古い物語1
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外に出たヴィオラは、思い切り高原の空気を吸い込んだ。
涼やかで澄んだ空気が、ヴィオラの胸を満たしていく。
「空気が美味しいわ!」
「そうだね」
明るい顔になったヴィオラを見て、カイルも朗らかに笑う。
並ぶヴィオラとカイルの距離は、さらに縮まっていた。寄り添った二人の指先が絡まる。
カイルが言っていた通り、その村は本当に素朴な村だった。
旅行者らしき姿はぽつぽつとあるものの、若者の姿は少なく、年配の村人が多いようだ。立ち並ぶ店も、それほど目を惹くような店はなく、地元民の暮らしに溶け込むような店ばかりだった。
そんな景色も楽しみながら、ヴィオラはカイルと一緒に、小さな村をゆっくりと歩いた。
村人は皆とても親切で、カイルやヴィオラが声を掛けると、嫌な顔一つせず、知っていることを色々と教えてくれた。
二人が『幻の湖』について聞くと、ある村人が一軒のレストランを紹介してくれた。
レストランのオーナーシェフが、さらに山道を上った先にある村の出身で、その村は、幻の湖に最も近い村と呼ばれているのだという。
「あのレストランのシェフなら、『幻の湖』について、きっと何か知っているんじゃないかな。寡黙で不愛想な男だが、根は優しいから、一度行ってみるといい」
「ありがとうございます」
ヴィオラとカイルが教えられたレストランを訪ねると、入口のガラス張りの扉には準備中の札がかかっていた。
札に書かれた開店時間までには、もう少し時間がある。
また出直そうと、レストランに背を向けかけたヴィオラとカイルだったけれど、ちょうどその時、レストランの入口の扉が内側から開いた。
「食事かい? ちょうど店を開けるところだ、どうぞ中へ」
体格の良い、顎髭をたくわえた男性が現れた。扉のガラス越しに、ヴィオラとカイルの姿に気付いたようだ。
無骨な印象の彼に向かって、二人は口を開いた。
「開店前の時間に、すみません」
「……犬を連れているのですが、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
大きな身体を屈めた男性が、ノクティスの頭を撫でる。厳めしい顔をしていたけれど、ノクティスを見つめる彼の瞳は優しかった。
「可愛い犬だな。……昔飼っていた犬にそっくりだ」
尻尾を振るノクティスを見て、カイルとヴィオラが微笑む。
カウンターにヴィオラと並んで座ったカイルは、早速昼食を注文すると、男性に尋ねた。
「あなたがこちらのオーナーシェフですか?」
「ああ、そうだ」
「実は、『幻の湖』について教えていただきたいのですが……」
カイルは、彼なら幻の湖について知っているのではないかと村人から聞いたことを、かいつまんで話した。
腕組みをしたシェフが、複雑な表情で頷く。
「俺は確かに、あの山の中腹にある村の出身だが、幻の湖の何が知りたいんだ?」
「僕たちは、その湖を探しに来たんです」
彼はすぐに首を横に振った。
「悪いことは言わない、やめておけ」
ヴィオラが彼に尋ねる。
「どうして、そう思われるのですか?」
「幻の湖は、探して見付かるようなものじゃない。その名前の通り、滅多なことでは見られないだろうよ」
ヴィオラとカイルが目を見合わせる。彼は渋い顔をして続けた。
「あの村には、幻の湖を探す者がよくやって来た。だが、見付けられた者はほとんどいない。……お前さんの聞いた通り、俺が住んでいたのは幻の湖に最も近いと言われる村だが、あの村の住人だって、生きているうちに幻の湖を見る機会があるのは、ほんの一握りだけだ」
「ですが……」
「言い伝えにある幻の湖を探し続けて、何年も時間を無駄にした挙句に、結局諦める者もいれば、諦め切れずに人生を棒に振る者もいる。若いお前さんたちが探すのは酷ってもんだ。それに……」
彼は一つ溜息を吐いた。
「幻の湖を探しに来たってことは、きっと何か叶えたい願いがあるんだろう? だが、湖を見付けたからといって、願いが叶うとは限らない」
「……どういうことですか?」
「俺の親父は、幻の湖を探すためにあの村に移り住み、何年もかけて探索した結果、幻の湖を見た。だが、結局親父の願いーー金や権力は手に入らずに、酒ばかり飲むようになったよ。……幻の湖には、そういう怖さもあるってことさ」
シェフの顔には、苦々しい思いが滲んでいた。彼の言葉に、ヴィオラもカイルも口を噤む。
しばしの沈黙の後、ヴィオラはゆっくりと口を開いた。
「私は昔、幼い頃に、両親と幻の湖を見たことがあるのです」
「それは本当かい?」
「ええ。幻想的な、とても美しい湖で、一面の銀色の花に囲まれていました。けれど、仰る通り、願いが叶うのかはわかりません」
ヴィオラが寂しそうに微笑む。
「両親が他界した今となっては、二人が幻の湖に何を願ったのかもわかりませんが――ただ、もう一度あの湖を見られたらと願っています」
興味を持った様子で、シェフが尋ねる。
「お嬢さんは、幻の湖に願いをかけたのか?」
「はい。もう一度、あの湖の景色を見られますように、と」
「……随分とささやかな願いだな」
「当時の私はとても幼くて、願いをかけることの意味も、あまり理解していませんでしたから」
彼はふっと笑みを零した。
「だが、お嬢さんのような人なら、もしかしたら、またあの湖を見られるかもしれないな。あれは『縁』がある者を呼ぶと言われるんだ。――幻の湖に関する伝承を知っているかい?」
「もしかしたら、古い物語でしょうか?」
「ああ、その通りだ。聞いたことがあるのかい?」
「はい。ただ、ずっと昔に聞いただけなので、もうほとんど覚えてはおりませんが」
カイルがシェフに向かって身を乗り出す。
「その物語を、教えていただいても?」
シェフはカイルに向かって頷いた。




