溢れた気持ち
カイルは村の医者を呼んできたけれど、医者はヴィオラを診察すると眉尻を下げた。
「お身体を動かしづらくなっているのは、かつて過度の負担がお身体にかかった影響が出ているからでしょう。お話を伺う限り、ヴィオラ様には、無理をせず過ごしていただくほかありません」
「どうにかヴィオラを治す方法はありませんか?」
縋るようなカイルの言葉に、医者は残念そうに首を横に振った。
「回復させるという意味では難しいです。身体の倦怠感を和らげる薬ならお出しできますが、それが限界かと。それから、魔力の使用は絶対にお控えください。お命に影響しかねませんから」
薬を置いて帰っていく医者の姿に、カイルが項垂れる。けれど、ヴィオラは薬を見つめて微笑んだ。
「少しでも身体の怠さがなくなるなら、とても助かるわ」
「でも……」
「いいのよ、カイル」
ヴィオラはカイルの手を借りて上半身を起こすと、薬を飲んでから、窓の外に広がる景色を眺めた。
「『幻の湖』の近くまで、もう来ているのだもの。少しでも身体が軽く感じるなら、それだけで十分よ」
窓の外に顔を向けたまま、ヴィオラが続ける。
「カイルと一緒に『幻の湖』を見られるなら、思い残すことはないわ」
「ヴィオラ……」
カイルが顔を曇らせる。しばし口を噤んでから、ヴィオラはゆっくりと彼を振り向いた。
「ありがとう、カイル。あなたみたいに素敵な人が、こんな先の短い私のために、婚約者まで演じてくれて。……カイルの優しさに、本当に救われていたの」
寂しそうな表情を浮かべたヴィオラを、思わず彼は両腕に抱き締めた。
カイルの声が、微かに震える。
「好きだよ、ヴィオラ。ずっと、ずっと前から、君だけを見ていた」
息が止まりそうになったヴィオラに、カイルは続けた。
「この想いは胸の奥に隠していたけれど……君の側にいればいるほど、君のことが好きになった。溢れそうになる気持ちを、どうにか抑えていたんだ」
「カイル……」
「婚約者を演じることを提案したのも、少しでも君に近付きたかったからだよ。君が兄上の婚約者だった時から、兄上が羨ましくてならなかった。でも、君を困らせたらごめん。迷惑なら、二度とこんなことは言わないから……」
薄らと目に涙を浮かべたヴィオラは、カイルの身体を抱き締め返した。
「私も、カイルが好き」
はっとカイルが目を瞠る。ヴィオラは、彼の胸に顔を埋めたまま続けた。
「あなたがもし本物の婚約者だったなら、どんなに幸せだろうって思っていたの。でも、もう長くない私が、こんなことを口に出してはいけないと思って……」
もう、ヴィオラも想いを胸に留めておくことができなくなっていた。
ヴィオラに回した腕をそっと解いたカイルが、彼女を見つめる。その美しい金色の瞳の奥には、切なげな色が宿っていた。
二人の顔が近付き、唇が重なる。長く優しいキスに、ヴィオラの胸は甘く高鳴った。
「愛してるよ、ヴィオラ」
目を潤ませたヴィオラのプラチナブロンドの髪を、カイルがそっと撫でる。
「この時間が、ずっと続けばいいのに……」
小声で呟いたヴィオラに、カイルはもう一度口付けた。
「僕は、希望を捨てていないよ。きっとヴィオラは治ると信じてるから」
「えっ……?」
カイルを見上げたヴィオラに、彼は微笑んだ。
「『幻の湖』に咲く銀色の花が、願いを叶えてくれるような気がするんだ。僕、最近になって、奇跡って本当に起こるんだってわかったから。……ね、ノクティス?」
二人の側で大人しく座っていたノクティスが、カイルの言葉にゆっくりと尻尾を振る。
「ヴィオラがノクティスに乗って助けに来てくれなかったら、僕は今頃、フェンリルの腹の中にいたかもしれない」
ヴィオラは手を伸ばすとノクティスの頭を撫でた。
「あなたのお蔭よ、ノクティス。あなたにあんな力があるなんて、知らなかったわ」
「ノクティスの存在自体が、奇跡みたいなものだね」
カイルは、漆黒の巨大な狼の姿になったノクティスから感じた、尋常ではない魔力を思い出していた。高位の魔物であるフェンリルが急に逃げ出した理由は、ノクティスの存在以外に考えられない。
信じられないような覇気を放っていた猛々しい狼が、今ではちょこんと子犬の顔でヴィオラの側に座っていることが不思議に思えた。
しげしげとノクティスを見つめたカイルが、首を傾げる。
「ねえ、大きい姿をしたノクティスって、何かに似ているような気がしたんだけど、気のせいかな?」
「私もそんな気がしたの。あっ、もしかして……!」
ヴィオラが目を輝かせる。
「大聖堂の側で見た絵画、覚えているかしら? 絵の中で、聖アルザス様と一緒に戦っていた巨大な犬の姿に似ているような気がするわ」
カイルも納得したように頷く。
「そうか。言われてみると、そんな気がするね。……君は、本当は神獣なの?」
ノクティスは二人の言葉を聞いているのかいないのか、涼しい顔で鼻を鳴らした。
くすっと笑ったカイルが、窓の外を見つめる。
「『幻の湖』の情報を、この村で集めようと思っていたけど……もう少し後にしようかな」
カイルはヴィオラに視線を移すと、再び優しく彼女の身体を抱き締めた。
「今はしばらくヴィオラの側にいたくて」
カイルの言葉には、噛み締めるような、それでいて甘い響きがあった。
「……嬉しいわ」
ヴィオラの色白の頬が薄らと染まる。カイルの背中に両手を回したヴィオラの耳元で、彼は囁いた。
「まだ夢を見ているような気分だよ。ヴィオラが僕と同じ気持ちでいてくれたなんて」
間近からカイルに愛しげに見つめられ、ヴィオラは眩暈がしそうだった。彼の端整な顔立ちに、改めて驚かされる。
恥ずかしそうに俯いたヴィオラに、カイルが微笑みかける。
「ねえ、ヴィオラ。顔を上げて?」
「だって、カイルがあんまり綺麗な顔をしているから……」
カイルの顔が途端に熱を帯びる。
「そんな可愛いことを言われると、困るな。僕がどんなに前から、どれほどヴィオラのことが好きだったか、知らないでしょう? どんな言葉を使っても言い表せないくらい、君に惹かれていたんだ」
顔を上げたヴィオラの唇に、カイルはもう一度柔らかく口付ける。
カイルとヴィオラの指が、ゆっくりと絡まった。




