旅立ちの時
ヴィオラがクローヴェン侯爵家を出る日、カイルは準備万端で大きな荷物を持って馬車の前に立っていた。
(私の我儘に、カイル様まで巻き込んでしまうなんて……)
カイルは闇属性とはいえ、魔法の腕は優秀で、王立魔術学校では飛び級し、優れた成績で卒業したばかりだと聞いている。
自分のせいで彼の将来に影響を及ぼしてしまうのではないかと思うと、ヴィオラはどうしても気がかりだった。
「カイル様、本当によろしいのですか?」
「はい、ヴィオラ様のご迷惑でなければ」
カイルが少し目を伏せる。
「お医者様や兄上が言っていたように、闇属性の僕がご一緒すると、ヴィオラ様に悪影響がないか心配ではありますが……」
「そんなことは迷信です。この前から何度も、カイル様の回復魔法で助けていただきましたし」
ヴィオラはカイルを気遣わしげに見つめた。
「ただ、こんな私のために、将来有望なカイル様の時間をいただくことが申し訳ないだけです。私が目指すこの王国の最北端の山までは、相当な距離がありますから」
「それだけなら問題なさそうですね」
カイルが屈託のない笑みを浮かべる。
「こんな時に不謹慎かもしれませんが、ヴィオラ様と一緒に旅ができるなんて、僕はとても楽しみです」
これまでに見たこともないほど純粋な笑顔を見せるカイルに、ヴィオラも何も言えなくなる。
「……正直に言うと、カイル様が一緒に来てくださるなら、私もとても心強いのです」
「本当ですか!?」
「ええ」
嬉しそうに頬を染めるカイルに、ヴィオラが頷く。
「私が意識を取り戻して、信じていたアダム様とマイヤの裏切りを知った時、本当は心が折れそうでした。でも、カイル様が側にいてくださったお蔭で、前を向こうと思えました」
あの日のカイルの温かさがどれほどヴィオラを励ましたか、言葉に尽くし難いほどだった。実家のフェルナート伯爵家を乗っ取った親戚などよりも、カイルのほうがずっと本物の家族のように感じる。
「でも、もし私の身体の自由が利かなくなってきたら、目的地の手前だったとしても、そこで旅は終わりにします。その時は私のことはお気になさらず、カイル様もどうぞお帰りください」
最期まではカイルの手を煩わせたくないというヴィオラの気持ちを察して、彼の表情が曇る。ヴィオラはぽつりと呟いた。
「……私に、何か一つでもカイル様に差し上げられるものがあればよかったのに」
かつての優れた光魔法の腕は、既に失ってしまった。ある程度の旅の支度費用がアダムから支払われるとはいえ、彼女のそれまでの蓄えを足しても、侯爵家の子息にとっては微々たるものだと思われる。余命は短く、隈の残る目元や青白くやつれた頬には生気がない。そんな自分が、ヴィオラにはやるせなかった。
カイルが前髪の間から、金色の瞳でヴィオラを真っ直ぐに見つめる。
「僕には、一つだけ欲しいものがあります」
驚いたヴィオラが、彼に尋ねる。
「それは、私が差し上げられるものですか?」
「はい」
カイルは顔を火照らせて続けた。
「差し出がましいお願いですが、もし叶うなら、ヴィオラ様に残された時間を僕にください」
(……何て優しいお願い事なのかしら)
ヴィオラがくすりと笑う。今の彼女がカイルに差し出せるものといえば、確かにそれしかない。
それは、引け目を感じてカイルに遠慮していたヴィオラを、丸ごと包み込むような言葉に感じられた。
「はい。そんなものでよいのなら、喜んで」
「……!! ありがとうございます」
カイルにとって、ヴィオラの笑顔は、まるで花が綻ぶように可憐に見えた。
耳まで真っ赤になったカイルが、恭しくヴィオラに手を差し伸べる。
「では行きましょうか、ヴィオラ様」
「ええ」
ヴィオラがカイルの手を借りて馬車に乗り込む。カイルがヴィオラの向かいに座ると、馬車はゆっくりと動き出した。
(……私の命が尽きる前に、あの場所に辿り着けるかしら)
景色が流れていく窓の外を、物思いに耽りながらヴィオラが眺める。カイルはそんなヴィオラの姿をただ見つめていた。
ヴィオラは、カイルの鼓動がこれまでになく速くなっていることに気付いてはいなかった。




