第六十三話① 利害の一致(前編)
「じゃあ、今度はそこそこのスピードで風の魔術を撃つよ。防いでみて」
ハイドに言われて、無言でイチヤは頷いた。
ハイドの手元が、少し歪んで見えた。風の魔術を何発撃つかは、事前に通告されない。状況判断力と対応力を磨くために。
ハイドが魔術を撃った。鋭いかまいたちがイチヤに向う。六つのかまいたち。
『そこそこのスピード』などと言っていたが、かなり速い。それでもイチヤの体は、正確に反応した。剣を振り、かまいたちを防ぐ。正面からかまいたちを叩くのではなく、可能な限り小さな力で防げるように、側面から払い落とす。
六つのかまいたちはイチヤの剣で払い落とされ、消失した。
セントロの西にある、森の中。
一ヶ月ほど前に、イチヤがハイドと戦った場所。
昼間の陽光が、木々の隙間から差し込んでいる。
イチヤとプリメラは、ハイドの指導を受けて訓練を重ねていた。
プリメラは魔術の訓練。
イチヤは、魔術の対応と剣術の訓練。
イチヤがハイドと戦った翌々日から、三人は、こうして訓練に明け暮れている。
あの日、イチヤがハイドに敗れた後。
三人はセントロに帰った。ハイドを連れて宿に戻り、部屋で床に座り込んで、互いの事情を説明し合った。
イチヤは、三国の戦争を止めたい。そのために力をつけようとしている。
ハイドは、三人の皇帝を殺したい。
戦争を引き起し、継続させているのは、三人の皇帝だ。彼等を殺せば戦争は終わる。
イチヤとハイドの利害は一致していた。
ハイドから、皇帝を殺したい理由も聞かされた。
ハイドは、大昔に絶滅したと言われる吸血鬼の生き残り。もう八〇〇年ほども生きている、最後の吸血鬼だという。
他の吸血鬼は、皇帝の手によって絶滅した。
ハイドの話を聞いた直後、イチヤの口から正直な感想が漏れた。
「嘘だろ」
吸血鬼は、この世界でも空想上の生き物。イチヤはそう信じて疑わなかった。確かにハイドは、尋常ではない力を持っている。戦士型の召喚者を超える身体能力に、魔術師型の召喚者をも上回る魔術。しかし、彼の力を見た後でも、吸血鬼などという生き物が存在するとは思えなかった。
イチヤの反応を想定していたのだろう、ハイドは苦笑していた。
「まあ、そういう反応は予想してたけど。じゃあ、証拠を見せるよ」
言いつつ、プリメラに視線を向けた。
「プリメラ」
「……はい?」
その時点で、プリメラは、まだハイドに怯えていた。イチヤを子供扱い同然にし、重傷を負わせた男。そんな彼が目の前にいるのだから。
「えー、っと」
ハイドは複雑な顔をしていた。困ったような、寂しそうな。
「できれば、そんなに怯えないで。無理かも知れないけど」
プリメラは何も応えなかった。ただじっと、警戒心と恐怖心が混じった目でハイドを見ていた。
ハイドは小さく息をつくと、「まあ、無理もないか」と苦笑した。そのまま続ける。
「森の中でも言ったけど、俺は、君達に危害を加えるつもりはないよ」
ハイドの言葉に嘘はないだろう。でなければ、わざわざイチヤを治療したりしない。
「ただ、俺が吸血鬼だって証明するために、少しだけプリメラに手伝ってほしいんだけど」
「証明って、何をするんだ?」
無言のプリメラの代わりに、イチヤが訊いた。
「単純だよ。吸血鬼特有の催眠魔法をかけて、意識を失ってるところで血をもらう。傷口を回復魔術で治療して、催眠魔法を解く」
ハイドの説明を聞いて、プリメラがビクッと震えた。血をもらう、と言われて怯えないはずがない。臆病な彼女であれば、なおさら。
「催眠魔法を掛けるから、血を吸われてるときの記憶はない。回復魔術で治療するから、痛みもない。もちろん傷も残らない」
血を吸うと聞いて、イチヤは少し声を低くした。
「害はないんだろうな?」
「言った通り、痛みもないし傷も残らない。他に、害になることなんてある?」
「自我を失って、お前の言いなりになるとか」
「何それ?」
「仮に、お前が本当に吸血鬼だとして」
前置きをして、イチヤは、元の世界での吸血鬼について話した。太陽の光とニンニク、十字架が苦手。血を吸った相手を下僕にして自由に操ることができる。
ハイドは、どこか呆れたように鼻で笑った。
「イチヤの世界では、吸血鬼は悪魔みたいな存在なんだね。でも、この世界は違うよ。吸血鬼は圧倒的な力を持ってるけど、温厚で争いを好まないんだ。山奥でひっそりと暮して、街に出るのは血を吸うときだけ。生きるためには人間の血を必要としたけど、だからといって、人間を支配しようとはしなかった」
ハイドの言葉に嘘は感じられなかった。実際に彼は、あれほどの力を持ちながら、歌人という職業を選んでいた。盗賊にでもなれば、いくらでも稼げそうなのに。
ハイドが本当に吸血鬼なのかは、一旦頭の外において。
イチヤは、プリメラを見た。
彼女はやはり、怯えている。
たとえハイドの話が本当だったとしても、プリメラの血を吸わせるのは気が進まない。
「ハイド。お前の話が本当だとしても、嘘だとしても、プリメラはやめろ」
「じゃあ、イチヤが吸われてみる? っていっても、催眠魔法をかけるから、その場合は、血を吸ったことをプリメラに証言してもらうことになるけど」
「まあ、それが妥当だろ。血を吸われるなんて、いい気がしないけど」
「悪いね」
言葉とは裏腹に、まったく悪びれた様子のないハイド。
首筋あたりを噛まれる覚悟をしながら、イチヤはふと、どうでもいいことを思い出した。元の世界での吸血鬼は、処女の血を好むなんて話もあった。
そんなことを考えていると、プリメラの声が耳に入ってきた。
「いえ、私にしてください」
少し震えた声。
「もし何か害があるなら、イチヤさんよりも私が犠牲になった方がいいです」
「だから、害はないって……」
プリメラに疑われたハイドは、どこか寂しそうにしていた。イチヤに対する態度とは明らかに違う。
プリメラは立ち上がり、ハイドに近付いた。彼の目の前で座り込む。腰を下ろすと、イチヤの方を向いた。
「イチヤさん」
「ん?」
「もし私が何かされたら、迷わず逃げて下さい。逃げて、強くなって、いつか仇を討って下さい」
プリメラは、ハイドに視線を戻した。
「どうぞ」
潔いよいことを言いながらも、プリメラは震えている。体も声も。震えながら、ローブをめくって首筋を露わにした。
「だから、危害は加えないって。安心してよ」
溜め息のように、ハイドが呟いた直後。
ピクンッと、プリメラが少しだけ動いた。震えが止まり、虚空を見つめている。表情は消え、恐怖も警戒もなくなっていた。
一瞬にして様子が変わったプリメラに、イチヤは戸惑った。
「……プリメラに何をしたんだ?」
「だから、催眠魔法」
ハイドはプリメラの頬に触れた。壊れ物でも触るかのように、優しく。
彼女は何の反応も示さない。
「魔術は、自然に存在する物を使って、魔力で物理作用を起こす。魔法は、自分の魔力だけで、物理作用だけじゃなく他の作用も発生させる」
ハイドの唇が、少しずつ、プリメラの首筋に近付く。
「皇帝が使う召喚魔法も、その名の通り、魔法のひとつ。異世界から生物を呼び出すなんていう、常識外の作用を引き起してる」
ハイドの唇が、プリメラの首筋に触れた。艶めかしく口を開き、まるで愛撫のように、彼女の首筋に噛みついた。
そのまま、ほんの数秒。
ハイドは、プリメラの首筋から唇を離した。
プリメラの首筋には、小さな穴が四つ。その穴から、筋のように少量の血が流れた。
すかさずハイドは、回復魔術を使った。瞬く間に、プリメラの傷が塞がった。
再度、ハイドはプリメラの頬に触れた。イチヤと戦ったときとはまるで違う、優しい目をしていた。優しいけれど、どこか寂しそうで。どこか悲しそうで。
「怖がらせてごめんね」
言って、ハイドはプリメラの血を拭いた。再び彼女と目を合せる。
直後、プリメラの体がピクンッと動いた。つい先ほどと同じ挙動。
一秒ほど後に、プリメラの顔に感情が戻った。目の前にいるハイドに驚き、慌てて身を引いた。何が何だかわからないという様子で「え?」と声を漏らした。




