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【書籍化決定】選ばれなかった私は、残された時間を自由に生きます  作者: 瑪々子


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森の道

 クローヴェン侯爵家を出発してから程なくして、馬車は森に続く道へと入った。春の息吹を感じる枝葉の間から、木漏れ日が踊っている。馬車の窓から外を眺めていたカイルは、ヴィオラに視線を移すと口を開いた。


「ヴィオラ様。この森で僕が拾った、怪我をしていた子犬のことを覚えていますか?」

「ええ。懐かしいです」


 ヴィオラがにっこりと笑う。カイルが彼女に心を開いてくれるようになったのは、怪我をしていたその子犬がきっかけだったからだ。艶やかな漆黒の毛並みに、賢そうな琥珀色の瞳をした子犬がヴィオラの脳裏に浮かぶ。

 普段は自室に籠もりがちなカイルだったけれど、時々、人目を避けるように屋敷の裏口から抜け出しては、息抜きのために屋敷近くの森まで足を伸ばしていた。ある日、彼は森で足に怪我を負って動けなくなっていた子犬を拾って、クローヴェン侯爵家の屋敷に連れて帰ったのだ。アダムや他の使用人たちが、早く捨てるようにとカイルの言葉に耳を貸さない中で、ただ一人彼の言葉に耳を傾け、子犬の足の怪我を回復魔法で治したのがヴィオラだった。


「カイル様によく懐いて、可愛い子犬でしたね」

「はい」


 カイルが目を細める。彼が連れて帰った頃は衰弱しており、警戒心が強くて毛並みもぼさぼさだったその子犬は、彼が世話をするうちに、見違えるように美しくなった。ヴィオラがカイルの肩を持ったために、アダムは渋々カイルが子犬を飼うことを認めたのだ。子犬はカイルにも、そして怪我を治したヴィオラにもよく懐いていた。


「きっと、今頃は大きくなっているのでしょうね」

「元気に成長していてほしいですね。短い間しか飼えずに残念でしたが……ヴィオラ様がいなかったら、あの子犬は魔物扱いされて、クローヴェン侯爵家で殺されていたかもしれませんしね」


 ヴィオラの眉尻が下がる。カイルが拾ってきた子犬は、確かに普通の犬とは少し違っていた。額の毛をかき分けると、そこには透明な宝石のようなものが埋まっており、使用人たちがおかしな気を起こさないようにと、カイルはそれを秘密にしていたのだ。唯一彼がその秘密を打ち明けたのがヴィオラだった。


 ヴィオラもその秘密を守り、クローヴェン侯爵家を訪問する度に子犬を可愛がっていたけれど、いつしかその秘密は屋敷の使用人たちの知るところとなった。カイルが子犬を拾った時期が、ちょうど魔物の出没が多い時期と重なっていたことも手伝って、今はまだ小さくて害がなくても、犬ではなく狼型の魔物に成長するのではないかと、カイルは子犬を殺すよう迫られたのだった。

 慌ててカイルはヴィオラに相談し、二人はこっそりと子犬を森に逃がしていた。


 当時を思い出して、カイルが続ける。


「せめてこの森に逃がしてやれてよかったですが、僕が拾ってきたせいで魔物呼ばわりされるなんて、あの子犬には可哀想なことをしました」


 闇属性の持ち主は魔物を呼ぶと言われるせいで、一風変わった子犬が魔物だと周囲に決めつけられてしまったことが、今でもカイルは悔しいようだった。


「あの子犬は、カイル様が拾ったから元気に森に戻れたのです。きっと今でもそのことを感謝しているのではないでしょうか」

「ヴィオラ様が怪我を治してくださったお蔭です。あの時貴女が僕に味方してくださらなかったら、きっとあの子犬は助からなかったでしょう。……飼えたのは短い間でしたが、僕にとっては、家の中で唯一の友達のような存在でした」


 カイルが子犬を真剣に助けようとしていたことが伝わったのか、ひとたび慣れると、子犬はすっかりカイルに心を許した。尻尾を振ってカイルにじゃれつく子犬を見て、ヴィオラも微笑ましく思ったものだ。


「とても賢い子でしたね」

「そうですね。森に放しに行った時にも、僕たちの事情をわかっているように見えました」


 寂しそうにしながらも、子犬は聡明な瞳を二人に向けると、森の中へと走り去っていったのだった。


 森の中の凸凹道をしばらく馬車が進んでいくうち、カイルはだんだん顔色が悪くなってきたヴィオラに気が付いた。


「ヴィオラ様、大丈夫ですか?」


 気遣わしげに尋ねた彼に、ヴィオラが頷く。


「はい。馬車の揺れで、少し酔ってしまっただけですから。そのうち落ち着くと思います」


 カイルの目には、ヴィオラの顔は青白くつらそうに映った。


「今、回復魔法をかけますね」


 ヴィオラに向かって回復魔法を唱えてから、カイルはヴィオラに言った。


「少し馬車を止めて休憩しましょうか? 森の中ではありますが、この辺りなら休めそうです」


 馬車の外には、森の中をさらさらと流れる小川が見える。カイルは、川の側に少し開けた場所を見付けると、御者に声を掛けて馬車を止めた。

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