古い物語2
シェフはヴィオラとカイルに向かって口を開いた。
「ずっと昔、一人の猟師の若者が山を歩いていると、彼の連れている猟犬が、美しい少女が倒れているのを見付けた。若者が彼女を助け起こすと、喉が渇いて動けないという。彼が持っていた水を分け与えたら、少女はすっかり元気になり、何かお礼がしたいと彼に伝えた。若者は頬を染めると、また彼女に会いたいと頼んだ。……彼は、少女に一目惚れをしたんだ」
シェフの語る物語に、二人が微笑む。
「その後、若者は少女との時間を重ね、ついには結婚した。……彼女との結婚後、若者には幸運な出来事が続いた」
「幸運な出来事、ですか?」
「ああ。病に臥せっていた若者の母親は健康を取り戻し、若者も、今まで以上にたくさんの獲物がとれるようになった。しかも、不思議なことに、獲物の胃袋からは、なぜか高価な宝石の原石がごろごろと出てきた」
「……不思議ですね」
「美しい妻と、幸せな暮らし。若者の猟犬も、彼女にはよく懐いていた。だが、その幸せは長くは続かなかった」
彼は一旦言葉を切った。
「若者は、次第に欲深になっていった。大きな館、豪華な装飾品、贅沢な食事。……彼は、妻をだんだんおざなりにするようになった。彼が気付いた時には、妻は姿を消していた」
シェフの話を聞くうちにだんだんと記憶が蘇ってきたヴィオラは、静かに彼の言葉を継いだ。
「……そして、若者は階段を転げ落ちるように没落したのでしたね」
「ああ。財産どころか母までも亡くし、すべてを失って初めて、妻の存在がいかに大切だったかにようやく気付いたんだ。彼は妻を探し回った。初めて妻と会った山に向かった若者は、喉の渇きに行き倒れた。若者の猟犬が助けを呼ぶように吠えると、今度は、そこで彼が助けられたんだ。……綺麗な若い女性が、澄んだ湖の水を彼に飲ませてくれた」
湖が物語に登場したことに、納得したようにカイルが頷く。
「若者は、その女性にしばらく介抱されるうち、彼女に惹かれ始めた。優しく、器量が良く、文句の付けようのない女性だったからだ。けれど、彼が自分の想いを女性に告げると、彼女は悲しそうに涙を流して、こう言ったんだ。『あなたには、妻があることを忘れたのですか』と」
「!! それは、もしかして……」
「ああ。女性は、淡い光の中で姿を変えていき、若者の妻の姿になった。彼女の正体は光を司る女神で、自由に姿を変えることができたんだ。彼が喉の渇きを潤した湖は、彼女の涙でできたものだった」
「……それから、二人はどうなったのですか?」
「女性は若者の前から忽然と姿を消し、山を闇と静寂が覆った。彼の猟犬と、澄んだ湖までもが消え失せて、若者は、その後いくら妻を探しても、決して見付けることはできなかった」
「要するに、彼は試されていた――もし誘惑に負けずに妻を探し続けたなら、幸せを取り戻すことができたのでしょうか」
「物語にたらればはないから何とも言えないが、恐らくそういうことなのだろうな。それから、光の女神の訪れる場所に、湖が生まれると言われている」
カイルは、しばし口を噤んでから尋ねた。
「その光の女神は、このカリスティード王国の創造主と言われる女神と関係があるのですか?」
「ああ。創造主である女神の娘が、光の女神だと言われているよ。神々の中でも格の高い女神だが、下界の人間たちにも優しく、好意的だったそうだ。この若者の件があってから、人間の前に姿を見せることはなくなってしまったが、気に入った人間の願いを気まぐれに叶えると伝えられている」
カイルが顎に手を当てる。
「気まぐれに願いを叶える――ですか。『幻の湖』の手掛かりを探していたのですが、現れる場所も、どうしたら願いが叶うのかも、予想のしようがありませんね」
「そうだろう? 願いが叶うというのも、俺に言わせれば根拠のない話だ。それに、あの山は道の悪いところも少なくない。危険を押してまで行くような場所ではないよ」
シェフは、気遣わしげな視線をちらりとヴィオラに向けた。線が細く、色白で儚げなヴィオラに、病の気配を感じたようだった。
ヴィオラがシェフに向かって微笑む。
「幻の湖の伝承を教えてくださって、ありがとうございました。それに、私たちの心配までしてくださるなんて。ただ……これは私の単なるわがままなのですが、それでも、幻の湖を一目見たいのです」
ヴィオラの強い瞳と、どこか必死さの滲むカイルの表情を見て、シェフは溜息交じりに言った。
「どうしてもと言うなら止めはしないが、あまり期待はしないことだな」
しばらく口を噤んでから、彼は躊躇いがちにヴィオラを見つめた。
「……実は、俺も幻の湖を見たことがある。さっき貴女が話していたのと、同じ風景をな」
「「本当ですか!?」」
ヴィオラとカイルの声が揃う。
「ああ。だが、探して見付けたというよりは、出会ったとでも言えばいいのだろうか。俺が山奥に分け入ったら、すぐ目の前に美しい湖が見えたんだ。周囲は輝くような銀色の花に囲まれていた。湖に出会うという言い方はおかしいのかもしれないが……あれはやはり、縁だとしか言いようがない」
「あなたは、何を幻の湖に願ったのですか?」
カイルが尋ねると、彼は遠い瞳をした。
「『親父がこの湖を見られますように』ってな。親父がずっと幻の湖を探していたのに、俺が見付けちまうなんて皮肉なものだと思いながら。だが……」
シェフは再び溜息を吐いた。
「すぐに村に戻って親父を呼びに行くと、親父はとうとう幻の湖を見ることができた。だが結局、親父の願いは叶わなかった。……少し話し過ぎたようだな」
彼は二人に背を向けると、厨房へと戻っていった。
ヴィオラとカイルが目を見合わせる。
「『縁』……ね。確かに、そういうものなのかもしれないわ。私が両親と幻の湖を見た時も、必死に探したというわけではなくて、偶然出くわしたという感じだったから」
「シェフの言っていた光の女神が、縁のある人間を呼ぶのかもしれないね」
カイルが思案顔で言う。
「まずはあの山に登ってみようか。君の身体に障らないように、ゆっくりと」
「ええ」
シェフが作ってくれた料理は絶品だった。二人は食材の味を活かした料理に舌鼓を打った。ヴィオラの食は細かったけれど、シェフは持ち帰れるようにと余った料理を包んでくれた。
親切なシェフに礼を言って、二人はレストランを後にした。
***
ヴィオラとカイルは、数日間その村に滞在してから、さらに山の上に位置する『幻の湖』に一番近いと言われる村へと向かった。人気のない凸凹道をノクティスの背に乗って移動すると、陽が傾き始める頃には村に到着した。
「いよいよだね。……ヴィオラ?」
カイルがヴィオラを見つめると、彼女は青白い顔で、苦しそうに浅い息をしていた。
「!! 大丈夫かい?」
ヴィオラがやっとのことで頷く。
「ええ」
少し身体を動かすことですらつらそうなヴィオラの様子に、カイルは彼女を両腕で抱き上げた。
「ゆっくり深呼吸をして。ここは高度が高くて、酸素が薄い。無理して動かないほうがいい」
「でも、カイル……」
「僕は大丈夫だから」
ヴィオラに回復魔法を唱えると、カイルはすぐに宿を探した。
そんな彼らの背後に人影があることに、カイルは気付かずにいた。
本日は3話投稿いたします。次話は本日12時更新です。




