思い出の景色
カイルは馬車に揺られながら、正面に座るヴィオラに向かって徐に口を開いた。
「これから目指す、この国の最北端にある山ですが――ヴィオラ様が一目見たい景色というのは、いったいどんな景色なのですか?」
ヴィオラがふっと遠い目をする。
「私が幼い頃、まだ元気だった両親と一緒に見た、思い出の景色です。静謐な湖を囲むように、銀色に輝く花が咲き誇っていて……言葉ではうまく言い表せないのですが、この世のものとは思えないような美しさでした」
頷いたカイルが、不思議そうに尋ねる。
「あんな山肌にも、そのような花が咲くのですね?」
ヴィオラが柔らかな笑みを溢す。
「ええ。釣鐘型をした花なのですが、『願いを叶える』という花言葉があるのですよ」
カイルの瞳が、希望に輝く。
「なら、ヴィオラ様のお身体も、その銀色の花に願えば治るかもしれませんね……!」
カイルは、縋れるものなら何にでも縋りたいような気持ちでいた。
「その湖の場所は覚えているのですか?」
「ええ。でも、その湖は移動するのです」
「えっ? 移動する湖、ですか?」
驚くカイルに、ヴィオラは頷いた。
「とても小さな湖で、干上がってはまた自然と生まれ、その側にはいつも同じ銀色の花が咲くと言われています」
「へえ、それは面白いですね……!」
「探してもなかなか見付からないので、『幻の湖』と言われているそうです。ふふ、カイル様にも是非見せて差し上げたいです」
「僕も見たいです、ヴィオラ様と一緒に」
カイルは興味津々といった様子で尋ねた。
「以前にその景色を見た時、ヴィオラ様は銀色の花に何か願ったのですか?」
「ええ。『またこの景色が見られますように』って」
ヴィオラは懐かしそうに目を細めた。
「どうしてそんなことを願ったのかと、今になると思うのですが、真剣な願い事をするには幼過ぎたのかもしれませんね。当時の私にとっては、それくらい印象深かったのだと思います。あの時の景色は、両親と繋いだ手の温かさと共に、今でもはっきりと思い出せます」
彼女の両親が既に他界していることを知るカイルが、しみじみと頷く。
「ご両親との大切な思い出の景色なんですね」
「ええ。残された時間で私が『幻の湖』に辿り着ける可能性は、あまり高くはないかもしれませんが……まだ希望は捨てていません」
「きっと見付かりますよ、『幻の湖』。一緒に探しましょう」
カイルの力強い声に、ヴィオラが頷く。
「ありがとうございます」
ヴィオラは嬉しそうに微笑んだ。
***
一方のアダムとマイヤは、魔物討伐の遠征に向かう馬車に乗っていた。
マイヤが色っぽくアダムに腕を絡める。
「ヴィオラから婚約解消を願い出てくれるなんて、願ったり叶ったりですね」
「ああ、そうだな。同時にカイルの厄介払いまでできるなんて、まさに一石二鳥だった」
アダムの唇が弧を描く。
最も望まれない闇属性の持ち主であるカイルが、これまでもアダムは疎ましくて仕方がなかった。
(あんな呪われた属性の持ち主が弟だなんて)
両親は、できる限りカイルの存在を世間から隠そうとした。悲観した母は、カイルの存在を避けるように過ごしているし、父は仕事に忙殺され、侯爵家を空けている時間が長い。
アダムも、後ろ指を指されるような弟がいることが恨めしかった。さらに、カイルの魔法の腕は良かっただけに、彼が思い上がることのないよう、アダムは細心の注意を払っていたのだ。
闇属性の持ち主が魔力の制御を誤れば、魔物を呼び寄せ、平和を脅かしてしまう。かつてのクローヴェン侯爵家当主が悲劇を起こしたように、再びそのようなことが起きれば、クローヴェン侯爵家の名声が地に落ちることは容易に想像できた。
アダムの隣で、マイヤが薄く口角を上げる。
「ヴィオラがあの弟君の歓心を買っていたなんて、知りませんでした。二人揃って出て行くと聞いて、驚きましたわ」
「ああ。婚前の若い男女が旅に出るなんて、褒められたものではないだろうが、ヴィオラはあんな身体だし、訳ありの二人を誰も気には留めないだろう」
婚約してからも身持ちの固かったヴィオラを思い出し、アダムは皮肉っぽく言った。
(カイルは前からヴィオラを慕っていたようだが……カイルにヴィオラを押し付けることができたのは、幸運としか言いようがない)
変わり果てたヴィオラの姿が頭をよぎり、アダムが顔を顰める。
闇属性の家族の存在に屈辱を感じていたこともあり、ちょうど真逆の稀少な光属性を持つヴィオラは、出会った当時の彼には眩しく見えた。さらに、ずば抜けた回復魔法の才能を示し、素直で美しいヴィオラに、以前のアダムはぞっこんだったのだ。けれど、今のヴィオラからは、彼が感じていた魅力は失せている。そんな彼女との婚約は、アダムにとっては重荷でしかなかった。
「あんな姿になってしまったヴィオラと、呪われた闇属性の弟君。ふふっ、ある意味お似合いかもしれませんね」
「そうかもしれない。どうせヴィオラの先行きは短いがな」
少し口を噤んでから、アダムは思案顔で続けた。
「まあ、ヴィオラに残された命が尽きるまで、あの二人が無事でいられるかは俺にもわからないが。ヴィオラが目指すと言っていた辺りの場所は、魔術師団の守備が厚いとは言えないからな」
とりわけ北方の辺境地域は、魔術師団の手が十分に回ってはいない。彼は旅立つ予定のヴィオラとカイルの前で、あえてそのことに言及しなかった。
(俺がヴィオラを見限ったことを知っているカイルに、下手な噂でも流されたら面倒だ。いっそ、ヴィオラごとカイルが消えてくれたほうが助かる)
アダムは、カイルの出発前に、クローヴェン侯爵家にはもう戻らないようにと言い含めたうえで、まとまった額の金貨を渡していた。カイルは家を追い出されることを承知で金貨を受け取っていたけれど、できることなら、アダムは忌まわしいカイルの存在をこの世から葬り去ってしまいたかった。
(カイルのせいでまたあんな悲劇がクローヴェン侯爵家に起きたら、目も当てられない)
幽閉されたまま生涯を終えた五代前の当主のことを口に出すのは、クローヴェン侯爵家ではタブーになっている。
マイヤはアダムに甘えるようにしなだれかかった。
「遅かれ早かれ、というところでしょうか。邪魔者がいなくなった今、私たちは……」
「ああ、わかっている」
アダムはマイヤを力強く抱き寄せると、その唇に口付けた。




