ほんの少量だ。それを、概ね一ヶ月に一回くらい。吸血鬼が人間の血を吸い始めるのは、だいたい五、六歳くらいから。血を吸わなくても簡単には死なないけど、大きく体調を崩すんだ」
「試したことでもあるのか?」
イチヤの素朴な疑問に、ハイドは素直に答えてくれた。
「まあね。人から離れて孤独に生きようと思った時期があって。そのときに、ね。ただ、三ヶ月目くらいで、あまりの体調の悪さに我慢ができなくなった。それ以上我慢したらどうなるのかなんて、分からない。死ぬかも知れないし、死なないけど体調が悪化し続けるのかも知れないし」
「血が不足して死んだ吸血鬼の話とか、聞いたことはないのか?」
「ないね。言っただろ。俺は最後の吸血鬼で、同族は皇帝に滅ぼされた、って」
「詳細を教えてくれる仲間がいないから、自分の身に起こらない限り、どうなるか分からないってことか」
「うん、そういうこと」
ハイドは膝を崩した。あぐら。
「それで、だ。これで、俺が吸血鬼だって証明にはなった?」
「そうだな。人間の血を吸うことも、吸われた人間に害がないことも間違いないみたいだな」
イチヤはちらりとプリメラを見た。
イチヤと目が合ったプリメラは、小さく頷いた。イチヤの言葉に同意するように。血を吸われた彼女に、体調を崩している様子はまったくない。
「じゃあ、話の続きをしようか」
「ああ。って言っても、結局、ハイドは皇帝に復讐したいんだろ? 吸血鬼を――仲間を全員殺されたから」
「まあ、そうだね」
曖昧に、ハイドは返事をした。そのまま続ける。
「三国の戦争は、皇帝が引き起こしてる。俺はあいつ等を殺したい。あいつ等を殺せば、戦争は終結する。動機はどうあれ、目的はイチヤと同じだ」
戦争は、皇帝が引き起している。その事実をハイドが口にしたとき、少しだけプリメラが動いた。ギュッと、唇を強く結んでいる。ハイドを見つめる目には、恐怖や警戒心ではない、別の感情が見えた。それが何かは、イチヤには分からなかったが。
プリメラの変化を認識しつつ、イチヤはハイドとの会話を続けた。
「確かに、理由は違っても目的はハイドと同じだ。けど――」
ハイドは皇帝を殺したい。皇帝を殺すために、より強い協力者を求めた。それが召喚者。もちろん、ただ強ければいいわけではない。当然ながら、ハイドの目的に賛同していることが絶対条件となる。
イチヤ自身は、皇帝を殺すことに特にこだわりはない。戦争がなくなって、理不尽に傷付く人がいなくなれば、それでいい。
戦争を終わらせる絶対条件が皇帝を殺すことなら、それを実行する。それだけだ。
ただ、一つ気がかりなことがある。
「――ハイドが協力者を求めるほど、皇帝は強いのか?」
ハイドは圧倒的に強かった。魔術を使わずともイチヤを圧倒し、さらに、まだまだ余裕があるように見えた。そんな彼が、皇帝を殺すために味方を探している。
「ハイドよりも強い相手に、俺程度で役に立つのか? むしろ、足手まといになるんじゃないのか?」
「……」
ほんの数秒だけ、ハイドは考え込む様子を見せた。視線を泳がせ、ちらりとプリメラを見て、またイチヤに視線を戻してきた。
「正直に話すよ」
「正直に、って?」
「今のイチヤじゃ、まだまだ足手まといだ。だから、訓練してもらう。強くなるためのメソッドがあるなら、それを実践してもらう。実践するために俺の力が必要なら、いくらでも手を貸す」
やはり、今の自分では力不足らしい。ハイドの感想は、イチヤの想定通りだった。
「あと、これも正直に話すけど。俺には、それほど時間がない」
「時間?」
「そう。時間。吸血鬼の寿命は、概ね千年くらい。俺は今八〇〇歳くらいで、残された時間は二〇〇年くらいだ」
「……それ、短いのか? 人間の寿命より長いだろ」
「短いよ。この一二〇年くらい、俺は皇帝を殺すことだけを考えて生きてきた。皇帝を殺すためには、召喚者の力を借りたい。でも、皇帝を殺すために力を貸してくれるような召喚者は、見当たらなかった」
「まあ、そうだろうな」
イチヤがこの世界に来て、まだ一年少々。自分以外の召喚者も、二人しか知らない。シュウにチサト。二人とも、皇帝を殺すために――戦争を終結させるために尽力するタイプではない。むしろ、戦争の中で欲望のままに行動していた。
五十年も小康状態が続き、敵国に攻め込むこともしなかった、三国間の戦争。
そんな状況なのに、サウスウェスト軍も、ノース軍も、「敵国の人間にはどんなことをしても許される」という認識を持っていた。生まれてから一度も、敵国に攻め込んだことなどないはずの兵士達が。
なぜか。
今なら分かる。これは間違いなく、シュウの――五味の行動が原因だ。五味がサウスウェストに攻め込んだとき、欲望のままに敵国の住人を蹂躙した。その事実を知ったサウスウェスト軍の兵士達も、五味の行動が戦争の常識だと認識した。
力に溺れ、欲望のままに生きる召喚者。自分の力にのぼせ上がり、倫理観を失った召喚者。彼等が、自分に力を与えた皇帝を狙うはずがない。
五味やチサトの例は極端だとしても、ハイドは、彼等のような召喚者ばかりを見てきたのだろう。
「今まで一二〇年探して、イチヤのように欲望に溺れず、かつ、努力して強くなろうとする召喚者には出会えなかった。それなら、残された二〇〇年で出会える可能性は、決して高くないだろ?」
「確かにな」
高望みし過ぎて好機を逃してしまう、というのはよくある話だ。
「それと、もう一つ」
ハイドは、左手の人差し指を立てた。その指に、右手を近付ける。彼の右手周辺の空間が、歪んで見えた。風の魔術。スパッと、彼の左手指先が切れた。薄皮一枚切れた程度の、浅い傷だが。ジワリと染み出してきた血が、彼の指を流れてゆく。
「何してるんだよ?」
イチヤの質問に答えず、ハイドは、今度は回復魔術を使用した。彼の右手周辺に、青い光。
ハイドの指先が、回復魔術の光に包まれた。
しかし、彼の指先の傷は、まったく治らない。
「見て。俺の怪我、全然治らないだろ? 回復魔術をかけてるのに」
「まさか……」
「たぶん、イチヤの想像通り。俺には――吸血鬼には、回復魔術が効かない。種族的な体質らしくてね。吸血鬼が回復魔術を身につけるのは、あくまで、血を吸った相手の傷を治すためなんだ」
回復魔術を消し、ハイドは、自分の傷を舌先で舐めた。綺麗な顔立ちのせいか、その仕草が妙に艶っぽい。
「で、これが、俺が強い味方を求める理由だよ」
「皇帝を殺すときに、できるだけ負傷しないためか」
「そう。仮に、今の俺が、皇帝と五分五分だったとする。五分五分ということは、俺も手傷を負う可能性が高いってことだ。下手をすれば、四肢のいずれかを失うかも知れない。じゃあ、一人目の皇帝を殺すときにそんな負傷をしたら、どうなる?」
「二人目三人目を討つのが難しくなる」
「その通り」
切れたハイドの指先から、再び血が流れてきた。




