断罪のその先
リンディは今、修道院にいる。
ただ建物自体は、修道院と言って良いか分からないが。
片道に3日はかかる程遠い場所にある、小さな建物だった。周囲は畑が広がり、点々とした民家が建っていた。
「どうしてこんなことに…………。お父様、お母様、どうして迎えに来てくれないの。……病気が重いのかしら? ……ここは寂しいわ。療養所でも良いから一緒にいたいよう。うえ~ん」
ここに暮らすのは神父ブランと、彼の妻であるシスターのサワー、そして何故か執事マルジェがいた。
神父とシスターは70代に近い高齢で、30代と思われる苦み走った執事がお世話をしていた。
教会の講堂は小さく、10人が入れるくらいで、その隣に2階建ての建物があり、生活はそこで行っているようだ。
そこに着いてからリンディが最初に行ったのは、彼女が与えられた2階の部屋の掃除だった。
ベッドとテーブル、椅子が一脚、小さな鏡台とタンスがあるだけの狭い部屋。
「この部屋で暮らすことを許します。掃除道具は向かえの扉にあります。水場は外に井戸がありますから。掃除を終えたら声をかけて下さい。私は下の階にいますから」
淡々と語るマルジェに、慌てて食い下がるリンディ。
「待ってよ。私、掃除したことないわ。貴方がしてくれないの?」
未だ貴族令嬢の気持ちが抜けないリンディは、マルジェにそんなことを訴えた。
そんな彼は声を荒げることなく、「私は先代王弟殿下の執事ですから、貴女の世話は行いません。では失礼」と、部屋を出て行った。
「先代の王弟……なんで修道院にそんな方が?」
困惑しながらも、彼女はノロノロと動き出した。
邸で見た、メイドの様子を思い出しながら。
何とも適当な掃除ではあるものの、シーツは清潔で布団はお日様の匂いがするものが準備されていた。
換気をして床を掃き、テーブルを拭いて下に降りる。
マルジェは厨房で、野菜の皮むきをしていた。
「終わりましたか。では貴女も夕食の準備を手伝って下さい。皮は私がむきますから、一口大に切ってください」
「一口大?」
「食べやすい大きさのことですよ。いつも貴女が食べていた大きさくらいの」
「ああ、そのくらいね。分かったわ」
無言のまま、それぞれが作業に没頭する。
雑ではあるが、野菜を切ることくらいは出来た。
夕食が出来て、食堂と言う名の茶の間にあるテーブルに料理を並べる。
そこでブランとサワー、マルジェとリンディが席に着く。
「おおっ。今日は女の子がいるね。マルジェの作るものは美味しいから、たくさん食べなさい」
「ええ、そうね。女の子がいると賑やかね」
「ありがとうございます。いただきます」
「いただきます」
ブランとサワーに高位貴族の威厳はなく、普通にお喋りをして、ただただ和やかな時間が流れた。
「ご馳走さま。もう僕は寝るね」
「私も先に休みます。マルジェ、後はお願いね」
「はい。お休みなさいませ」
礼をして二人を見送るマルジェ。
リンディは不思議そうにそれを見ていた。
「最初に説明しておきますね。貴女も貴族なら、王位簒奪を狙ったロドニー様のことを聞いたことはありますよね。ブラン様とサワー様はロドニー様のご両親です。そして私の……祖父母にあたります」
「! …………」
ロドニーは王弟の子供だったが、自分の方が王太子より優秀だと驕りがあった。
その代の国王には現国王のザリュスしか子供がおらず、ロドニーは危険な夢を見た。周囲に踊らされて。
ロドニーは毒杯を賜ったが、その両親は生かされた。
「私達にも毒杯を……お願い致します」
「ご慈悲です。どうか、お願いします」
彼らはロドニー王子と共に逝く覚悟だった。
知らぬこととは言え、息子が犯した罪は連座となる筈だ。
けれど彼らは生かされた。
数年前の流行り病で王族の数は減り、側室を取らぬ当時の国王の息子はザリュスだけだった。
普通なら処刑の筈が、数の維持を保つ為だけに生かされた。
死を迎えられなかったブランとサワーは、精神的に追い込まれ記憶の退行が起こった。
ロドニーが生まれる前まで。
だから彼らの記憶には息子がいないのだ。
ここにいるのは、流行り病から王族を分散して守る為の避難だと思っていた。
何十年も経つのに、不思議だと思うことなく。
もしかしたら記憶が退行した時に、都合の悪いことを考える知性も置いてきたのかもしれない。
国王は人気のないこの場所に、彼らを幽閉する修道院を建てた。
そしてロドニーと愛人の子供だったマルジェを、監視と援助の為に共に送ったのだ。
ザリュスとアンは、あえてリンディをここに送った。
彼女にいろいろと考える機会を与える為に。
レアナはアンに任せたので、そのことを知らなかった。
「もうすぐ王弟殿下の寿命は尽きるでしょう。その時にここは閉鎖しますから、貴女は身の振り方を考えながら暮らして下さい。では食器を洗いましょうか?」
「はい、分かりました」
その後リンディは、学園で学ぶような授業内容と一般教養をマルジェから学び、教会と邸の掃除と次第に調理も任された。
そして朝夕に祈りを捧げて、数年が経った。
マルジェはブランとサワーから勉学を学んでいた。
彼らと共に暮らし始めた時、彼はまだ8歳になったばかりで、食べるものがなくて床に倒れていたそうだ。
彼の母はロドニーが捕まった時、彼を置き去りにして別の男と逃げた。国王に保護された彼は、ここに来たのだと言う。
ご恩を返す為に。
そんな言葉が本心かどうかは、リンディには分からなかった。
何も出来ないリンディは、何とか家事ができるようになった。
そして勉強嫌いで知らなかった、ロドニーの謀反についても学んだのだ。
隣国のならず者に手を借りた王位の簒奪。それを見破ったのは、神官が賜った神託だったそう。
ならず者と書籍に書かれているが、本当は高位貴族や王族だったのではないかと噂が立ったと言う。それは口に出来ない禁忌らしいが。
現状に疑問を抱かない先代王弟夫婦と、世間話をしながら楽しく暮らすリンディ。彼女は時々、近隣の農家にも手伝いに行き、収穫物を貰って来て夕食にしていた。
マルジェは以前と同じように淡々と家事を熟すが、その表情は穏やかになっていた。リンディもこの暮らしを気に入っていた。
リンディはマルジェから両親の悪行を聞き、教会で懺悔を繰り返す。
レアナに酷いことをしたと、今さらながらに思って。
彼女は毒殺の事を知らなかったが、弱い姉をいつも蔑ろにしていた。幼い時は共に遊んだこともあって、確かに好きだった記憶があるのに。
楽しいことばかりに目をやり、いつの間にか両親と同じように姉を見下していた。それが真実だった。
そうしているうちにサワーが老衰でなくなり、その翌日、悲しんでいたブランも息を引き取った。
教会の周囲には隠密が監視しており、速やかに国王へと連絡が入った。
先代の国王夫妻は高齢で長距離の移動が無理な為、ザリュスの代理でアンが葬儀に出席することになった。
傍にはライムとレアナ、ハル、そして神官のリモネもいた。
ブランとサワーは王家の墓に入れず、村の墓地に埋葬された。
「ずっとこの地で穏やかに暮らしていたから、きっと嫌じゃないよね」
リンディはそう思って微笑んだ。
悲しいけれど、そう思ってしまった。
久し振りに会ったレアナはキリリとした表情で、ライムと共に式を取り仕切っていた。
王都からの参列者は極僅かだった。流刑のような状態だったことで、知らせられる者は限られていたからだ。
年齢のせいもあり、文通していた友と呼べる者も多くが亡くなっていた。
リモネが祈りを捧げた時、葬儀に参列していた周辺の農家の者達も涙を流していた。
王都から遠く離れているこの地でも、みんなが先代王弟夫妻のことを知っていた。新聞や噂も遅れても回ってくるからだ。
最初は警戒していたが、穏やかな二人にいつの間にか心を許していた。
ここに来たばかりの頃は時々畑仕事を手伝ったり、祭りにも参加していた。散歩をしている二人に声をかけられることもあった。
貴族らしくない、微笑みがいつもあった。
仕事を労う言葉をかけてくれた。
愛していた息子の記憶がなくなった二人は、ここで慎ましく暮らしていた。
穏やかであるも何かが欠けている二人の心は、ロドニーと共に一部が天に召されたのかもしれない。
共に毒杯を賜れず、さりとて生きることを課せられた二人の本当の心は誰にも分からない。
「やっと…………楽になれたのかもしれないな」
マルジェの呟きにハッしたリンディ。
ずっと傍にいた彼の言葉は、彼女に深く響いた。
(そうかもしれないね。ずっと記憶をなくしていたくらいだもの。きっと辛かったよね)
葬儀が終わった後、アンに今後のことを聞かれた二人。
マルジェはここに残り、墓を守りたいと言う。
邸でなくとも、畑を買い家を建てて住む覚悟なのだそう。
「私はお二人ことを、祖父母のように思って暮らして来ました。幸せな時間でした」
血縁であるのに、祖父母のようだと言うのは身分のことを考えての発言だったのだろう。
リンディは、躊躇いながらも言葉を紡いだ。
「私は教会で祈るのが好きでした。家事も嫌じゃないです。通いでも良いから、ここのシスターになれたらと思います。駄目なら他所で働いて、時々お掃除に来たいです」
先代王弟のいない今、ここを取り壊すことになるかもしれない。それでもここはリンディにとっても拠り所だったから、残れば良いなと思っていた。
大切な邸だけど、自分がここで暮らしたいなんて思ってはいない。
ここは先代王弟の為に建てられた、終の棲家なのだから。
けれどアンが言うのだ。
「墓守りが必要なの。貴方達が邸を管理し、教会も見てくれないかしら? これがブラン様の願いだから」
驚くマルジェとリンディに、話は続けられる。
ブランだけは記憶が次第に戻り、ロドニーのことを悔やんでいたのだそう。けれどサワーにはその話は出来ず、ずっと教会で祈りを捧げていた。
そんな時リンディが誰もいない筈の早朝に、声に出して祈りを捧げて涙するのを見たと言う。
彼はふと疑問に思い、友人に手紙を書くとリンディの両親のことを知らされたと言う。
先代王弟の友は高位貴族だから、詳細などはすぐに調査できたようだ。
両親の罪でここに流されたリンディは、最初こそ泣いていたが、その後は両親を憎まず被害にあった姉に詫びていた。自分の非も認め、必死に教会を掃除しているのを見てきたとのこと。
きっと、自分達に重なる部分があったのだろう。
ブランは手紙で国王ザリュスに願っていた。自分が死んだ時もし彼らが望むなら、この家を渡してくれないかと。
住んでも良いし、時々来るのでも良い。
ここを忘れないで欲しいと思ったようだ。
この場所や建物の所有権は王家にある。
アンはザリュスから預かった手紙を、マルジェに渡した。
『今後はマルジェ殿にここを管理して欲しい。勿論管理料として、給金も支給される。彼に毒杯を与えることもできず、苦しめた分を孫の貴殿に償いたいのだ。結婚して子供もここに住んでくれれば、きっと賑やかになって叔父も喜ぶだろう』
マルジェは地に膝を突き、涙を流した。
「ずっと……孫だと思って下さっていたのですね。サワー様の手前、記憶がないことを黙しながら。国王様も私のこと等を気にかけて下さって……うっ。感謝致します。立派にここを守っていきます。ぐすっ」
マルジェはここに残り、管理を続けることになった。
リンディにもここに住んで欲しいと頭を下げて。
お互いにずっと惹かれていた。けれど罪人の子だと己を律し、気持ちに気付かないようにしてきた。
ブランはそれに気付き、国王に手紙を認めてきたのだろう。何通も何通も、同じ願いを込めて。
今後二人はささやかな式を挙げ、結婚することになるのだ。
リンディはレアナに心から謝罪し、手紙を時々出しあうことができるようになった。もうリンディは我が儘な子供ではなく、物事を弁えられる女性へと成長していた。
リンディが気付かないところで、隠密は彼女の言動をずっと見ていたから、嘘がないことはずっと前から知っていたレアナ。
彼女の成長を頼もしく、そして眩しく思うのだった。
◇◇◇
ブルニュストとマーガレット、ガルシアはあれからも王城地下牢で暮らしていたが、ある日マーガレットが動かなくなった。
老衰だった。
けれど彼女の精神は、ずっと前から壊れていた。この日に肉体が追い付いただけなのだ。
同じようにブルニュストも数年後にこの世を去った。
「嫌だっ、ウソ、死なないで、目を開けてよ。置いていかないでよぉ、ああん、やだあぁぁ」
牢に入って数年後には、落ち着いたようだからと掃除道具が都度渡され、清掃も行っていた。
時々本の差し入れもされ、何もない時より少しやることが出来た。
不満はあるものの食事は出るので、何となく満たされて日々が過ぎて行く。
もう外に出る意欲もなくなって、現状を受け入れていた。
けれどガルシアだけが変わらないまま、ブルニュストとマーガレットは老けていき、とうとう死が降りてきた。
ブルニュストの穏やかな死に顔は、やっと解放された気持ちなのか、ガルシアに愛されて逝く幸せからなのかは分からない。
ただ思い残す未練はないような、安らかな顔だった。
憔悴しきったガルシアはブルニュストにしがみ付き、いつの間にか眠っていた。
ブルニュストが牢から出される時、ガルシアも何故かそこから出ることが出来た。
魔封じの結界が緩み、変身能力が戻っていた。
彼女はブルニュストが好きだった青い蝶に身を変えて、「一緒に空へ飛んで行きたい」と思っていた気持ちが通じていたのだ。
古い地下牢に関心がある者は少なく、ガルシアのいないことを不思議に思う刑務官はいなかった。40年以上も変化のなく、何の罪を犯したのかも忘れられていたから尚更に。
「あ、とうとう寿命か?」程度で。
平和が続いていたことで、警戒心の緩みに繋がっていた。さらにガルシアの姿はいつの頃からか、ハッキリと認識されなくなっていたのだ。
いつけれど、どんな姿だったか?
男か女かも曖昧な程に。
これもたぶん、結界の影響なのだろう。
ブルニュストが葬られた墓の回りを、蝶になって飛び回るガルシア。
(ああ。やっぱり私、貴方のことが好きだった。女にだらしなくて、生きることにルーズで、金の為に嫁や娘さえ殺そうとする酷い男。でも……子供みたいに無邪気に笑うところが好きだったの。誰にも邪険にされてきた私だから、余計にね。
生きていて欲しかった。どんなにジジイになっても、傍にいて欲しかった)
ガルシアはジャスミラン国に戻るつもりなんてない。そもそもそこから地獄が始まったようなものだ。
彼女に子が出来なかったのも、体を流れる毒の血液のせいだろう。育たぬうちに流れていた可能性がある。
だから彼女は、ブルニュストの墓の傍で花へと変化した。深く根の張り、そのまま土に還ってしまえるように。緩やかな死を望み。
このまま天に還れるのか、それとも再度起き上がり、再び厄災を招くかは彼女さえまだ知らないことだ。




