残された時間
程なくして到着した医者は、上半身を起こしているヴィオラを前にして驚きに目を瞠った。
「これは、ヴィオラ様……! お目覚めになりましたか……!!」
医者がヴィオラに駆け寄る。
「ご気分はいかがですか?」
「全身が重い感覚はあるのですが、そのくらいでしょうか。さっき目覚めたばかりなのです」
「いや、ヴィオラ様が意識を取り戻されたこと自体、信じられないほどです。私は、怪我を負った直後のヴィオラ様を診察したのですが……絶望的と言わざるを得ない状況でしたから」
医者はその時、これまで滅多に姿を見せなかったカイルの存在に気付くと、眉を顰めて一歩下がった。影のようにヴィオラに寄り添っているカイルの首元には、闇属性を示す黒々とした蔦のような紋様が覗いている。
「……畏れながら、ヴィオラ様は光属性の持ち主であらせられます。正反対の属性の方がお側にいると、悪影響が及ぶ可能性も否定できないのではないかと……」
医者も、低位ではあるものの、稀少な光の精霊の加護の持ち主だった。彼の言葉に、カイルが表情を翳らせる。ヴィオラは医者の言葉を遮った。
「私はカイル様の回復魔法のお蔭で体調が良くなりました。決してそのようなことはありません」
医者は一つ咳払いをすると、ヴィオラを見つめた。
「ヴィオラ様がそう仰るのならお任せします。……ヴィオラ様がお目覚めになったこと、アダム様もさぞお喜びになることでしょう」
にこやかな医者の前で、ヴィオラは悲しげに目を伏せる。
カイルは重い腰を上げて席を立った。
「僕、兄上に伝えてきます」
大丈夫だというように、不安そうなヴィオラの手をそっと握ってから、カイルは部屋を出て行った。
***
カイルは兄アダムの部屋へと向かいながら、ヴィオラのつらそうな表情を思い出して、悔しそうに拳を握り締めた。
「どうして、ヴィオラ様がこんな目に遭わなければならないんだ……」
絞り出すような声でカイルが呟く。
ヴィオラがアダムを庇って大怪我を負った直後は、カイルの目にも、アダムは必死でヴィオラの治癒のために力を尽くしているように見えた。けれど、ヴィオラの意識が戻らないままに、稀有な光属性の加護が弱まり、さらにはやつれて美しさを失っていく姿に、アダムは失望と共に、彼女への興味を急速に失ったようだった。
重い足取りで兄の部屋に向かったカイルは、遠慮がちに兄の部屋のドアを叩いた。
一拍置いて、部屋のドアが乱暴に開く。ドアの前にいるカイルの姿を見て、アダムは片眉を上げた。
「何だ?」
「お取り込み中、お邪魔してすみません」
部屋のソファーに横たわるマイヤの姿を認めて、カイルが冷ややかな口調で言う。
服が乱れたマイヤは頬を上気させており、二人が何をしようとしていたのか、カイルには容易に想像がついた。
(……貞淑なヴィオラ様とは、マイヤ様は正反対だ)
ヴィオラが瀕死の重傷を負ってから、マイヤは彼女を見舞う名目で、何度もクローヴェン侯爵家を訪れていた。そんなマイヤを遠目に眺めていたカイルだったけれど、彼女の狙いが兄であることは明らかだった。友人を心配するふりをしながら、巧みな言葉と豊満な肉体で兄を誘惑するマイヤに、カイルは吐き気を催すほどの嫌悪感を覚えていたのだ。
けれどそれ以上に、ヴィオラを省みることなくマイヤに心変わりした兄のことが、カイルには許せなかった。
怒りを滲ませるカイルに、アダムは苛立ちを隠さずに続けた。
「何の用件だと聞いているんだ」
「ヴィオラ様が目を覚まされました」
静かに答えたカイルを前にして、みるみるうちにアダムの目が大きく見開かれる。
「何だって!?」
マイヤもソファーから立ち上がると、焦った様子で口を開いた。
「それは本当なの?」
戸惑ったようにアダムとマイヤが目を見交わし、アダムの部屋に沈黙が落ちる。
「……兄上。命の恩人の回復を喜ぶ言葉もないのですね」
「うるさい! お前が口を出す話ではない」
ヴィオラの様子を確認しようと、急ぎ足でアダムが部屋を出て行く。慌てて服を直したマイヤがその後を追い、カイルも彼らに続いてヴィオラの部屋へと向かった。
バタンと大きな音を立てて、ヴィオラのいる部屋のドアが開く。
「ヴィオラ!?」
アダムとマイヤが部屋に駆け込んでくる。カイルも二人を追うように部屋にやってきた。ベッドの上で上体を起こしているヴィオラの姿を認めて、アダムは一瞬視線を泳がせ、マイヤの顔は青ざめた。
アダムがヴィオラの手を取る。
「ヴィオラ……とうとう意識が戻ったんだな」
言葉とは裏腹に、アダムの表情は強張っていた。困惑と失望の滲む彼の顔を見て、ヴィオラは改めて彼の愛情を完全に失ったことを感じた。
マイヤも、引き攣った顔を隠すように明るい声を上げる。
「よかった、ヴィオラ! 心配していたのよ」
白々しい二人に、ヴィオラは何と言葉を返してよいかわからなかった。
アダムが医者を振り返る。
「ヴィオラの容体はどうなんだ?」
探るような瞳でアダムに見つめられ、彼らがやってくる直前までヴィオラの診察をしていた医者は、重い口を開いた。
「ヴィオラ様は、大きな衝撃を受け止めた後遺症がお身体に残っていらっしゃいますが、それだけではありません。身体が耐えられる極限を超えて、魔力を使われたようです。……これ以上、ご無理はなさらないほうがよろしいでしょう」
「……もう、魔物との戦闘の場には出られないということか?」
「そのようなことをなさるなんて、もってのほかです。魔法を使おうものなら、さらに寿命を縮めることになってしまいます」
「さらに?」
アダムの目が興味深そうに輝く。医者はそのことには気付かずに、言いづらそうに続けた。
「もし何も気にせずに普通の生活をなさったとしたら、ヴィオラ様の余命は、持って半年……いや、三か月というところでしょうか。次第に全身に力が入らなくなり、身体の自由がきかなくなってくるはずです」
「そんな!」
悲痛な叫び声を上げたのはカイルだった。
「何かの間違いではありませんか!? そんなことって……!」
「まあ、落ち着いてください」
医者がカイルを宥める。
「あくまでも、特別な処置を施さずに生活したならという話です。無理せずに静養をして、回復魔法をかけ続ければ、ある程度は寿命を伸ばすことが可能かと」
医者の言葉に、アダムの顔が僅かに歪む。アダムの横で、マイヤは苛立ったように唇を噛んでいた。
(アダム様とマイヤが結ばれるためには、私が生きていては不都合なのね……)
二人の表情に、ヴィオラは、自分が彼らにとっての障害にしかならないことを痛切に感じていた。




