決別
一方のアダムは、魔術師団の拠点で治療を受けていた。
間一髪でフェンリルの攻撃を躱したアダムは、彼の叫び声に気付いて救援に駆け付けた魔術師団員たちに救われたのだった。
ただ、致命傷は免れたものの、肩にフェンリルの牙を受けて大きな傷を負っている。
「これは酷い……」
拠点には、ちょうど光魔法の使い手である治癒師の女性が居合わせた。彼女がアダムに回復魔法を掛ける。
淡い光の中で、傷口が少しずつ塞がっていく。けれど、深い傷の治癒までは相当な時間がかかりそうだった。
かつてのヴィオラと比べると全然進まない治癒に、アダムは舌打ちをしたくなるのをぐっと堪えた。
(くそっ。カイルがフェンリルさえ呼ばなければ……!)
その時、慌てた様子で魔術師団員がばたばたと走り込んできた。
「大変です!!」
硬い表情になったアダムが、彼らを振り返る。
アダムは、後方に残っているマイヤたちがフェンリルに襲われたこと、その助けを呼びにきたことを魔術師団員たちに伝え、それを聞いた彼らは急いでマイヤたちの救出に向かっていたのだ。
「マイヤたちは無事か?」
そう尋ねながらも、アダムの顔色は悪かった。マイヤや魔術師たちを置いて去った時の、絶望を滲ませた顔が頭に甦る。
「一命は取り留めていらっしゃいますが……無事とは言いかねます」
「あのフェンリルたちは倒せたのか?」
「いえ、どうにか追い払うのが精一杯でした」
苦々しい表情で首を横に振った魔術師は、アダムに回復魔法を掛けている女性を見つめた。
「マイヤ様たちのほうが、アダム様よりもずっと重傷です。すみませんが、先にマイヤ様たちをお願いします」
「わかりました。……アダム様、申し訳ありませんが、また後ほど」
「いや、俺も行く」
頷いた治癒師の女性と一緒に、アダムは急ぎ足で、呼びに来た魔術師団員の後をついていった。
別室に移ると、マイヤ達がベッドの上に寝かされていた。
巻かれた彼らの包帯には、既にべっとりと血が滲んでいる。惨状に目を覆いたくなるのを堪えて、アダムはマイヤのもとに駆け寄った。
「マイヤ!」
艶やかなマイヤの金髪を目印にアダムが近付くと、彼女はゆっくりと顔を彼に向けた。
マイヤの顔中に、包帯が巻かれている。一見すると、彼女の怪我が最も重いようだ。
「アダム様! ……どうして私たちを置いていったのですか?」
包帯の隙間から、恨みがましい桃色の瞳に見上げられて、アダムは一瞬言葉を失った。
抑えた低い声で、慌てて答える。
「人聞きの悪いことを言うな。俺は救援を要請しに行き、君たちはこうして助かっただろう? あのままだったら、俺たちは全滅していたかもしれない」
「でも、私たちの中で、アダム様だけお怪我が軽いようですが」
自力で歩けるアダムに、マイヤが皮肉っぽく溜息を吐く。
身体のいたるところに包帯が巻かれているものの、痛みで呻き声を上げる魔術師たちに比べると、痛みで顔を歪めるでもなく、皮肉を言う余裕のあるマイヤを前にして、アダムは安堵していた。
「ちゃんと責任を持って、最高の治療を婚約者の私に受けさせてくださいね。クローヴェン侯爵家の財力があれば、簡単でしょう?」
当然のように言うマイヤに、アダムは断ることもできずに頷いた。言外に、ヴィオラのことを引き合いに出されたような気がしたからだ。
「……ああ、わかっている」
治癒師の女性が、マイヤの包帯に手をかける。
「お怪我の状況を確認させてください、マイヤ様」
マイヤが頷くと、彼女はゆっくりと顔の包帯を解いていった。
露わになったマイヤの顔を見て、アダムは思わず目を背けた。
彼女の顔は傷だらけで、鼻は折れ、頬は陥没しており、美しかった原形を留めていない。白かった肌は、紫色や灰色に変色している。さらに、鼻の先の肌が黒くなっているのを見て、治癒師は声を落とした。
「壊死、しているわ……」
氷属性のフェンリルの攻撃によって凍傷になり、マイヤの顔は一部が壊死していたのだった。それによって、痛みの感覚もなくなっていたのだ。
治癒師は、彼女の手足に巻かれた包帯も、順番に解いて怪我の状況を確認していった。顔と同様、手指の先や足先など、所々が黒く変色し、壊死している。
微かに眉を寄せた治癒師と、顔を引きつらせたアダムを見上げて、マイヤは震える声で言った。
「……治るのよね、私は?」
顔を曇らせた治癒師だったけれど、労わるようにマイヤに言った。
「ある程度時間はかかるかもしれませんが、普通の生活を送るには、さほど苦労なさらない程度には回復なさるでしょう」
「それは、どういう意味よ!?」
かっとしたマイヤが、ヒステリックな声を上げる。
治癒師は眉尻を下げた。
「氷魔法による攻撃のせいでしょうか、……部分的にお身体が壊死しています」
「何ですって?」
マイヤの顔がすうっと青ざめる。
「私の火魔法は、魔術師団にとって重要なのよ。また団員に戻れるのでしょう?」
わなわなと震えるマイヤに向かって、言いづらそうに治癒師は言った。
「まずは、何よりお身体の回復を優先なさってください。絶対に戻れないとは申しませんが、これ以上お身体に負担をかけることはお勧めしません」
顔を逸らしたアダムに、マイヤが混乱気味に手を伸ばす。
「アダム様、こんな治癒師ではお話になりませんわ。私には、もっと腕の良い治癒師か医者を……」
服を掴んだマイヤの変色した指先にぎょっとして、アダムは思わず一歩後退った。
「マ、マイヤ。俺も、君はまず、休養と回復に努めるべきだと思う。今後のことは、それから考えればいい」
アダムが精一杯の笑みを浮かべる。
「君が貴重な戦力であることに変わりはないが、優先順位というものがあるからな。まずはゆっくりと休んでくれ」
彼女を気遣う優しい言葉とは裏腹に、目を合わせようとしないアダムに向かって、マイヤは苛立ったように言った。
「わかりました、アダム様。……まさか、ヴィオラを捨てたように、私まで捨てるつもりではありませんよね?」
一瞬たじろいで瞳を揺らしたアダムを見て、マイヤが顔色を変える。
彼女はいきりたってアダムを見上げた。
「責任は取っていただきますから!」
傷だらけのマイヤの必死の形相が、アダムにはアンデッドの顔のように見えた。彼の服の裾をぎゅっと掴んだ彼女の手を、慌てて振り払う。
「ひっ」
声にならない声を呑み込み、曖昧に頷いたアダムが彼女に背を向ける。
「アダム様っ……! 待って!!」
振り返ろうともしないアダムに向かって、マイヤは何やら汚い言葉を叫び続けていた。
(……こういう時に、本性が出るのだな)
アダムは自分を棚に上げると、大きな溜息を吐いた。
自ら身を引いてくれたヴィオラと、彼に執着を見せるマイヤとの違いに頭を抱える。
(まあ、最終的には金で解決できるだろう)
マイヤに対するアダムの気持ちは、すっかり萎んでいた。
変わり果てた外見だけでなく、普段は可愛く甘えてくるマイヤのヒステリックな一面に、彼はげんなりとしていたのだ。彼女を切り捨てることは、心の中で冷静に決めていた。
(だが、まずはカイルの問題が先決だ)
精鋭部隊が壊滅的な被害を受けたことを苦々しく思いながら、アダムは急ぎ足で歩き去った。




