第六十一話② こんなふうに安堵したかった(後編)
イチヤの頬には、痛みによる脂汗。彼の汗が、月明かりを反射している。ハイドが叩き折った左腕は、激痛に襲われているはずだ。それでも彼は、気丈に振る舞っていた。苦痛を我慢することに慣れているのだろうか。
「いくつか訊いてもいい?」
「プリメラを見逃してくれるなら、何でも正直に答える」
「イチヤさん!」
咎めるようにプリメラが叫んだ。
構わず、ハイドは続けた。
「俺は、イチヤの実力がどの程度か、よく知ってるつもりだった。サウスウェストへの侵攻。フロンテーラでの戦いと敗北。そこでイチヤが、どんな動きをしていたかも知ってる」
イチヤが怪訝な顔をした。
「何で知ってるんだ?」
イチヤは、ハイドがハイディアだとは知らない。
「悪いけど、イチヤの質問に答えるつもりはない。俺の質問に答えて」
ハイドは、人差し指を立てて見せた。
「一つ目。君は、フロンテーラの戦いから四ヶ月程度で、ずいぶん強くなった。違う?」
「どれくらい強くなったかは、自分では分からない。けど、あの時よりも強くなってることだけは確かだ」
素直に、イチヤは答えてくれた。
ハイドはもう一本、指を立てた。
「じゃあ、二つ目。どうやって強くなったの? 召喚者には付き人があてがわれて、訓練から戦い方まで、色んな指導を受けるはずだ。イチヤが指導を受けた期間は、少なくとも、フロンテーラの戦いから今までの時間よりも長い。普通は、素人ほど実力の伸び率が高いはずだ。実力を〇から十まで伸ばすより、十から十五まで伸ばす方が難しいからね」
人の実力は、訓練の量に比例して伸びるものではない。一定まで伸びた後は、必ず伸び率が落ちる。成長の壁にぶつかる。
「それなのにイチヤは、この四ヶ月で飛躍的に成長した」
ハイドが正直な感想を伝えると。
絶望的な状況なのに、イチヤは少しだけ笑った。どこか満足そうに。
「そうか。そんなに成果が出てたなら、俺の知識も無駄じゃなかったんだな」
「知識?」
「ああ。俺の、元の世界での知識だ。単純な筋力強化から、強化した筋力を瞬発力に活かすトレーニング方法。体を的確に動かすメソッドなんかもある」
ハイドの知る限り、剣の練習方法は、型の繰り返しと実戦訓練のみだ。それよりも効果的な訓練方法を、イチヤは知っているのだろう。
「その訓練って、大変なの? それとも、誰でもできそう?」
イチヤは首を傾げた。
「さあな。目標値が高ければ高いほど、大変なんだろうけど。でも、そんなのは、どんな世界でも同じだろ? 歌うのだってそうじゃないのか?」
「……」
確かにそうだ。成長のための理論があっても、その理論を誰もが実践できるわけではない。大きな成長を望めば望むほど、苦労は大きくなるのだから。
つい納得しつつ、ハイドは再び考え込んだ。
イチヤの訓練のメソッドを全て吐かせ、殺したとしよう。その上で、彼から得たメソッドを、他の召喚者に行わせたとする。
では、イチヤ以外の召喚者が、彼ほど自分を高めようとするだろうか。
――しないだろうね。
自問に対し、ハイドは即答した。
力に溺れる召喚者は、強くなるために自分を追い込んだりしない。最強と思える力を、すでに手にしているのだから。
争いを避ける召喚者は、自分を強くしようとはしない。戦うつもりがないのだから。
――ひょっとすると……。
深く、ハイドは考えた。もしかしたら、イチヤは、自分にとって最初で最後のチャンスなのかも知れない。共に皇帝と戦う召喚者を、得られるチャンス。
「イチヤ」
「他にも訊きたいことがあるのか?」
「いや……うーん。訊きたいと言えば訊きたいかな」
ハイドは再び、イチヤに向って足を進めた。
「来ないで!」
涙声で、プリメラが怒鳴ってきた。
「来ないでって言ってるの! 来たら撃つから!」
一旦立ち止まり、ハイドは溜め息をついた。
「信じるか信じないかは任せるけど、俺は、イチヤもプリメラも殺さないことにしたよ」
プリメラは、涙まみれの顔で、相変わらずハイドを睨んでいる。
構わず、ハイドは続けた。
「だから、イチヤの治療もしてあげる」
「……どうしてだ?」
苦しそうに、イチヤが訊いてきた。呼吸が荒い。
「質問を質問で返すようで悪いけど。イチヤは、自分が今以上に強くなれると思う?」
「……」
無言になって、イチヤは少し考え込んだ。十秒ほどだろうか。閉じていた口を開いた。
「俺一人で訓練をするなら、今以上は難しい。少しは伸びるだろうけど、すぐに行き詰まる」
「自分一人じゃ無理、ってことなら、誰かが協力すれば可能ってこと?」
「たぶんな。できれば、俺より強くて、手加減が上手い奴が理想だ。そんな奴が協力してくれるなら、まだ上達すると思う」
「根拠は?」
「訓練――練習ってのは、端的に言えば癖を付けることだ。的確かつ正確に動く癖。反射的に動く癖。戦いの最中でも、正確に思考する癖。俺には才能がない。でも、人間なんだから、繰り返していれば癖がつく。俺より強い奴の協力を得られれば、より高度な癖をつけられる」
「癖、か……」
イチヤの言い回しに、ハイドは妙に納得してしまった。型の繰り返しも、言葉を換えれば型通りに動く癖をつけることだ。
「強い奴の協力が必要な理由は?」
「例えば、だ。ある攻撃に対する防御動作を身につけたいとする。そうだな……ハイドが俺の腕を折った、右ストレート。あれの防御動作を覚える場合」
「うん」
「俺は、お前に腕を折られた。反射的に腕を出して体への直撃を避けたけど、結局はこのザマだ。ダメージを受けずに防げなかったのは、ハイドのスピードに対応できなかったから。さらに、ハイドに、拳が届く距離に入られたからだ」
「そうだね」
「じゃあ、どんな訓練をすればいいか。最初はスピードも威力も極力加減してもらって、的確に避けるようにする。あるいは、拳が届かない距離を保つ訓練をする。その動きを体に覚えさせる」
「なるほど」
イチヤの言いたいことを、ハイドは理解した。認識確認のように、少しだけ言葉を変えて彼に訊く。
「少しずつ速度も威力も上げて、それでも無傷で防げるようにする。より速度や威力を出せる協力者がいれば、防御動作は高いレベルで身につく、ってことか?」
「ああ」
イチヤは、フロンテーラの戦いのときに比べて、かなり強くなった。その強さは、彼の地道な反復練習の賜なのだ。誰でもできそうな訓練だが、根気と目的意識がない者にはできない。イチヤほど厳しい訓練を積める召喚者は、この先現われないだろう。
「わかったよ。十分だ」
言って、ハイドは右手で魔術を発動させた。淡く青い光。回復魔術の光。
プリメラは、未だに火の魔術を突き出している。いつでもハイドに撃てるように。
「プリメラ」
ハイドが呼んでも、彼女は何も応えなかった。震えながら、呼吸を荒くして、こちらに敵意と恐怖を向けている。まるで、親からはぐれた野生動物の子供のようだ。
三度、ハイドは溜め息をついた。左手で水の魔術を発動。そのまま、プリメラの魔術を包んだ。
ジュッという音が鳴って、プリメラの魔術が消失した。霧のように、周囲に水蒸気が舞った。
「あ……」
プリメラは、何が起きたか理解できないようだった。当然だろう。両手で別々の魔術を使うなんて、普通の人間では到底不可能だ。レトくらいの魔術師なら可能、という高等技術。さらに、ハイドの魔術は、人間と比べて発動速度が桁違いだ。
ほんの数秒、時間を置いて。
ハイドの力を理解したプリメラが、その場にへたり込んだ。絶望と恐怖に支配された表情。どうやら、先ほどのハイドの話が、耳に入っていなかったらしい。
『イチヤもプリメラも殺さないことにしたよ』
今のプリメラには、ハイドが何を言っても無駄だろう。彼女の横を通り過ぎ、ハイドは、イチヤの前に立った。回復魔術を纏った右手を、彼の左腕に当てる。
「――え? は?」
ハイドがイチヤに魔術をかけた時間は、概ね五秒ほど。普通の魔術師なら、せいぜい、切り傷を治せる程度の時間だ。腕の粉砕骨折を魔術で治すには、熟練の魔術師でも一、二分はかかる。
「嘘だろ?」
目を見開いて、イチヤは、右手で自分の左腕に触れた。
「もう痛くないだろ? 骨折は完全に治した。ついでに、打撲も治した。あとは――」
ハイドは、回復魔術を纏わせた右手で、イチヤの頭に触れた。
「たぶん、打たれた衝撃で脳にもダメージがあるだろうからね。ついでに回復させておく」
脳のダメージを回復させられる魔術師は、ハイドの知る限り一人もいない。少なくとも人間には。
三十秒ほど、イチヤの頭に触れて。
ハイドは、右手の魔術を停止させた。
「どう? もう、目眩も立ちくらみもしないだろ?」
「あ……ああ」
戸惑いながら頷き、イチヤは、寄り掛かっていた木から背中を離した。
彼が回復したのを確認して、ハイドは、泣きながら震えているプリメラを顎で指した。
「じゃあ、とりあえず、プリメラに説明してあげて。かなりパニックになってるから。この通り、俺はもう、イチヤもプリメラも殺す気はない」
戸惑っているような、呆けているような。そんな顔で頷くと、イチヤはプリメラに近付き、彼女の側で膝をついた。もう大丈夫だから、俺の怪我も治してもらったから、と優しく声をかけている。
しばらくして、プリメラはようやく状況を理解したらしい。途端に、大声で泣き出した。よかった、と言って。殺されなくてよかった。生きていてくれてよかった。
イチヤに抱きつき、大泣きするプリメラを見て。彼女達から視線を逸らし、夜空を見上げて。
昔を思い出しながら、ハイドは胸を痛めていた。
自分も、大切な人が無事だったことを、泣きながら安堵したかった。
※次回更新は8/23を予定しています




