別れ
(……アダム様がこんな方だったなんて)
そんなヴィオラの胸の内には気付かぬままに、アダムは気を取り直したように続けた。
「旅に使う馬車や、何か必要なものがあれば用意させよう。ほかに君に希望はあるか?」
アダムは素早く頭の中で算段をしていた。ヴィオラへの見舞金や、仮に彼女との婚約を破棄した場合にかかるであろう慰謝料などと比べると、旅の支度にかかる費用のほうが格段に安上がりなことは間違いない。
「いえ、十分です。ありがとうございます、アダム様」
謙虚なヴィオラの言葉に、アダムが満足そうな表情を浮かべる。
アダムの前で、カイルはヴィオラに向かって声を上げた。
「ヴィオラ様、僕も旅にご一緒させてはいただけませんか?」
「カイル様? でも……」
驚きを隠せないヴィオラに、カイルが続ける。
「僕は闇魔法の属性ですが、回復魔法も使えます。今は闇属性の魔力の制御も身に付けましたし、一般的な魔物なら、僕の攻撃魔法で退けられるはずです。少しでもヴィオラ様のお役に立てるようにしますから」
光魔法以外の属性の場合、回復魔法に適性があることは少ない。けれど、カイルは優れた魔法の才能に加えて努力の甲斐あって、ある程度の回復魔法が使えるようになっていた。
ヴィオラが答える前に、アダムはふっと口角を上げた。
「そうだな。ヴィオラの旅には、誰か付き添ったほうがいいだろう。カイルなら前からヴィオラに懐いていたしな。……まあ、ヴィオラが闇属性のお前を嫌がらなければの話だが」
カイルを貶めるような、アダムの皮肉っぽい笑みを見て、ヴィオラは悔しい気持ちで答えた。
「嫌だなんて、決してそんなことはありません。ただ……」
弟のように思っていたカイルからの思いがけない申し出は、ヴィオラにとって心温まるものだった。けれど、死期の近い自分の旅に彼を付き合わせることは躊躇われた。
「ありがたいお申し出ですが、そこまでしていただいても、私にはカイル様にお返しできるものが何もありません」
「これは僕の希望です。僕がヴィオラ様と一緒に行きたいだけなんです」
真っ直ぐなカイルの言葉に、ヴィオラの青紫色の瞳が揺れる。
「もしそうなれば、カイル様のお手間も、時間も取らせてしまいます。じっくり考えていただいたほうがよろしいかと思いますが……」
「では、ヴィオラ様が旅に出るまでに僕の気持ちが変わらなかったら、同行することを許してくださいますか?」
戸惑いつつも、真剣な様子のカイルを前にして、断りきれずにヴィオラが頷く。
ちらりとマイヤと目を見交わしたアダムは、ヴィオラに言った。
「俺とマイヤは、これから魔物討伐に向かう。恐らく、君が旅立つ前には戻れないだろう」
「承知いたしました。アダム様もマイヤも、どうぞお気をつけて」
アダムが頷く。かつて生涯を共にすることを約束した婚約者同士とは思えないほど、あっさりとした別れだった。
部屋を出て行くアダムの後に、ちらりとヴィオラを振り返ったマイヤも続く。マイヤの顔に浮かんでいたのは、ヴィオラに対する気遣いでも憐憫でもなく、明らかに勝ち誇った表情だった。
ドアの閉まる音がして、ヴィオラの隣でその様子を見ていたカイルが悔しそうに口を開く。
「……ヴィオラ様、本当によかったのですか?」
「ええ」
ヴィオラはアダムへの想いを振り切るように答えた。
「もう終わったことですから」
三か月もの間、ずっと意識をなくしていたヴィオラにとって、アダムのマイヤへの心変わりはあまりにも唐突に感じられたけれど、もうどうすることもできないとわかっていた。
それに、これまで自分が見てきた表向きのアダムとは違う、彼の裏の部分を垣間見て、アダムへの気持ちは根本から揺らいでいる。
「せめて、残された時間は前を向いて生きたいと思います」
そう言って気丈に笑ったヴィオラを、カイルは切なげに見つめた。
医者が帰り、アダムとマイヤ、そしてカイルが部屋を出ていってから、一人きりになったヴィオラは鞄から小ぶりの手帳を取り出した。彼女が考えを整理する時に使っている、お気に入りの手帳だ。飴色の革表紙は、すっかり手に馴染んでいる。
手帳を開くと、そこには王立魔術師団の仕事に関することばかりが書かれていた。
魔法が使えなくなった今、情熱を注いできた仕事がもうできないことには無力感を覚えたけれど、同時に、ヴィオラにはどこか解放感もあった。
王立魔術師団の一員となってからは、脇目も振らずに仕事に打ち込んで、ひた走ってきたような気がする。アダムという愛しい婚約者のためと思えば、仕事にすべてを捧げられたものの、代わりに自分自身は犠牲にしてきたことを、改めて感じた。
手帳を開いた彼女は、まっさらなページを見つめた。
限りある時間を、自由に、悔いのないように過ごしたい。今のヴィオラには、そう思うことだけで精一杯だった。
しばらく考えてから、ヴィオラは旅の途中で叶えたいことを、気の赴くままに書き出していった。これまでもしたいとは思いながらも、時間がなくて後回しにしてきたことばかりだ。
見たい景色、経験したかったこと、読みたかった本――ヴィオラの書いたリストは、少しずつ伸びていった。
(一つずつでも、叶えていけたら嬉しいわ)
心の中でヴィオラが呟く。
いつ身体の自由がきかなくなるかすらわからないヴィオラにとって、それは切実な願いだった。
(私に残された時間を、少しでも楽しめますように)
そう祈りながら、ヴィオラはペンを置いた。




