甘い朝
翌朝、ヴィオラが目覚めると、カイルの顔が目の前にあった。
「……!?」
頭の下には、彼の温かい腕がある。腕枕をされて眠っていたことに驚きながら、ヴィオラはぼんやりと記憶を辿った。
(ええと、昨日は……)
小さな村にある宿に辿り着いてから、ヴィオラは程なくして眠気に襲われて、うとうととベッドに入ったのだった。
カイルがずっと心配してくれて、側についていてくれたことも朧げに覚えている。
よく眠ったせいか、それとも医者にもらった薬が効いたせいか、昨日よりも気分はよくなったようだ。
カイルの体温に包まれて、ヴィオラには気恥ずかしさもあったものの、彼がまだ寝ているせいか、少しだけ気持ちに余裕があった。
間近でカイルの美しい寝顔をしげしげと眺めたヴィオラは、彼を起こさないように、そっと慎重にその胸に顔を寄せた。
カイルの心臓が、一定のリズムを刻んでいる。トクン、トクンと続く心音が、ヴィオラを安心させた。
「カイル……好き」
ごく小さな声で、ヴィオラが呟く。
ぴったりと彼の身体にくっつく格好になったヴィオラの耳元で、囁き声が聞こえた。
「……ヴィオラ?」
はっと驚いて身体を引こうとしたヴィオラを、カイルの両腕がふわりと包む。
「……熱は、ないよね?」
彼の金色の瞳が、ヴィオラを覗き込んでいる。その瞳の奥には、優しい、そしてどこか悪戯っぽい色が浮かんでいた。
「え、ええ。熱はないから、大丈夫よ」
ヴィオラを見て、カイルがくすりと笑う。
「よかった」
「……起こしてしまったかしら?」
「もっと早く起こしてくれたらよかったのに。だって、熱のせいでもないのに、ヴィオラから僕の胸に顔を寄せてくれたっていうことでしょう? ……ふふっ、びっくりしたよ」
「そ、それは……」
旅の途中、熱にうなされたせいで、カイルに抱き着いてしまったことを思い出す。
今朝はそんな理由もなく、言い訳もできずに頬を火照らせたヴィオラを、カイルがぎゅっと抱き締める。
「可愛い。大好き」
ヴィオラはますます顔に熱が集まるのを感じながら、混乱する頭を回転させていた。
(カイルって、こんなに甘い表情をするのね……!?)
旅を始めてから、だんだんとカイルとの距離が近付いているのを感じてはいたけれど、昨日互いの想いを確認し合ってから、二人の間の空気は確実に変わっていた。
愛しげにカイルに見つめられて、ヴィオラはどぎまぎしていた。
(私のほうが年上のはずなのに、全然余裕がないわ……!)
ちらりと上目遣いでカイルを見上げる。
「あの、カイル……驚かせてごめんなさ……」
「謝らないで、僕は嬉しいから」
カイルは彼女の髪を撫でながら続けた。
「ヴィオラは、昔から、何でも一人で解決しようとするところがあるでしょう? でも、もっと頼ったり、甘えたりしてほしいと思ってるんだ」
「もう、十分過ぎるくらいにあなたに頼っているし、甘えていると思うけれど……」
「僕はまだ足りないな」
カイルは優しくヴィオラの頬にキスをすると、微笑んだ。
「ずっとこのままこうしていたいような気もするけど……そろそろお腹が空いたんじゃないかな?」
「そういえば……」
言われてみると、ヴィオラは自分が空腹であることに気付いた。昨日は、宿に着いてから、薬以外は口にせずに眠ってしまったのだ。
「朝食を用意してもらってくるよ。ヴィオラはここでまだ休んでいて」
「ありがとう」
部屋から出ていくカイルの背中を眺めながら、ヴィオラが呟く。
「カイルは、私を甘やかし過ぎじゃないかしら?」
以前からいつも優しく親切だったカイルだけれど、その表情に、ヴィオラは彼の違う一面を見たような気がしていた。
ノクティスは二人のやり取りには構わずに、ベッドの上で丸くなっていた。
***
朝食を摂り終えると、カイルは窓の外を見つめた。
「『幻の湖』は、今どこにあるんだろうね?」
ヴィオラもカイルの視線を追うようにして、窓の外に見える山の尾根を見上げた。
「昔、私が両親と見た時には、幻の湖はあの尾根の中腹にあったの。もう温かくなってきた頃で、こんなところにも雪があるのかしら、と思ってよく見たら、銀色の花で――その中央には、幻の湖があったわ」
懐かしむように、ヴィオラが目を細める。
「近くの村の人に聞いた話では、幻の湖は山の頂上付近で見られることのほうが多いと聞いていたから、中腹で見られることは、珍しかったのかもしれないけれど」
「そうなんだね」
カイルが思案顔で口を開く。
「幻の湖が現れる場所の条件、みたいなものはあるのかな? 移動するっていうことは、湖ができる原因――例えば、地下に水脈が流れているとか、雪解け水が溜まりやすい地形だとか、そういうものがあれば、ある程度は候補地を絞れるのかなって」
「そういう環境的な条件とは、あまり関係ないみたい。前に私が両親と湖を見た場所も、普段は水がなくて、花が咲かないどころか、草も生えないような場所だという話だったわ。でも、そういえば……」
ヴィオラはしばらく頭を巡らせた。
「私が幼かった頃のことで、あまり覚えていないのだけれど、一風変わった幻の湖についての古い物語を聞いたことがあるの」
「へえ、面白いね。もしかしたら、幻の湖を探すヒントもあるかもしれない」
カイルがヴィオラに向かって微笑む。
「この村にも、ヴィオラが聞いたような物語が伝わっていないかや、幻の湖の手掛かりになりそうなものがないか、調べてくるよ。ヴィオラはここでゆっくりしていて」
「待って、カイル……!」
ヴィオラが、立ち上がろうとしたカイルの手を咄嗟に掴む。
「私も一緒に行きたいわ」
「でも、ヴィオラの身体が……」
「私なら大丈夫よ。熱はないし、薬も飲んでいるから」
ヴィオラはじっとカイルの瞳を見上げた。
「私、カイルと一緒にこの村を歩いてみたいの」
カイルの胸の中では、ヴィオラに自由に過ごしてほしいという気持ちと、無理をして寿命を縮めてほしくないという気持ちがせめぎ合っていた。
「……前に滞在していた町とは違って、ここは小さくて素朴な村だよ。それでもいいの?」
気遣わしげな彼の前で、ヴィオラが続ける。
「ええ。それに、私の体調は、私が一番わかっているわ」
「じゃあ、僕から一つお願い。ヴィオラは、昨日魔力を使って、ただでさえ配慮が必要な身体に負担をかけたばかりでしょう? ……少しでも疲れたら、必ず僕に言ってほしいんだ」
「わかったわ」
嬉しそうに笑ったヴィオラに、念のため、カイルは回復魔法を唱えた。
二人を眺めていたノクティスの視線に気付いて、ヴィオラが手を差し伸べる。
「おいで、ノクティス。一緒に散歩に行きましょう?」
ノクティスは弾むような足取りでヴィオラの足元にやってきた。ヴィオラとカイルは微笑ましげに目を見交わすと、宿を出て、村の中央にある通りへと向かった。




