残された時間
「ヴィオラ、しっかりして……!」
カイルはノクティスの背に乗りながら、幾度もヴィオラに回復魔法を掛けていた。けれど、彼女の青白い顔色は変わらない。腕の中のぐったりとしたヴィオラを見つめて、カイルは苦しそうに呟いた。
「ごめん。僕に追跡魔法を掛けてくれたせいで……」
ヴィオラの余命は、アダムを庇った際に大怪我をしただけでなく、限界を超えて魔力を使ってしまったせいで短くなっていた。残された僅かな魔力を使うなら、さらに寿命を削ってしまう。そんなヴィオラが魔法を使うことは、カイルは想像していなかったのだ。
追跡魔法は強い魔力が必要な魔法ではないものの、それがヴィオラにとって使える魔法の限界だったのだろうと、カイルには容易に想像がついた。
青ざめた顔をしたまま微笑んだヴィオラは、首を横に振った。
「そんな顔をしないで、カイル。私は大丈夫だから」
「ありがとう。でも、お願いだから、君自身のことを一番に大切にして。もう、僕のために無理はしないでほしいんだ」
カイルがヴィオラの手を握る。
ノクティスの走りは、これまでカイルとヴィオラが乗ってきた馬車とは比べものにならないほど速い。それでも、その背中の乗り心地は思いのほか快適だった。
程なくして、カイルの目にこぢんまりとした村が見えてきた。
「よかった……! もうすぐ村に着くよ、ヴィオラ」
村の前まで来ると、カイルはヴィオラを抱いてノクティスから飛び降りた。ノクティスを見上げたカイルが、困ったように眉尻を下げる。漆黒の大きな身体つきで迫力のあるノクティスは、一見すると、狼型の高位魔物にしか見えない。
「君がいると、村人を怖がらせてしまうかな……」
ノクティスは訳知り顔で鼻を鳴らすと、その身体を包むように淡い光が舞った。光の中から出てきたのは、カイルとヴィオラがよく知る小さなノクティスだった。
カイルがまじまじとノクティスを見つめる。
「驚いたよ。器用だね、ノクティスは」
尻尾を振ったノクティスと一緒に、カイルは村の宿を探しに向かった。
***
こざっぱりとした宿を見付けたカイルは、宿の主人と交渉すると、部屋のベッドにヴィオラを横たえた。
消耗している様子のヴィオラに、カイルが優しく言う。
「医者を探してくるよ。しばらくここで休んでいて」
「でも……アダム様たちが追ってこないとも限らないわ」
不安そうな彼女に、カイルは続けた。
「それは大丈夫だと思う」
カイルは鞄から地図を取り出すと、ヴィオラの前に広げた。
「さっき宿の主人と話していて、驚いたんだけど……僕たちが寄る予定だった村よりも、ずっと北方の村まで来ているみたいなんだ」
カイルが指差した先を、ヴィオラが見つめる。
「もう、こんなところまで……!?」
「うん、村の名前を確認したからね」
ヴィオラが窓の外に目をやると、聳えるような山々の尾根が目前に迫って見える。
カイルはノクティスの頭を撫でた。
「これもノクティスのお蔭だよ。これまでの馬車での移動とは比べものにならないくらい、短時間でここまで来られた。どんな早馬を駆ったとしても、兄上たちがここに来るまでには相当の時間がかかるだろうし、場所だってすぐにはわからないと思うから、心配しないで」
カイルは微笑むと、ヴィオラを見つめた。
「ヴィオラの目指す場所も、ここからはそう遠くないよ。だから、焦らないで、まずは医者に診てもらおう」
「……わかったわ、カイル」
カイルが部屋を出ていくと、ヴィオラは再び窓の外を眺めた。頂を雪で覆われた山々が、雄大に連なっている。
かつて両親と同じ景色を見たことを思い出し、ヴィオラは懐かしそうに目を細めた。
ただ、目的の地には確実に近付いているけれど、ヴィオラには、以前と比べて、身体にどんどん力が入らなくなっている感覚がある。
(このままでは、私の身体はきっと、もうじき動かなくなる)
医者から宣告された余命そのものが縮んだのか、それとも、余命が尽きる前に身体の自由がじわじわと奪われているのかはわからなかったけれど、ヴィオラには、残された時間がごく僅かしかないことが感覚的にわかった。
カイルは医者を呼びにいってくれたけれど、医者の手には負えないだろうとも想像がつく。
それでも、カイルに対して追跡魔法を使ったことについては、まったく後悔してはいなかった。
(カイルが戻ってきてくれて、本当によかった……)
ヴィオラの目の前でカイルが連れ去られ、そして彼に待ち受けているであろう未来を聞いた時、たとえようもないほどの絶望と怒りを感じたことを思い出し、ふっと小さく息を吐く。
ヴィオラは、ベッドの脇で行儀よくお座りをしているノクティスに視線を移した。
「おいで、ノクティス」
ヴィオラの声に反応して、ノクティスがぴょんとベッドの上に飛び乗る。漆黒の柔らかいノクティスの毛を撫でながら、ヴィオラは感謝を込めて言った。
「ありがとう、ノクティス。……あなたがいなかったら、今頃どうなっていたかわからないわ」
森の中の薄暗い道に、フェンリルの囮として一人残されていたカイルの姿を思い出しながら、ヴィオラがノクティスを抱き締める。
ノクティスはペロペロとヴィオラの顔を舐めた。
「ふふっ。……何だか、不思議な幻を見ていたみたい」
目の前にいるノクティスは、可愛い子犬にしか見えない。大きな漆黒の狼に姿を変えて、カイルと自分を背に乗せて運んでくれたことが、信じられないように思える。
それでも、ヴィオラはそれを自然と受け入れていた。ノクティスが決して悪しき存在ではないことはわかっている。
さらりと彼女がノクティスの額の毛を持ち上げると、その下には透明の宝石が埋まっていた。宝石が放った眩い光は、今でも彼女の瞳に焼き付いている。
「ねえ、あなたは何者なの?」
ヴィオラはじっとノクティスの琥珀色の瞳を見つめた。つぶらな瞳が、彼女を見つめ返している。
仮にノクティスが魔物だったとしても、ヴィオラにとってノクティスは仲間であり、窮地を救ってくれた恩もある。大切な存在であることに変わりはない。
そして、狼の姿になったノクティスには、並みの魔物からは感じないような凄まじいほどの覇気を感じたけれど、なぜか邪悪な印象は受けなかった。
またノクティスに顔を舐められて、ヴィオラがくすりと笑う。
「私を慰めてくれているのかしら? ……ノクティスも疲れたでしょう? 一緒に眠りましょうか」
尻尾を振ったノクティスが、早速ヴィオラの布団に潜り込む。
ノクティスの温もりを感じながら、ヴィオラは静かに目を閉じた。




